shin-1さんの日記

○夜の砥部町商工会講演会

 野村高校での昼の講演会に続いてダブルヘッターのような砥部町商工会からの要請に応えるべく、夕闇迫る時間に野村~内子~小田~広田~砥部へと裏街道ともいえる道をひた走りに走りました。この道はいつか来た道ではなく何度も通っている道なので、見覚えのある道の駅からり、宿泊施設いかだ、道の駅ひろたなどを横目に見ながら暮れなずむ師走の物悲しい山村を通りました。いつの間にかこれらの道も随分改良が進んで、広田~砥部の一部が未改良のようですが、野村から砥部まで僅か1時間半弱で到着しました。

 砥部の町もかつて私たちが青年団で活動した時代は農業青年が多く活気に満ち溢れていましたが、相次ぐ住宅開発で新住民となった人が多く、僅かに残る商店街に昔の面影を偲ぶ程度となっているようです。それでも陶街道五十三次などの新しい発想でアートの里をピーアールしてまちづくりの情報を盛んに発信しています。

 砥部焼は文化産業の色合いが濃く、白磁に藍色の色調は高い評価を得ているようですが、手づくりのため家内工業的な域を脱することが出来ず、100を超える窯元があるというのに売り上げは年間20億円程度だそうですから、伝統産業の苦悩が見えてくるようです。加えて最近は地方経済の冷え込みで美術品のような作品の売れ行きが今ひとつらしく、茶碗や湯のみ、皿といった生活用品が主流で、そのことも構造不況の一因のようです。

 昨晩の講演会は、9月13日にわが人間牧場で行われた中予地区商工会女性部研修会に参加していた、竹口部長さんたちが私の話を聞いて是非との有り難い要請によるものでした。加えて人間牧場へは商工会の西山会長さんも参加してもらっていて、嬉しい限りです。私は昨夜の会は女性部だけかと思いきや沢山の男性もお集まりで驚いてしまいました。西山会長さん、竹口部長さん、藤尾事務局長さん、田中指導課長さんは勿論のこと、旧友稲葉さん親子や白潟理事長さん、元三越に務めていて今は砥部でそば屋を営む山田さんなどなど、顔見知りも多くかなりのプレッシャーでした。それでも1時間余りの短い時間でしたが皆さん熱心に聞いていただきました。

 砥部町へは先月の22日に砥部楽学大学に来て講演したばかりで、その全てがCATVで長時間放映されていたため、多分見聞き及んでいるだろうと、少し視点を変えて話したものの、少し気がかりでした。

 講演を終わって帰り際、参加した女性の集団が玄関で、「若松さん、パワーを下さい」と握手を求められました。また「私はハガキを絶対出します」と名刺を求められました。嬉しい反応に驚きながらほのぼのとした気持ちで帰宅への夜道を急ぎました。

 演題は「人間牧場構想・遊び心の創造」でしたが、人生は楽しい、美しい、新しいという三つのキーワードを考えて生きると充実した人生が送れるようです。年齢によっては厳しい仕事環境の中で、とりわけ厳しい商工業者にそんな余裕などないといわれるかも知れませんが、それでも常に明るい日差しを求めて生きていれば何とかなるものなのです。自分が元気、会社も回りも元気であって欲しいものです。

 昨晩も沢山の人に会いました。縁を深めるのには次にまた会おうと思うことです。稲葉さんも白潟さんも、山田さんなどは早速人間牧場でソバを打とうと立ち話提案されました。自分の世界を広げそこから自分の仕事につないで行くしたたかさがいい商売を生んでゆくのです。さてどんな次の出会いが待っているでしょう。考えるとワクワク・ドキドキします。

  「帰り際 パワーを下さい 差し伸べる 手と手を握り 再会約す」

  「干支持ちて 訪ねし先輩 面会し 過ぎ越し日々が 昨日のように」

  「あきまへん 儲からないと 嘆く人 少し工夫の ヒントになれば」

  「男ども 見習え女性 元気だよ ワイワイガヤガヤ 男尻目に」


 

 

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shin-1さんの日記

 双海~長浜~大洲と車を走らせ、「須崎100キロ」と書かれた旧肱川町の国道197号を更に進むと、長い三つのトンネルがあります。まるで「反対では?」と見間違うような立体交差の橋を左折すると、野村町方面を示す看板がありました。何度も通った道なので間違うはずもなく進むとそこは西予市野村なのです。道の緑地帯にはこの日お邪魔する野村高校が管理する立派な花壇が目につきました。師走を感じさせる葉牡丹が行儀よく並べて植えられていて、「おっ、野村高校、やってるな」とまちづくりにいささかなりとも関わっている私はつい嬉しくなりました。

 学校は街の入り口付近にあり、その場所を示すカーナビの画面を見ながら、少し早めに着いたので旧野村町の自慢の一つである乙亥会館を見学しようと急に思い立ち、信号を右折し三つ目の信号を左折すると、川沿いに乙亥会館が見えてきました。この会館は相撲処野村がその自慢として、両国国技館を模倣して建てたと何かの記事で読んでいたり、野村の友人から聞いていたいたので一度は訪ねたいと思っていたのですが、残念ながらその暇もなく延び延びになっていました。

(太鼓櫓)
(乙亥会館)

(吊り屋根天井と中の様子)

(相撲博物館)
 両国国技館へは足を運んだことはありませんが、大相撲中継の度に映し出された国技館の姿が頭の中にあるため、そっくりな姿と色合いに何か懐かしい感じがしました。櫓も組まれ、九州場所のご当地出身玉春日の星取表まで残っていました。確か玉春日は負けが込んでいたにもかかわらず終盤連勝し勝ち越した記憶があり、幕内でも古く高齢にもかかわらず黙々と頑張る姿には感動したものです。

 入口付近には御茶屋さん風のお店も並び、私の顔が売れているのか?、こんな田舎町でも出会う人がいて、「若松さんではありませんか」と声をかけてもらう有様です。中に入ると相撲博物館があり時間がないのでさっと目を通し会館の中へ入りました。木造の高い天井には大相撲と同じ吊り屋根があり、可動式の椅子は収納され、体育館のような会場では老人会が集会をしている最中でした。温泉も併設されているのでしょうか、会館前の駐車場は一杯で止める場所を確保したものの写真を2~3枚撮って足早にその場を立ち去りました。友人原田課長さんにも会いたいとも思ったのですが野村高校へ行く時間が迫って後ろ髪を引かれる思いでした。

 全校生徒400人を前に「人間としての在り方生き方」を話して欲しいと頼まれていたため、15時から50分間の短い時間ながら熱を込めて話しました。この高校出身の人で県庁の旧友井上課長さんや鶴井局長さんの顔を思い出しながら、高校生なので短めの話をつなぎつなぎ出来るだけ分りやすく話したつもりですが、反応はどうだったのでしょう。でも壇上にいる私への直接反応は真面目な聞く態度も話への感心も申し分のないものでした。講演の前後に校長室でお茶をいただきながら清家校長先生、近藤教頭先生と面談しましたが、清家校長先生は八幡浜高校の創立記念イベントでウォークラリーを計画した折、目的地がシーサイド公園だったため、花火を用意するなどいささかの手助けをしていた思い出を話され驚きました。

 仕事柄県内の公立高校は殆ど足を運んでいますが、少子化の影響で田舎の高校は定員削減という方針に基づき生徒数が減っており、また就職組より進学組が多くなって、少し活気が失われているようにも思えました。ひと頃の学校が荒れた時代はもう遠い昔のことのようです。でも裏を返せば将来を見据えた真面目な態度になっているのですからそれはそれとして喜ぶべきでしょう。

 水産高校の練習船愛媛丸で遠洋航海に旅立った40数年前の自分の姿を短い時間ではありましたが、思い出しながら話すことが出来て、いい一日でした。

  「二つの目 八百の目に 見られてる そんな緊張 話に凝縮」

  「ついでにと 乙亥会館 見学す 太鼓櫓の 音を想像」

  「九州の 熱戦の後 星並ぶ 黒と白とが 勝ち越し告げて」

  「青春を 語る自分の 青春を 思い出しつつ ショートな話」 

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○教え④

 一昨日まで国立大洲青少年交流の家で開かれた「大人を考えるシンポジウム」で数学者の秋山仁先生が、帰る車の中で、13人の終日参加の若者に色紙を書いてくれました。走り書きのような一枚一枚の色紙には味なる言葉がたくさん書かれていました。数学者らしく英語や数字のもありましたが、講演で述べた次の言葉の引用が多かったようです。

 「いい生き方をするための11のポイント」

 ①でっかい志を立て、自分流横綱を目指そう。

 ②一週間に一冊の本を読もう。

 ③感動を求めてどんどん出かけよう。

 ④自分にしか出来ない仕事を探そう。

 ⑤新たな事に挑戦しよう。

 ⑥スポーツで汗を流し体力を身につけよう。

 ⑦自立自活しよう。

 ⑧出会いを求めて旅に出よう。

 ⑨真実を語れる友、尊敬する師をつくろう。

 ⑩無から何かを創り上げる日々を送ろう。

 ⑪今日は何人の人を喜ばせることが出来るか考え、朝起きよう。

 エマーソンは人生成功の四つを次のように述べていることも紹介し色紙に書いていました。

 「人生成功の四つ」

 ①健康な子どもを一人は残す。

 ②お花畑を作る。

 ③社会をよくする。

 ④あなたがいたから今があるといわれる人間になる。

 色紙に走り書きした色々な言葉に納得しながら、自分のこれまでの生き方を反省してみました。殆どの言葉どおり生きてきたつもりですが、それは自分で納得しているだけであって、側にいる他の人から見てもらうと、まだまだである事に気づくのです。私はこの11を妻に読んで聞かせ、自分の足らない部分を言ってもらいました。例えば⑥は最近体力をつけるどころか、体力が衰えているような感じがします。書斎にこもってパソコンの前で過ごす時間が増えてきたと指摘されました。「当っている」と思いながら、昨日から体力をつけたり体を動かす事を意識的に始めてみました。風邪の回復後まだ間がないので無理は禁物ですが徐々に努力したいと思いました。⑦の自立自活も日々の暮らしの中で考えるだけでなく行動しようと思いました。

 立ち止まって自分の今を見つめ、反省しながら自分と対話して目標を決めて行動する、何気ないことですがこうした積み重ねが人生なのでしょう。

  「走り書き メモをパソコン 打ち込んで 妻に評価の 辛口採点」

  「そういえば 気力ばかりが 先に立ち 体力なくて 風邪の進入」

  「立ち止まり 日々の暮しを 見直せば 今から先は 楽しい日々が」

  「健康な 子どもを四人 世に送る これは四倍 大成功だ」

 

 


 

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○三つの実行委員会委員長

 2年半前にリタイアした折殆どの公職を辞して一野人になったつもりでしたが、2年半の時の流れの中でいつの間にか、色々な役職が復活し忙しく振舞っています。妻からは「仕事を辞めたのにどうしてそんなに忙しいの?」と首をひねられていますが、それでも人のお役にも立たなければなるまいと、請われるままに引き受けていますが、そろそろ限界かなと自分でも思っています。

 私は今三つの実行委員会の委員長をやっています。一番長いのは教育長の現職時代に兼務していたものを、市町村合併で持って行く人がいなく続けている双海町青少年おもしろ教室実行委員会の会長です。事務局が教育委員会にあって職員がしっかり支えているのでそんなに大きな仕事ではありませんが、それでも人間牧場をフィールドにして活動するため、手を抜くことが出来ず、むしろ積極的に関わっています。昨日の夜その委員会が行われました。この運営はゆめ基金という文部省系の資金が使われているため、今年度の反省に立って来年度の事業計画を立案する重要な会議でした。30人の定員で募集したものの倍の60人に余る応募があって抽選しなければならなかった反省点や、安全な冒険、マンネリと伝統の狭間、企画や運営への巻き込みなど様々な意見が出ましたが、今年も去年にはない大きな成果を得て、参加した子どもも参加させた親も満足のようなので、来年も継続することで一致し、会議を終えました。特に来年は「命をつなぐ」意味で、早速今月の22日にバイオマスで土作りを行い、今年収穫した芋のから芋ツルを芽吹かせるプロジェクトをスタートさせる事になりました。

 二つ目は一昨日まで行われた国立大洲青少年交流の家の主催事業「大人を考えるフォーラム」実行委員会の委員長です。今年で3年目を迎えましたが、3回の実行委員会を経て事業も多くの成果を得て無事終わりましたが、事業修了後に開いた4回目の実行委員会でも様々な意見が出ました。総じて建設的な意見なので、来年にバトンをつなげることが出来たようです。請われるまま今年で3年間も委員長をやり、意見の取りまとめをやってきましたが、意欲も年齢も衰えてはいないものの元気な間に、そろそろ後継者への移譲も考えなければならないと思っています。私にとっては自分の進化に役立った委員会でした。

 三つ目は来年愛媛県で行われる予定の地域づくり団体交流全国大会の実行委員会委員長です。これはかなり大掛かりなもので、過去3回の実行委員会が開かれ、1月に行われるプレイベントや2月の茨城で行われる全国大会へのPR参加と来年11月開催の全国大会に向けて着々と準備が進んでいるのです。えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員をやっていることもあって、これから1年は様々な気配りが必要で、特に16予定されている分科会の一つを双海町へ誘致していることから、気を抜くことなく動きたいと思っています。

 実行委員会は全てボランティア活動だし、出かける度に妻に対し「実行委員会に行って来る」と告げるものですから、妻はどの実行委員会か区別がつかず、「なんでそんなに実行委員会が再々あるの?」と首をかしげているようです。そういえばいつの間にかボランティア活動への参加参画も長くなりました。青年時代に福祉ボランティアに参加してからですから、かれこれ40年も続いている事になります。妻が「いつまでボランティア活動に参加するの」と聞くので、「死ぬまで」と答えてやりました。ふと漏らした言葉ですがこれは私の名言で、多分死ぬまでボランティア活動に関わることでしょう。今は「本業ボランティア、副業講演活動」ってなもんです。「本業ボランティア・副業仕事」これも名言かも知れませんね。

  「出る時に いつまでやるの ボランティア 聞く妻へ言う 死ぬまでですよ」

  「気がつけば 三つも代表 務めてる オーバーワーク それでも楽し」

  「少しだが 社会の役に たってます これから先も そんな気持ちで」

  「本業は 何かと人が 問うたなら ボランティアです 胸張り答う」

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○信じて飲むと鼻糞でも薬になって効く

 今年はインフルエンザ流行の速度が例年い比べ1ヵ月ほど速いようで、県内の学校でも学級閉鎖が始まっているようです。昔から「馬鹿は風邪を引かない」といわれていますが、今年は馬鹿な私さえ風邪を引いたのですから、まんざら馬鹿ではなかったようだと少し安心しています。でもこの先月末の一週間は鼻水は出るわ、タンは出るわ、、おまけに咳き込んで最悪な状態でした。そんな体調の悪い時でも、仕事は休む訳には行きません。仕事といっても私の場合は既にリタイアの身なので仕事と言えるかどうか分りませんが、講演予定がぎっしり積んでいて何ヶ月も前からタイムスケジュールが組まれ、人を集めているのですから、そうそう休むわけにはいかないのです。滋賀県のルッチ大学と伊予市の人権教育、それに佐田岬半島ミニシンポジウム、それに南海放送ラジオに出演した1週間は大変でした。それでも妻の手厚い看護と周りの人の気配りによってどうにか日程をキャンセルすることもなく切り抜けることが出来ました。関係者の皆さんに厚くお礼申し上げます。

 そんな風邪の中で佐田岬半島ミニシンポジウム行く途中、長浜町の村上薬局へ飛び込みで立ち寄りました。ご主人とは昔一緒に酒を飲んだ間柄ですが、それほど深いつながりがある訳ではないにも関わらず、私のために薬を調剤してくれましたが、ニンジンエキスの入った温かい飲み物をサービスしてくれました。そのニンジンエキスが効いたのか、その日の泊り込みの研修会は随分楽になって大助かりでした。その後も体調は今一だったのですが、国立大洲青少年交流の家での泊り込み研修に出かける私のために、妻は早速効いた薬を買い求めにわざわざ長浜の村上薬局まで足を運んでくれました。ニンジンエキスとそれを飲む専用カップまでサービスをしてしてくれたと感嘆しきりでした。

 昨晩大洲から二日ぶりに帰り食事をしていると、聞き覚えのある村上薬局のご主人から電話がかかってきました。「風邪の調子はどうだ」「薬は聞いたか」です。よくよく話を聞くと、松山への帰り道でシーサイド公園辺りまで帰っているらしく、私の風邪が気になって、咳止め薬を持って来ているので家まで届けたいというのです。驚いた私は電話で自宅の場所を教え、表の道路までいただきに出ました。何という気配りでしょう。涙が出るほどの嬉しさです。私も感激して結局お金を払うことさえ忘れ、村上さんは奥さんと子どもを乗せて暗い夜道を長浜の方面へ帰って行きました。

 あっという間の出来事だったためあっけに取られてしまいましたが、ここにも小さいながら大きな気配りの出来る人がいるものだと感心しました。

 私は注射が大の苦手ということが理由で定期健診以外は病院へは行きません。したがって予防注射もしないし、ぎっくり腰や風邪などで体が悪くなっても滅多のことでは病院へは行かないのです。加えて酒も止めているので薬の効き目がよく、薬を飲めば風邪は治ると信じているのです。まさに「信じて飲むと鼻糞でも薬になって効く」のです。そういう意味からいうと今回偶然にも飛び込んだ村上薬局は私にとって強い味方となったに違いありません。ましてやまるで医者のように私の体を心配して薬を届けてくれる薬剤師はいない訳ですから、これからもせいぜいご愛用したいものだと心に誓いました。

 長浜町の村上薬局さん有難うございました。「鼻糞も信じて飲むと薬となって効く」というのは戯言で、村上薬局の薬は正真正銘よく効く薬でした。(村上薬局応援コマーシャルでした)

  「俺のため わざわざ薬 家にまで 届けてくれた 有り難薬屋」

  「昔から 注射が嫌い その顔で 信じ難いが 本当の話」

  「薬にて 風邪を治した 今回も 次も薬で 治ると信じ」

  「この次は 頭良くなる 薬くれ そんな薬は ないと薬屋」 

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shin-1さんの日記

○青春とは③

 昨日までの二日間、国立大洲青少年交流の家で開催された「大人を考えるフォーラム」に参加して、数学者秋山仁さんの話を聞きましたが、秋山さんは自分の目の前にいる参加者に対し、盛んに「青春とは何か」を力説されました。63歳になった私も常々考えているテーマであるので、サミエル・ウルマンの書いた「青春」をいつも愛読し、そうありたいと心に念じながら63年間生きてきました。最初に「青春」という言葉に出会ったのは、松下幸之助さんがPHPの創刊号に「青春とは心の若さである。心に望みを持って生きれば青春は永遠にその人のものである」と書いていた一節でした。折に触れその汚れた切抜きを貼り付けたノートを開いては、青少年教育にいささかなりとも関わった故を持って多くの青少年に青春の大切さを説いてきました。そして20数年前自らが主宰した21世紀えひめニューフロンティアグループの旗揚げの時も、「今やれる青春」「一年一事業」「社会への揺さぶり」という三つのテーマの一つに「青春」という言葉を入れ、20数年後の今日まで活動を続けて来たのです。その間サミュエル・ウルマンの「青春」という言葉の深い意味にも触発されて今日まで生きてきました。秋山先生パワーポイントで示す岡田義夫が翻訳した「青春」の一節をメモ用紙に走り書きしながら、感慨にふけりました。

 「青春とは、人生のある時期を言うのではなく、心の姿をいうのである。すぐれた想像力、燃える情熱、卑怯を退ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こういう姿を青春というのである。歳を重ねただけでは人は老いない。理想を失う時に精神は萎む。希望ある限り若く、失望とともに老いる。大地より、神より、人より、美と喜び、勇気と壮大、偉大と霊感を受けている限り、人の若さは失われない」(略)

 「青春」という画面から次の画面にパワーポイントが変化展開する中で、暗唱している言葉を記憶の中から引き出してメモ帳に記録しているのを、帰宅後封筒から取り出して読んで見ましたが、殆ど大差なくメモをしているようでした。

 私はこれまで、様々な人に会い、様々な言葉や行動に出会って、それなりの感化を受けて自分の生き方を組み立て生きてきました。吉田松陰、孔子、相田みつを、大前研一、本田宗一郎、船井幸雄、斉藤茂太などなど共鳴する名言に自分の生き方をダブらせ自分の戒めとして生きてきたようです。

 そして55歳の時に自費出版した「昇る夕日でまちづくり」には、自らが考え出した幾つかの言葉を巻末に「若松進一のことば」として載せました。出版しその後二版目を発行した時も「若松進一のことばpart2」として追加しました。出版して長くなりましたが、それでも時々出会う友人やメールには「あなたの言葉を引用しました」などと嬉しい反応があるようです。

 これからも、サミュエル・ウルマンの「青春」ほど多くの人に愛され感化を与えるものではないにしても、汗して生まれた論理の中からオリジナルなオンリーワンな言葉を育てて行きたいものだと思いました。

  「若き頃 読んだウルマン 青春と いう名の教え 今も心に」

  「今の世は 歳は若いが 心老ゆ 人の多くて 活気感じず」

  「これからも 青春しよう 念じつつ 今朝早起きし ひたすら続け」

  「体力を 鍛えて青春 宿るよう 背筋伸ばして 鉄棒すがる」 

 

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shin-1さんの日記

○10年間のライフデザイン②

(私がコーディネーターを務めた「色々な種を知ろう」というパネルディスカッションでのパネラーの話)
(パネラーの話を聞く参加者)
(四つのブースに分かれての討論)

 確か一昨年も昨年も「大人を考えるフォーラム」に実行委員として参加して、八幡浜高校の堀田校長先生の指導を受けて、十年後の自分へと十年後の自分から手紙を書いたような覚えがあります。というのも、いきなりこのフォーラムに参加している高校生や大学生、勤労青少年に十年後の自分へと十年後の自分から手紙を書きなさいといってもそれは藪から棒だと思った堀田校長先生は、サンプルのつもりで私に簡単な手紙を書いて発表するようその場で依頼を受けました。その手紙を参加者の前で例題として読んで聞かせて作文作業に入ったのですが、フォーラムの最終ラウンドなのでみんな真剣に書いていましたし、素晴らしい発表で感心しました。

 昨年の手紙は既にブログで書いていると思われるのですが、一昨年の手紙を思い起こしながら私は十年後から今の自分に手紙を書きました。

(フリートーク「私たちの種って?」。ワークショップ「種を見つけよう」。ワークショップ「種を育てよう」の熱心な議論)
(十年後の「私から今のあなたへ」手紙を書き発表する参加者)

 「大洲青少年交流の家で自分に手紙を書いたあれから早11年が経ちました。リタイヤして間もなかった私も今では73歳のおじいさんと呼ばれる年齢になっています。でも10年前のあの日数学者の秋山先生が「青春とは心の若さだ」と強調されたように、今も「今やれる青春」を謳歌しているこの頃です。

 私は11年前三つの事を十年後まで続けようと心に決めていました。その時若者たちは公認会計士や学校の先生や設計士になりたいなどと具体的な目標を書いていたようですが、私は十年後の大それた夢でなく、まるで尺取虫のように「ただひたすら続ける」ことを目標にしていたようです。それは一年前の11年前から考えていた目標だったのです。でも不思議な事に考えた一年後には三つの続けることのことごとくを既に手に入れていたのですから驚きです。つまり一つ目の人間牧場(水平線の家・ロケーション風呂・ツリーハウス{は既に一年後には完成していましたし、十年経った今も年年歳歳素晴らしい成果を上げているのです。二つ目の本を出版する目標も一年後既に落伍高座本地の書が出来上がっていましたし、目標だった水の書・火の書・風の書・空の書という五部作も全て完成し、一日2本のブログも拙文ながら未だに続いており、130冊余りの月別にプリントアウトされ、人間牧場の書棚に並んで来訪の友人たちが楽しそうに読みながら当時を振り返って読みふけっているようです。

 またあの時20年目だった一日3枚のハガキを書くという日課も、今年で三十年の節目を迎えるのです。

 凡人ゆえ私にはもう富士山のような高い望みは持ちようがなく、せめてアリのような人生を過ごすことくらいは出来るかも知れないと、これからも今を通過地点と思っているのです。こんな小さなことながら続けてきたしこれからも続けられる私は素晴らしいし、私は馬鹿な天才だと思っています。十年前の自分へ 若松進一より」

 堀田先生の求めに応じて即興で今日短時間で書いて読んだ手紙でしたが、私の進化論は「ただひたすら毎日続ける」というささやかな目標を、もう少し頑張ってみようと思いました。人間はどこかで立ち止まったり、何かのきっかけがなければ自分の生き方や将来について考えないものです。今回の「大人を考えるフォーラム」では、そんな立ち止まりや気付きのきっかけだったと、日頃あくせく働く自分自身にとっても充実した二日間になりました。

「種」という今回のキーワードもいいテーマだったようで、それぞれの人の話を聞いて、自分の体内にある種について整理できたことは大きな収穫だったようです。

  「私には 幾つあるのか 種の類 蒔いて生やそう 新たな決意」

  「天職と 思ってやって きた仕事 自分にだけしか 出来なかったな」

  「失敗を こうして乗り越え 夢掴む 語る言葉に 人の努力が」

  「立ち止まる 自分というなの 人間に 語りかけるも 悪くはないな」 

 

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shin-1さんの日記

○大人を考えるフォーラム①

(開会式で挨拶する所長さん)

 国立大洲青少年交流の家が主催する、「大人を考えるフォーラム」の実行委員長を頼まれてやっているため、昨日と今日の二日間は、交流の家へ缶詰にされて、その企画と運営に携わり、今夕やっと無罪放免になってわが家に帰って来ました。普通であれば一泊研修といえば24時間の研修会が常識ですが、昨日の11時に開会式が行われ、閉会式は15時30分、しかも終了後第4回目の実行委員会を行って反省評価をするという念の入った集会で、わが家に到着するなり妻が「こんなに遅くまで何をしていたの?」と不思議がり心配をして、途中で携帯で居場所を確認してくれました。正直長丁場で責任もあるし疲れはしましたが、それでも所期の目的を達成し爽やかな研修会であったため、長旅の疲れはなくすっきりしているようです。

(数学者秋山仁先生の記念講演、「天職を探せ-自分にしか出来ない仕事、それが天職-」に聞き入る参加者)
(秋山仁先生を囲んで実行委員会のメンバーや講師陣)

 それにしても世の中には達人という人はいるもので、昨日の初っ端の講演は度肝を抜かれるようなお話でした。テレビで御馴染みのとかいわれますが、私はそんなにテレビを見ていないので名前くらいしか知らなかったのですが、数学者の秋山仁先生の話は難しい話を分りやすく話す点では、最近10年間で聞いたどの人の話よりも心を打たれる、分り易い話だったように思うし、参加した殆どの方がそんな好感を持って帰ってくれたようです。

 プロフィールには次のような紹介文が載っていました。【1946年東京生まれ、理学博士、数学者、上智大学大学院数学科を修了後、ミシガン大学数学客員研究員、日本医大助教授、東京理科大学教授、科学技術庁参与、文部省教育課程審議会委員などを経て現在に至る】

 私が心に残ったのは次の言葉です。

   運命の風    -ウィル・コックス-

  ある舟は東に進み また他の舟は同じ風で西に進む

  ゆくべき道を決めるのは 疾風でなくて 帆のかけ方である

  海の風は 運命の風のよう

  生涯という海路を辿るとき ゴールを決めるのは

  凪か嵐ではなく 魂の構えだ

 宇和島水産高校在学中にカッターに帆を張り帆走訓練をやった経験があるが故に、この言葉の意味はよく理解が出来ました。

 帆を張った船は何もしないと帆が風を受け風下に流されるのは当然のことですが、風を上手く利用すれば風上に船を進めることが出来るのです。風上に向って右舷から帆に風を受ければ左前の方向に進みます。逆に風上に向って左舷から帆に風を受ければ右前の方向に進みます。つまり右前、左前とジグザグに舵と帆をあやつれば、向かい風であっても船は目的地へ到着するのです。風上からかざし燃え流されるのは宿命です。だが魂の構え、つまり目的地を目指すという意識と知恵ある行動さえすれば宿命は運命に変わるのです。

この話は私が解説したような経験がない人にはまるで理解できない話ですので、聞いていた高校生に夕食時食堂で箸を使って話してやると喜んでいました。

 秋山先生は発見の三大要素は①色々な角度から見ること、②全て否定してみること、③自然を観察することだと話されました。これも私にとっては納得のいく話でした。またアメリカの詩人サミュエル・ウルマンの青春について話され、アコーディオンを弾けるようになったと演奏され結ばれました。私とよく似た話に思わずニンマリしました。

  「あれ程の 数学究めた 人なのに 誰彼みんな 納得話す」

  「風上を 目指して進む 帆前船 理論分れば コックス理解」

  「魂を 揺さぶるような 話聞く 俺もあんなに 上手くなりたい」

  「俺だって ハーモニカ吹く 練習で 百六十曲が 曲がりなりにも」

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○片付かない部屋

 昨日は雨でした。午後から運営委員会への出席が予定されているため、外に出ることもなくストーブに火を入れて暖を取り、身の回りの整理整頓を少しだけやりました。流れてくるラジオやテレビの音や映像も近づく年末に向けて掃除やクリスマスの話題が次第に多くなり、自分自身も「掃除」「整理」「整頓」などの思いが断片的に頭に浮かんで、柄にもなく書斎を片付けました。

 「一年に一度も見ない資料は処分する」のは整理整頓の常道でしょうが、長年生涯教育やまちづくり、金融広報の仕事に携わっていると、捨てきれない資料がどんどん溜って捨て切れず、紙ごみのようになっていて、一日の中で資料を探す時間が長くなっているようなので、昨日は思いきって捨てる事にしました。たった午前中の2時間程度の時間なのに捨てる事を決意した紙ごみは大きなゴミ袋に2袋もありました。本当は資源再利用の立場から紙ごみとして出したいのですが、オープンにすることもできず月曜日には他のゴミと一緒に出す予定なのです。

 これまでうず高く積まれていた机の上がすっかり綺麗になりました。息子が買ってくれた大きな机が狭く感じられていたのですが、再び広くなって書斎での存在を誇示しているようです。

 すてきれないもに手紙やハガキがあります。一日三枚のハガキを書く事を日課にしている私の元へは郵便局員さんも驚くほど沢山のハガキや手紙類が舞い込んできます。2~3日家を空けると驚くほどの未処理郵便物が溜るのです。雑誌類や新聞類、ダイレクトメールなどは分類し直ぐに処理できるのですが、ハガキや手紙は捨て切れず、机の下の段ボール箱に一応収まりますが、その暖バールが直ぐに一杯になって捨てきれないのです。

一時はダイソーで買った100円のハガキフォルダーなどを利用して整理整頓していましたが、その量が半端ではないため直ぐに一杯になって、いつの間にか紙袋に入れて煙会所の押入れに入れる羽目になりました。しかしこれも限界があるので、そろそろ年末処分の対象になるようです。

 うちわ風のハガキも今年は10枚以上、規格外の杉や檜のハガキも10数枚、変わったものには石や葉っぱのハガキもあります。これは絶対捨てまいと書斎のカーテンの上に差し込んでインテリア風にしていますが、これも限界のようです。

 もう一つ捨てきれないものに私が載っている新聞や雑誌があります。最近は私の行動もすっかり全日本的に広くなっているため、行く先々で新聞や雑誌、記録集にまとめられて送られてくるのです。その都度スクラップしているのですが、この量も多くてスクラップブックも手一杯です。パソコンの普及で私の記事は氾濫気味なのです。それでも私を載せてくれた相手の事を思うと無造作ながら大きなダンボールに入れられ書棚の上に眠る結果になっているようです。

 ハガキも新聞や雑誌の記事も、もう少し整理整頓の方法を考えてみたいと思いますが、何か良い妙案はないものでしょうか。

  「俺の部屋 絶対量が 多過ぎる もっとシンプル もっとスモール」

  「捨てきれぬ 一枚ずつを 読みながら やはり残して うず高く積む」

  「今頃は あの人何を してるかな 旅で出会った 顔々思い」

  「よしやろう 決断するも 左から 右へ動かす もどかし掃除」 

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○忘年会

 「若松さん、今何してる?。私たちは忘年会で○○さんたちと○○で飲んでるの。ちょっと電話変わるね。」などと、忘年会の宴会の席から携帯電話が多くかかる頃になってきました。こちらは真剣な会議をしているというに、ポケットの携帯バイブレーターが振動しっぱなしで困ってしまい、結局は「ちょっと失礼」と会議を中断して外に出て、「会議中なので後でかけ直します」と小声で対応し部屋に戻ることなどしばしばなのです。こちらは真剣に会議をしているというのにあいつらはチクショー」とも思ったりもしますが、まあ酒の席の戯言だし、酒の席にせよ私を思い出してくれるのは嬉しい」と思いつつ、会議が終わって電話を入れると、相手のボルテージは最高に上がっていて、電話ながら絡まれることだってあるのです。

 昨日は私が代表運営委員を務める「えひめ地域づくり研究会議」の2ヶ月に1回の運営委員会があり、今年最後の会議なので終了後街に繰り出し忘年会をやりました。大酒飲みだった昔は11月頃から年末まで、「あなたは松山から通っているの」といわれるほど毎日のように忘年会と称して酒を飲んでいました。「相手変わって主変らず」と妻がいうように相手は変わるものの自分は変ることなく飲んでいました。その回数や酒の量も半端ではなく、今だったら完全に酒気帯び運転でひっかかるような状態で職場に行っていたようです。

 酒を飲むと運転できないため妻が「10円タクシー」と名前を替えていくら遅くなろうが松山まで迎えに来てくれたものでした。帰りには小腹が空いたと言っては途中ラーメン屋に立ち寄り、ビールを飲みながらラーメンを食べ、飲み足らないと言っては家に帰ってビールを飲み、そんなやんちゃ坊主のような男に飽きもせず付き合ってくれた妻は偉い人だとつくづく感謝をするのです。あの時飲んだ酒代は「亭主持ち逃げ」という項目で妻の家計簿に記帳されているので、妻の昔の家計簿を見るのが怖いくらいです。

 酒を止めたのだからあの時の飲み代はお金が残るはずだのに、やはり昔の諺のように「下戸に建った蔵がない」のでしょうか、一向に金など貯まらないのです。それでも考えてみれば先日出版した「夕やけ徒然草」という本も、自分のポケットマネーでどうにか出版始末が出来たのですから、酒を止めた効果は絶大なものがあるようです。酒が文化に変わった典型かも知れません。

 昨日は事務局の松本さんがみんなの意見を反映して鳥料理の専門店を選んでいました。このところ体の都合で肉料理など殆ど食べない私ですが、鳥刺しからモモ肉焼き鳥、酢物、鳥サラダ、鶏飯までこれでもかと言わんばかりの鳥にこだわった料理を堪能するほど食べました。美味しかったのでついつい食べ過ぎたかな?と思うほど食べ、ウーロン茶も2杯飲んで、腹がはちきれんばかりでしたが、風邪回復の手助けにはなったようです。

(これが特区で造った噂のドブロク「なっそ」です。県知事さんもその味を推奨しているそうです)
(酒は人を呼ぶのです。酒好きの清水さんもご満悦)

 昨日はいつになく話が盛り上がりました。というのも宇和島市津島町の森田さんがドブロク特区で仕込んだドブロクを持参していたからです。「なっそ」という南予の方言【何故=それがどないしたん】というよな意味だそうですが、前日愛媛県知事が試飲する姿がテレビで紹介されていたため、関心が高く、盃一杯程度の試飲なのに群がって味わっていました。酒を飲まない私も話のネタに試飲したかったのですが、飲酒運転になっては大変と自重し、鼻で匂いを嗅ぐ程度に留めました。

 午後9時でお開きでしたが、若者組や酒飲み組は三々五々夜の街に消えて行ったようです。私は今日から国立大洲青少年交流の家で始まる「大人を考えるフォーラム」の実行委員長として泊り込みの研修に出かけなければならないので、誘われましたが付き合いが悪いと思われながら後ろ髪引かれながらも10時前に帰宅しました。「まあ早かったのね」は妻の弁、「いい旦那でしょう」と自画自賛し玄関の内鍵をかけました。

  「忘れたく ないのに何故か 忘年会 これほどやると 忘れ過ぎます」

  「ドブロクを 特区で造った 試飲会 飲めぬ私は 匂い嗅ぐだけ」

  「酒飲まず 貯めたお金で 本を出す 今年も私 いい年でした」

  「飲んでるの 携帯電話が 雰囲気を 伝えてくるも こちら会議で」

 

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