shin-1さんの日記

○まちづくり人との語らい

 昨晩は私が非常勤講師を務める愛媛大学法文学部総合政策学科の講義日でしたが、昨日のテーマは「まちづくり人に学ぶ」というタイトルで、えひめ地域政策研究センターに市町村から出向している3人の研究員にお願いして、まちづくりについて語ってもらいました。急遽同センターの栗田所長さんも見えられ、賑やかな研修となりました。3人はそれぞれ自分の出向元の市町村や出向前の仕事、それに出向して取り組んでいる仕事について約10分間ずつ話しました。

(谷本研究員)
(坂本研究員)
(松本研究員)

 谷本さんは宇和島市遊子公民館の主事としての経験から、地域づくりの拠点として公民館がどうあらねばならないか水ケ浦の段畑を引き会いに出しながら景観について話しました。坂本さんは久万高原町で観光を担当していましたが、木にこだわったまちづくりや合併によって広くなった地域の限界集落などの悩みを話しました。松本さんは伊予市の産業振興を担当していましたが、それ以前は教育の仕事が長く、今も自分のふるさと双海の地域おこしに思いを寄せている話をラグビーを事例に話しました。

 選ばれて出向しているだけあって、さすがと思うような切り口からまちづくりについていい話をしてくれました。早速私がコーディネーターになって一問一答のような形で学生と質疑を行いました。前半は坂本さんの話した移住促進に話題が集中し、大いに盛り上がりました。

 後半は松本さんの夢語りや、谷本さんのふるさと運動などに話題を移し、「うん、うちの学生も中々やるなあ」と思わせるような質問や私見意見が沢山出ました、最後は栗田所長さんにまとめの話をしていただきました。

(聞き入る学生)

 学生たちはこの一年私の講義やフィールドワークで訪ねた自治体での話を基に勉強してきましたが、今年の講義もいよいよこれが最後となりました。次からはまとめの作業に入り、各グループで訪ねたいまちと住みたいまちの理想像を作り上げる作業をして、三週間後には発表会を予定しており、みんなの投票によってグランプリを決定するのです。そしてグランプリのグループには私のポケットマネーで1万円の賞金を出す事になっているのです。毎年やっているプログラムでも、その年度によってかなり出来栄えが違います。今年はどんな作品が出来るかとても楽しみです。正月が過ぎると個人レポートが私の元に送られてきて今年度の成績がつけられる仕組みなのです。

(栗田所長さん)

 メモをしていないのでみんなの話を正確には覚えていませんが栗田所長さんは、偶然にも3人とも谷本、坂本、松本と名前に「本」が付いているのを素早く見つけ、毛利元就の3本の矢に例えてお話をしてくれました。また職業にはなりたくてなれる仕事もあれば、なりたくてもなれない仕事もあり、さらになりたくないのにならねばならない仕事だってあるのです。でもいずれにせよそれを宿命と受け止めることなく、運命と位置づけて未来を切り開いて欲しいと締めくくられました。味わい深い話でした。

 学生は得てして大学害外の人の話を聞く機会に恵まれません。一方研究機関といいながら政策研究センターも学生の話を聞く機会はそれ程多くはありません。お互い歩み寄りながら学ぶよう努力したなら、いい学生やいい研究が出来るだろうと思うのです。今後も折に触れ交流や研究を広め、深めて行きたいものです。栗田所長さん含め4人の皆さん、素敵なメッセージをありがとうございました。

  「三本の 矢に似た話 放たれて 聞き入る学生 反応いいね」

  「色々な 人に出会うと 面白い 話飛び出し 学生食いつく」

  「人話し コーディネートを する私 更に聞きたい ことを質問」

  「夜間主の 学生目覚め 話聞く 昼とは違う 白熱議論」

  

  

  


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shin-1さんの日記

○白内障の手術

 昨日は九十歳になる親父の白内障の手術の日でした。これまでかかっていた愛媛県立中央病院の先生に書いてもらった紹介状を持って、今月始めに伊予市に開業した本宮アイクリニックへ行ったのは11月5日でした。そこで詳しい精密検査をしてもらい、昨日の手術日を決めました。

 親父は若い頃鼻ガンを患い右目を受けている頬骨の殆どを取っているため、右目は落ち込んで殆ど見えない状態です。今回手術するのは左目なのです。したがってもし手術に失敗するようなことがあると全盲になる危険性もあるので色々悩みましたが、白内障の手術の技術が進んでいることもあって、思い切って手術をすることにしたのです。しかし手術後は目にガーゼを当てて見えないようにするため、介護が必要なことから私の日程に合わせて昨日の午後の手術日を選んだのです。

 人間誰でもそうなのでしょうが、手術となると不安になるものです。特に親父の場合は全盲になるかも知れないという不安があって、朝からソワソワしていました。私が前日に人間牧場の農場から取って帰ったシキビを持って近くの墓地へお墓参りです。多分母に手術がうまくいきますようにと祈ったに違いありません。また昨日は家の敷地内にあるお地蔵様の縁日なので幟を立てて祈ったことでしょう。12時30分に病院に来るよう言われていたのに11時30分にはもうスタンバイしているのです。せっかちだと思いつつ車に乗せて早めに病院へ到着しました。真新しい病院はどの部屋も清潔で、また看護婦さんも親切な方ばかりで、手術の準備時間にはお茶までいただきました。

 手術は1時から始まりました。普通だと10分か15分で終わる予定だそうですが、親父は麻酔が聞かなかったのか30分もかかってしまいました。本来だと手術した左目はガーゼで塞ぐのですが、暮しの不便だろうとプラスチックの透明な眼帯をしていただきました。生まれて初めて目の見えない親父の手を引いて病院から駐車場へ移動し車に乗せました。手術後の安堵と不安、それに折からの寒さで体が少し震えているようにも見えました。

 家に帰ると少し落ち着いたのか気を取り直して暮しの準備を始めました。豆炭をガスで焼いてコタツを入れ、電気ストーブを入れて暖をとりました。手術後ですが少し明かりが見えるのでしょうか手探りでトイレにも行けるようです。本来ならずっと看病してやりたいのですが、残念ながら私は昨日が大学の講義日であるため、帰ってきた妻にバトンタッチし、長男にも電話を入れて来るよう頼んで午後4時半過ぎ出かけました。

 大学の講義が終わってわが家へ帰ったのは9時前でした。隠居へ行って見ると親父は床に伏せっていましたが、心配された痛みもなく、長男と会話しながら過ごしたそうです。食事の後の片付けも全て長男がしてくれたそうで、孫の優しい心に満足したのかそのうち眠りました。昨日の夜は親父と床を並べて寝る予定だったのですが、親父がその必要はないというものですから、午前2時頃に一度親父の寝床を確認した程度で今朝を迎えたのです。

 今日は午前9時から手術後の通院のため再び病院へ出かけましたが、術後の経過も順調で親父も私もホッとしました。九十歳という高齢ですから体のあちこちが傷んでくるのは当然ですが、これからも元気で長生きして欲しいものだと思うと同時に、私自身の健康についても今一度検診をしっかり受けたいと思いました。

 相次いで見舞いに訪れた姉や妹、そして身の回りの世話をしてくれた長男や妻など、昨日は親父にとって満足な一日だったと、「有難う」の感謝の言葉を述べてくれました。

  白内の 手術不安で 右往左往 母に祈りの シキビ手向けて」

  「手術後の 経過順調 ホッとする 祈り通じて お目目ぱっちり」

  「親の手を 初めて握り 親孝行 真似事のよう 照れくさそうに」

  「わが息子 じいちゃんどんな 見舞い来る 孫の優しさ 涙少々」

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