○1冊105円の本
東京へ行くと決まったように本屋さんに立ち寄って何冊かの本を買って帰るのが私の習慣になっています。別に松山の書店でもいいのですが何となく本の数が違うような気がしたり、日本一早い情報を少しでも早く求めたいと思う田舎者の心理なのでしょうか。ところが昨日は東京へ行ったものの本屋へ入る時間がなく新宿を歩いていると一軒の古本屋が目に止りました。早速中へ入りましたが、驚いた事に新品同様の本が所狭しと並べられていて、その金額も驚くなかれ一冊105円という安さなのです。私はやはり貧乏人なのでしょうか余り金額的に高い本は買いません。読みたい本であっても裏を見て金額が高いと立ち読みすることにしています。勿論タダで立ち読みするのですから、立ち読み代として安い本をいい訳程度に買って店を出るのです。
昨日は105円の本を4冊買いました。その中の一冊に森山透著「50代で考えること」というのがありました。新刊は1300円+税なのですが古本なので105円です。誰が古本屋に持ち込んだかは知る由もありませんが、汚れてもいないので買い求め面白くて帰りのバスの中で殆ど全部を読んでしまいました。
私は現在62歳で、50代をとっくに過ぎていて書いていることは役に立たないかもしれないと思いつつ読みました。でもこの本に書かれていることは今の自分に当てはまることが多くとても参考になりました。森山さんは自分の経験を、50代の定年前の人に対してメッセージしているのです。
森山さんは一流大学を卒業、サラリーマンとして一流企業に就職し海外勤務を経験しています。幼い子どもと奥さんを連れてニューヨークに赴任し、彼の人生はばら色に見えました。ところが会社人間にとって家庭を省みる暇もなく、異郷の地で子どもを抱え不安な日々を暮らす奥さんのことなど殆ど眼中にありませんでした。ある日のこと帰宅すると居るはずの奥さんはメモを残して日本に帰郷していたのです。忙しい職責ゆえ誰にも打ち明けられず追いかけて買えることも出来ず、結局半年後に帰ったものの3年後に夫婦の間は破局を迎えたようです。転職を余儀なくされ、その職場も何年か後にはリストラに会い、死ぬことさえ考えた悶々の日々をまるでドラマのストーリーのように書き綴っています。
命をかけて守ってきたものは家庭や身の回りの人でなく会社であったその会社さえも、いとも簡単に平気でリストラする会社に捧げた男の半生とは一体何なのか、問いかけているのです。
人間は80まで生きると仮定すれば個人によって多少の差はありますが、20年間は親や社会の比翼の中で生きています。仮に20歳から働き始めると40年働いて定年の60歳です。だとしたら第2の人生はまだ20年もあるのです。団塊の世代がリタイアして世の中にどっと流れ出てきていますが、彼らにとって会社とは一体何だったのか、自分の人生とは一体何か、まさに男のアイデンティティが問われているのです。人間はここを引きずって生きています。でも過去の肩書きや名刺は定年後は何の役にも立たない事を辞めて始めて気がつく愚かな人間が日本には数多くいるのです。年間自殺者3万4千人の中には定年を迎えることもなくリストラされて路頭に迷う人だっていますから、転ばぬ先の杖ではありませんが、定年後の人生についてもっと50歳代から考えてほしいと彼は願っているようです。
定年から始まる人生の仕上げの時代をどう楽しく生きるか、これこそ人間が人間として生まれ人間として死んで行く20年の生き方が試されているのです。
2年前にそんな会社人間にいとも簡単におさらばし自由人になった私には作者森山透さんの話がわがことのように思われました。幸い私にはなんだかんだと言いながらも妻と家族という絆もまだ残っています。更には人生を乗り切る羅針盤や海図のような生活設計と年金が少ないながら最低限の暮しを支えるほど用意されています。でも家族も資金も健康で長生きというストーリー通りならいいのですがその保障は何処にもないのです。
生きる意味を考えさせられるたった一冊の105円の本の価値は、私にとってどんな著名な著書より、どんな高価な著書より大きな示唆を与える値千金の本だったようです。多分この本は私が手にとって買い求めなかったらいずれ紙ごみとしてシュレッターにかけられることもなく焼却処分される運命にあるのかもしれないと思うと、妙にいとおしくなりました。多分私はこの本を大切にして生きて行くことでしょう。
私の今年のベストセラーはこの本かも知れません。本屋さん有難う。
「何気なく 立ち寄り見つけた 古本を なるほど言いつ 納得して読む」
「古くても 必要性で 物の価値 高くもなったり 低くもなったり」
「百五円 安い割には いいものを 手に入れさすが 東京たのし」
「俺古い 古本骨董 店歩き 目利き褒められ 思わず買った」