shin-1さんの日記

○孫の遠足と孫の誕生

 娘の第2子お産が近づき、昨日が予定日でした。県立中央病院で助産師を勤める娘ですから、お産など朝飯前かと思いきや、何と何と大騒動で、流産の兆候があるとかで新年早々2ヶ月間も入院し、そのため孫のお守りをしなければならずわが家が大騒動でした。もうそろそろ生まれるかも知れないと大事を取って昨日予定されている孫の遠足はおじいちゃん対応となってしまいました。親馬鹿ならぬおじいちゃん馬鹿になって昨日は妻の作った弁当を2人分リュックに入れ目的地である砥部動物園の玄関集合ということで9時過ぎに出かけました。空はどんより曇り、今にも降り出しそうな雲行きの中をカッパと傘持参で遠足です。

 孫にとってはおじいちゃんと遠足に行くなんてことはないために、昨晩寝るまではかなりご機嫌で、おやつのお菓子をリュックに出したり入れたりしていましたが、寝るころになってホームシックなのでしょうか、「お父さんと遠足に行きたい」とダダをこね始めました。結局は大学に勤めるお父さんに都合をつけてもらい、仰々しくも3人での遠足となりました。電話で連絡したとおりおとうさんが10時過ぎに動物園入口までやって来たのを見てそれは嬉しそうで、思わず私の存在などどうでもよく、さっさとお父さんにくっついて離れませんでした。

(さあやるぞ。気持ちは一人前、行動はノロノロ半人前)

(先生の注意事項に熱心に耳を傾けていました)
(お父さんが一番、おじいちゃんは忘れ去られた人でした)

 やがて幼稚園のノロノロ歩きの長い集団が動物園の中を歩き始めました。お目当ての動物の前で大きく声を上げたりポーズをとるなど様々な表情を見せて、動物園の折の中にいる動物よりも子どもの表情の方が何ぼか面白いと思いました。この日は私たちの幼稚園のほかにも幾つかの子ども集団や若者集団が遠足らしく、行く先々で見慣れた顔に出会いました。

 今の子どもは歩くのが苦手なのか体力がないのか、最初は元気だったのに1時間半も経った昼ごろにはまるでヘトヘト、昼食を食べる予定のモンキー広場ではお遊戯などそっちのけでベンチに腰掛け、背中のリュックサックに入った弁当やお菓子を盛んに気にしていました。さあお楽しみの昼食です。思い思いの場所に陣取って食べ始めました。鼻をつまむような動物園特有の臭い臭いも慣れてくると何てことはなく、心地よい風と受け止めて舌鼓を打ちました。

 娘婿は携帯電話で娘とお産の事について盛んに連絡を取り合っていましたが、どうやら雲行きが怪しくなったとのことで、象に持って来た果物を親子で食べさせ、早速私と孫を残して病院へ直行する事になりました。昼食後解散なので孫のリクエストに答えてトラやカバ、動物資料室、スネークセンターなど、何度も来たことのある動物園をわが者顔で私を連れまわすのです。今度は孫より私がかなり疲れ、2時に先生たちに別れを告げて動物園を後にしました。孫もさすがに疲れたのか帰りの車のチャイルドシートでは動物園を出ると直ぐにお昼寝タイムとなり、わが家に着いてからも一向に起きようとせず4時まで眠りました。

 間もなく娘婿から電話があって娘が無事男児を出産したとの知らせです。予定日きっかりに産まれるなんてやはり助産師らしいとその確かな出産に驚きもしました。仕事から帰って来た妻と孫と3人で早速病院へ駆けつけました。周産期センターではまだ分娩後の処置をしていて、7時まで面会することが出来ず、新生児も呼吸の大事をとって保育器に入ったとかで、結局顔を見ることもできず、孫も妻も少々ガッカリしました。娘婿が白い病院着を着て新生児室へ娘とともに入りカメラに収めたのを見せてもらいましたが、心配することもなく元気な赤ちゃんのようです、とにかく母子ともに健康で安心しました。

 これで孫が2人目になりました。今年の夏には長男夫婦に子ども誕生の予定で一気に3倍になり、若松家の外孫とはいいなから若松家にとってもいよいよ賑やかな家族の誕生です。妻の気苦労はもう少し続くようです。

  「さすがだね 助産師だけの ことはある 予定日どおり 子供生まれる」

  「動物園 オリの中より オリの外 気にする遠足 孫の行方を」

  「鼻つまむ 臭い臭いの その中で 弁当広げて 何ともなしに」

  「お兄ちゃん なったと俄然 胸を張り 自覚できたか 口で強がり」

 


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shin-1さんの日記

○子どもを守り育てる

 「私たちの子どもの頃は・・・・・・」とついつい口に出る話は、平成の時代が19年間も続くともう昭和の話しなど昔話になってしまいました。ましてや戦後の緩やかな時の流れとは比べものにならないほどのスピードで世の中が変化し、時折ついて行けないような気持ちにもなることがあります。私たちが子どもの頃は田舎にも人が溢れ、子どもの数も相当いて学校は田舎ながら必ず学年2クラスもありました。小さな校区なのに分校が2つもあって4年生になると閏住分校から、中学校になると富木分校からそれぞれ同級生が編入され、それは賑やかでした。いつの頃かその分校も統合によって火が消えて本校といわれた小中学校さえ児童生徒の激減で複式や統合がささやかれているのです。

 そんな子どもを巡る教育事情は地域にも暗い影を落とし、学校の統合は地域が消えるととばかりに地域の猛反対にあって中々統廃合が出来ない状態が続いているようです。小さいながら教育長として教育行政を預かった経験からいうと、いじめや教育基本法もさることなながら、田舎の児童生徒の減少こそ「教育の危機」だと思っています。私の学校教育に対する基本的な考え方は、「小学校は児童が歩いて行ける距離に設置、中学校は学力重視、活動重視で統合」でしたから、当面わが町に2つある中学校は統合を急がねばなりません。部活もままならないようでは子どもたちの将来に禍根を残すと、2年間の教育長時代に統合の道筋を(地域と行政の合意)つけたつもりでしたが、未だにその方針が実行されないのは怠慢では済まされない大きな問題だと思っています。波風や反対を恐れては何も出来ないと思いつつ、一線を去って影響力のないわが身のジレンマを寂しく感じてい増す。

 私たちの子どもの頃には何処にでもあった子ども会がなくなりました。私たちにとって子ども会は楽しくも思いで多い子どもによる子どものための活動でした。季節ごとの催しがあり、補修的な勉強も子ども会でやったものです。また公民館の掃除や村祭りの参加など子どもの社会活動も活発で、生き生きと輝いていたように想うのです。

 一昨日園芸組合の総会に招かれ会場となった下灘コミュニティセンターに行きました。センターの二階には児童館のような部屋が2つあり、地元の子どもが熱心に勉強したり楽しそうに遊んでいるのです。これは児童数の減少に対応して放課後の安全と有効活用を考えて設置しているものです。予め登録された児童たちは学校が終わるとこの部屋に直行して、指導員の女性2人の指導の元宿題や読書をして過ごすのです。児童たちの家庭は農業や漁業なので帰ってもかぎっ子なので、勉強が終われば夕方まで児童館やその周辺の遊び場で過ごし、夕方になると迎えの車でそれぞれの家へ帰って行くのです。この方法は行政も学校も地域も家庭も、子どもまでも全幅の信頼を得て運営されていますので、俗に下灘方式としてすっかり定着しています。むしろ子どもが少ないことが生んだ知恵として高い評価を受けているのです。

 中に入って子どもたちに話しかけても実に子どもらしい反応が返ってきます。青少年おもしろ教室の代表をしていることもあって顔見知りの子どもも多く、私の事を「進ちゃん」などと愛称で気軽にすり寄ってくる子どもたちと1時間余り会話をしましたが、実に素直な子どもたちです。嬉しいのはインストラクターやアドバイザー、サポーターのような役割を一手に引き受けている2人の女性の存在です。子どもは放っておいたら無秩序になりますが、教育一つで整理整頓や相手を思いやる気持ちがどんどん育つのです。見るからにいい運営が出来ているなと思いました。

 子育ては自分の家庭だけでは絶対出来ません。子どもにとって子ども社会や遊びでの学びが重要な意味を持っています。この児童館には子ども社会と遊び、学び、躾、秩序があるように感じました。子どもを守り育てることの難しい現代の知恵袋なのかもしれないとほのぼのとした気持ちで部屋を出ました。子どもたちが「また来てね」と笑顔で手を振り見送ってくれました。

  「本を読む、宿題もする 子どもたち 学びの多さに 思わず拍手」

  「田舎ゆえ 出来る知恵あり 児童館 まるで蜂の巣 子ども歓声」

  「伝記読む 子どもに自分 ダブらせて 夢を描いた 懐かし日々を」

  「パソコンの ゲームオープン これがいい 巣篭もりしない 友とワイワイ」

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