shin-1さんの日記

○人間牧場はもうすっかり初夏

 四国のあちらこちらからは早くも水不足で取水制限なんて話題が報じられています。確かに今年の冬の降水量は少なかったと実感しますが、田植えや工業用水など水の心配をしないで済む私たちにとってみれば日々の暮しは雨が降らない方が断然過ごしやすいのです。でもその水不足が何年か前の水不足の時のように日々の暮しに影響することを考えると雨も適当に降って欲しいと願わずにはいられません。

 重信川水系の道後平野や伊予市中心部では裸麦の収穫も終りいよいよ本格的な田植えが始まりますが、私たちの身の回りの田んぼでは連休辺りから田植えが始まり5月の下旬には殆どの田んぼが田植えを終了しているようで、毎年早くなる田植えを見ながら、俳句の季語もすっかり様変わりしたとしみじみ思うのです。かつては田植えは農家にとって重労働の連続でした。牛を使った代掻きや苗取り、田植えは下を見てする作業だったので腰が痛くてたまらなかったようです。喜多郡長浜町(現大洲市)に伝わる豊年踊りのひとコマでもかがんだ腰や背中を伸ばすユーモラスな仕草が面白く表現されていますが、今は全て機械苗は専門農家に生産委託し、代掻きも植えるのも全て機械ですから、機械のいいのを持っている人は土に触って汚れることもなく農作業が出来る世の中になりました。しかし稲作農業は機械貧乏といわれるように機械に金、苗に金、農薬に金、手間に金と差し引けば完全に赤字になる農業者が大規模農業を除けば殆どだとも聞き及んでいます。田んぼに水を張った中に整然と植えられて早苗の姿はまさに阿部総理のいう「美しい国日本」を髣髴させるものです。

 人間牧場に3回目の初夏がやって来ました。一年目の初夏はまだ構想の域を脱していなかったので正式には2回目ですが、今年は過去の季節のめぐりを頭に入れて農作業を行い、既に2回も草を刈るなどかなり手入れが行き届いた感じがする今日この頃です。その人間牧場に大きな栗の木が一本立っています。「大きな栗の木の下で」の歌の題名ではありませんが今年も沢山の花を付けています。その威容たるやまさに堂々として緑の若葉を衣のようにまとった姿はまさに人間牧場の初夏を彩る原風景なのです。昨年はこの栗の実さえイノシシにやられ何ら打つ手もなく今年を迎えているのです。

 一方11本ある梅の木は今年も沢山の実を付けていて、去年の60キロほどではありませんがかなりの収穫が期待できそうだと内心喜んでいましたが、一週間前に吹いた南西の風に木々を揺らされかなりの量が落果しているようです。今日の新聞に七折の小梅の収穫最盛期の記事が載っていたので、もう果肉は十分食用になると思い、落果した梅の実を拾って我が家へ持って帰りました。梅果実酒なら使えるかもしれない3キロの梅の実を妻に見せると、妻は余り乗り気ではないようなので、自分でやってみようかとも思っています。

 時ならぬ南からの大風は表面には出ませんが、収穫間近な梅の実やビワにかなりの被害をもたらせたようです。梅はまだしもビワは袋かけという作業をした労働を考えると笑って済まされる被害ではないようです。

  「海バック 人間牧場 鮮やかに 緑の衣 初夏真っ盛り」

  「南風 梅を落として 去って行く 風に文句の 一つや二つ」

  「梅酒にと 落ちた梅を 一個ずつ 拾い集めて 妻に献上」

  「収穫の 時を待つよな 梅の実に もう直ぐだよと 声を掛けつつ」

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shin-1さんの日記

○忘れじょう

 今朝は昨日の雨が嘘のように晴れ上がり少し肌寒い感じのするすがすがしい朝です。例によって朝起きると敷地内別棟の隠居に出かけ、日課である親父のご機嫌伺いです。親父は既に朝の散歩も終わっていて今日の作業の準備をしながら私の来るのを待っていました。昨日あった事をまるで子どものように私に話すのです。90歳になる親父ですから耳も遠く、同じ事を必ず二度問い返したり答えたりしながらの会話なので魔泥腰いのですが、これも年寄りへの対応であり長男の務めと自分を納得させて対話をしています。

 親父の話によると昨日は近所の金物屋へ買い物に出かけたそうです。ところが店で買い物をしてお金を払うようになって財布を忘れていることに気がついたそうです。お店の主人は顔見知りで「いつでもかまわん」と言ったそうですが、親父はその言葉が嬉しくて「年寄りなのでまた払うのを忘れたらいけないのでこれから帰って持ってくる」と言い残して再び財布を持ってその店を訪ねたようです。「歳をとると物忘れが多くボケていけません。」と詫びを入れたそうですが、親父の心配は物忘れがひどくなったことだそうです。私はその話を聞いて「じいちゃん、財布を持っていない事を思い出したり、それを取りに帰る道を覚えているんだから大丈夫よ」と褒めてやりましたが、笑いながらどこか空しく歳をとることや死への不安がよぎっているようでした。

 歳をとれば誰でもピーク時のような記憶力は望むべきもありません。これは当然のことなのですが、それを悲観的に考え過ぎると「ああ俺も歳か、駄目かもしれない」と右肩下がりになってしまうのです。私は親父に「じいちゃん歳をとると忘れるのは当たり前、わしだって物忘れはあるよ」と自分を引き合いに出して話してやるのです。人間は忘れないと覚えていることがいっぱいあり過ぎて頭が爆発するらしい」とありもしない他愛のない話をしました。昨日のことも今日のことも全て覚えていると人間の脳は覚えることで混乱するから、忘れるのが丁度よいのです。

(中国四国青少年施設長研修会風景、顔なじみの大洲青少年交流の家の所長さんも参加されていました)

 そういえば私もつい最近は忘れることが多くなったように思います。私は出かける時忘れ物をしないよう心がけているつもりです。腕時計、携帯電話、ハンカチ、名刺、免許証などいわゆる出かけるための7つ道具を手で触って確認するのです。気になるカバンを提げていざ出陣です。ところが昨日は中国四国地区青少年教育施設連絡協議会一説長研修会が県立中央青年の家であって記念講演を頼まれて出かけたのです。前日の帰りが遅かったためレジメの作成が遅れ早朝になってしまいました。仕上がったレジメをプリントアウトするまでは完璧でした。それから食事を済ませて出かけたたものの、青年の家に到着してはたと気がつきました。プリンターの上に置いたままのレジメの存在を・・・・・。しまったと思いましたが後の祭りです。でも今の世の中は便利です。家内に電話をかけ青年の家のFAX番号を知らせて送ってもらい事なきを得ました。

 昨日の夜は日程のダブリでこれまたドタバタ劇です。自分ではちゃんと管理しているつもりでも相手とのコミュニケーションが上手くいかずお互いの思い込みで遠方から次の予定地まで移動できなくなってしまいました。講演が終わればそれで移動できると思っていた日程が夜の部の研修まで予定されていたのです。どちらを優先するか迷うのですがどちらも中途半端にある恐れがあるので、怒られるのを覚悟で決断しました。物忘れが自分の範囲内で終わればまだ良いのですが思いこみや勘違いによって相手に迷惑を掛けることの愚かさをしっかりと肝に銘じた一日でした。

 親父の物忘れという病気は息子の私にもまるで麻疹のようにうつりつつあるようです。物忘れの予防注射はないものかと思ったりしました。

  「物忘れ しないと頭 爆発す そんな戯言 親父笑って」

  「物忘れ しない注射は ないものか 多少高くも 求めるものを」

  「しまったと 何度も驚き 来たことか 俺の人生 ど忘れ人生」 

  「ああ俺も 親父の度忘れ 遺伝した 思えば親子 似てるもんだな」

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shin-1さんの日記

○凄いパワーの婦人会

 先日の日曜日、愛媛県では東の端ながら四国の中央と自認し合併した市の名前を四国中央市にした、市の婦人会総会に招かれ出かけました。新宮村、土居町、伊予三島市、川之江市が合併したため婦人会も大きくなり、出席者も多いと思われがちですが、この婦人会は旧市町村単位の婦人会にも何度かお邪魔していますが、とにかくよく集まりとにかく元気です。この日も会場となった三島福祉会館大ホールにはいっぱい人が詰めかけステージで話す私に大迫力を感じさせてくれました。

 四国中央市教育委員会職員とのメール・電話のやりとりで講演の打ち合わせを行いましたが、世の中には偶然の不思議な縁があることにも驚きました。先日愛媛県昇任校長・教頭研修会で横の席を引き当てて座った川之江南中学校の河村教頭さん(ブログで紹介済み)のお母さんが、何と連合婦人会の会長さんなのです。しかもこの日は河村教頭先生がお母さんを会場まで車で運ぶというおまけまでついていました。あいにく先生が部活動の指導のためとんぼ返りしなければならないことや、私と時間がずれていて出会うことはなかったのですが、メールのやり取りでこのことがイモヅルのようにつながって思わず苦笑してしまいました。とにもかくにも驚きました。

 さて最近は日本全国何処へ行っても婦人会という名の団体は退潮現象が顕著で、消滅したり消滅寸前の姿を目の当たりにします。かつては青年団とともに2大勢力を誇示した婦人会ですが、青年団などはもっとひどい状態でその組織のないまちやむらも多いようです。青年団も婦人会も戦後日本の復興に大きな役割を果たしてきたことは言うまでもありません。しかしそのような伝統が古い支配体質を生み、名前が古いとか役員になり手がなく次々と組織離れが起こり現在を迎えているようです。そんな実態を何とか解決しようと婦人会という名称を止め、女性の集いや女性ネットワークなどという名称に変えてみたものの、中身の変身が出来ず、結局は婦人会崩壊を早めてしまった所もあるのです。

 こうした婦人会の退潮を誘発したのは時代の流れに合わなくなったからだけではありません。行政と教育委員会の無策や安易な便利利用による原因も見逃すわけにはいきません。婦人会の役員=夫人の代表と勘違いして全ての公職を押し付け、火事や災害の度に炊き出しなどの雑用に酷使し続けてきたのです。当然役員の忙しさは倍増し「役員は忙しい」というイメージを植え付け役員になり手がなくなったのです。また社会教育団体として指導助言に携わるはずの教育委員会社会教育課も婦人会=婦人学級として文部省の補助金事業を押し付け、本来の婦人会の自由を補助金や助成金を餌にがんじがらめに縛ってしまったのです。特に婦人会の指導助言が担当者の無知で無策過ぎたことも反省しなければならないのです。

 「婦人会は何故なくなるのか?」、こんな質問に婦人会の役員は「メリットがないから」と答えます。「メリットって何?」と尋ねたら「シャンプーのことでしょう」何て笑い話が思い出されます。世の中には好きなことだけをする人をこの指止れ的に集めると目的がはっきりするので意識も高く、よく人が集まります。しかし婦人会のような組織は目的が多様で「婦人の暮しを高める」なんて漠然とした目的のためにかえって人の心を引き付けることが出来なくなっているのです。市民には好きなことだけをすればいいといった権利主張型市民もいますが、市民がわが住むまちに何が出来るか義務や参加参画を考えないとまちは自立の方向に向かないのです。

 私が提唱するまちづくり3つのキーワード、「楽しい」「新しい」「美しい」は婦人会でも求めて欲しい運度や活動のキーワードのような気がするのです。

 追伸

 後日私の基に御礼や感想といった沢山のハガキが届きました。打てば響く四国中央市の婦人会に乾杯です。

  「婦人会 名前が古いと 女性にし 変えてはみたが いっこう変らず」

  「婦人会 活発感じる まちの格 ないまち飛車角 なきに等しき」

  「行政の 無策が生んだ 悲劇にも 未だ気付かず 組織崩壊」

  「もう少し ゆっくりやろうよ 楽しもう 俺の話は 楽しいでしょうが」 

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