○5年目の春
愛媛大学法文学部総合政策学科の非常勤講師になってあっという間に4年間が過ぎ去りました。大学は4年で卒業だからこの際身を引くべきかどうか思い悩んだ結果、大学に勤める娘婿や友人の勧めもあって今年も教壇に立つ事になりました。大学に関わって何が一番良かったか尋ねられたら、やっぱり若い人に接することで随分気分が若返ったと実感しています。元々私は青年団活動の出身者でもあり、また教育委員会に長らく務めていたこともあって若い人とのつながりは同一年代の人に比べ比較的多い方なのですが、それでも決まったように毎週若い学生と接する仕事をしていると、本屋に行っても街を歩いていても若者向きに目が移るのですから不思議なものです。
私が今年担当する学生は24人です。夜間主のため講義は毎週水曜日の午後6時から90分の授業ですが、事業の準備をしたり学生と雑談したりする時間を含めると大学では概ね3時間くらいいることにあります。大学の経験は社会教育主事講習の折約1ヶ月程香川大学で学び単位を取得しましたが、高校卒業の私にとって最初はドギマギの連続でした。普通講演会などに行くと担当者が全てを取り仕切って、講師の私は話して質問を受ける程度のかかわりで良いのですが、大学は自分がカリキュラムを立て、自分で資料を作って配布しなければなりません。2年目からその仕事は飲み込めましたが、学生にレポートを提出させたり点数をつけたりするのも一苦労なのです。それでも昨年や一昨年の学生にたまに大学構内で会うとみんな懐かしがって声を掛けてくれ、「あのフィールドワークの楽しかった」とお世辞をいってくれるのです。先日も当時の学生がわざわざわが家にやって来て飯を食って帰りました。夜間主の学生は昔は夜学といって働きながら学ぶ人が多かったのですが、勿論アルバイトはしていてもそんな若者は殆どいないし、年齢的にも比較的若い子が多いのも現代的だと思うのです。
昨日はデジカメを持っていたので愛大キャンバスの緑したたるケヤキ並木の風景を写真に収めました。1ヶ月前には枯れ木のように殺伐としていた校庭も昼なお暗い雰囲気になっています。ただ惜しむらくはベンチの置かれた広場には学生が飲んだであろうジュースの空き缶やペットボトルが片付けられもせず無造作に置かれて美観を損ねていました。私もビニール袋で時々学生に見えるようなこれ見よがしに清掃するのですが、変な目で見られる程度で一向に改まる気配はないのです。私は思うのです。大学も小学校や中学校、それに高校のように自分が使った場所の掃除くらいはさせても良いのではないかと・・・・。こんな本音と建て前の違う教育を幾らやっても、社会に役立つ人間は育たないと思うのです。昨日は先生か学生か分らない中年の方が私と同じように空き缶を片付けていました。余りの嬉しさに「有難うございます」と声を掛けましたが照れくさそうに去って行きました。
大学で空き缶やタバコの吸殻とともに困るのは自転車の駐輪マナーの悪さです。今年から私たちの駐車場はカードを差し込んで裏口から入る場所に移動しましたが、これまでは私たちの駐車場の入り口に車が入らないほど駐輪するのです。その度に車から降りて自転車を片付けなければなりません。雨の日などはずぶぬれになったこともありました。愛媛大学の向かい側には一本の道を挟んで私立の松山大学があります。仕事柄この大学にも行くことがありますが似たり寄ったりのようです。
少子化の影響で大学も生き残りを掛けて色々な策をうち学生の確保にやっきになっています。私だったら「日本で一番美しい愛媛大学」なんてキャッチフレーズを掲げ、学生と先生みんなでピカピカの大学を作ったらみんなこの大学で学びたいという心境になるかも知れません。そんな大学に私の教室だけでも心がけて行きたいものです。
「小中高 掃除するのに 大学は 何でしないの 不思議でならぬ」
「緑濃い ケヤキの並木 くぐり抜け 学生たちの 顔見る楽し」
「先生と 言われるほどの 馬鹿でなし それでも今は 私先生」
「靴並べ 言われて学校 出来るのに 家庭で何故に 子どもできぬか」