shin-1さんの日記

○キツツキの死

 「若松さんですか。人間牧場のロケ風呂に張った網に鳥が絡まっていますが、まだ生きているので網を切って逃がしましょうか。それと・・・」と携帯で連絡が入ったのは2日前でした。教育委員会の職員2人が今月26日に行う人間牧場での少年少女おもしろ教室の準備下見を兼ねて出かけての発見でした。私は急なことなので言われるように野鳥愛護の立場で網を切って逃がすべきか、それともそのまま残酷にも殺してしまうか随分迷いました。でも人間のエゴとはいいながら人間牧場の外壁をやりたい放題穴を開けて知らんふりしているキツツキを許すことが出来ず、結局は「そのままにしておいて下さい」と告げて電話を切りました。

 事の発端は人間牧場の水平線の家が完成した一年半前ころから家の外壁に何やら穴が開き始めたのです。最初は何で開くのか原因が分りませんでした。私が人間牧場へ行っている時は人の気配を察知して寄り付かなかったキツツキが、慣れてくると中でお喋りをしていても、くちばしてコツコツと穴を開け始めたのです。手をたたいたり中から内壁をたたいて脅かしたりしますが一向に止む気配はありませんでした。業を煮やした私は息子と相談してカラスのダミー威しを吊ったりしましたが効き目がなく、新築の水平線の家は何ヶ所も穴を開けられて台無しになりました。それでも人間と野鳥の共生などと格好いいことをいって、穴はその都度大工さんにお願いして継ぎ接ぎして修理していました。やがてロケ風呂が完成すると今度はその外壁に穴を開け始め、これまたひどい状態となり、打つ手なしといった状態で、ブログに穴の状態や何か妙案はないか書いたのでした。結局妙案もなく長男夫婦と次男は先週末に大工さんに長いはしごを借りて網を取り付けました。利口なキツツキのことなので私もその効果については半信半疑でいました。ところがところが早速冒頭のような捕獲となったのです。このキツツキが穴を開けた犯人であるかどうかは指紋もないしわからないのですが、その責任を取ってキツツキは網に絡まり短い一生を終えたのです。

 今朝人間牧場へ草刈作業に出かけ、網にかかったキツツキの死骸を網から話しました。もがいた様子や外壁に爪を立てる鋭い足、それに鋭いくちばしが自分を自滅へと追いやったのです。

 キツツキには色々な種類があるようですが、今回網にかかったのは頭の上に赤い冠のような毛が生えて赤ゲラだと人目で分るような姿でした。羽根はウグイス色でとても美しく、こんな綺麗な鳥が何で悪さをするのか不思議に思うほどなのです。

 私はキツツキの死骸を袋に入れて持ち帰りました。そしてその写真を撮りました。2ヶ月前家の池で飼っている鯉が一匹死んだ時、親父が畑の隅に埋めて小さな鯉のお墓を作っていますので、その側に穴を掘り埋め戻してお茶とお菓子をお供えしてねんごろに弔いました。悪い事をした鳥をそこまでと思われるかも知れませんが、これが私の最大限のキツツキへの譲歩なのです。

 人間牧場を開設して1年余りが経ちました。その間イノシシによるサツマイモの全滅被害を始め、自然との共生や環境問題などといいながら様々な出来事に直面し、その度に共生の難しさをしみじみ考えさせられてきました。特に被害甚大だった外壁はその度に大工さんのお世話になって修復をしてきたのです。私も息子もキツツキへの憎しみは限界を超えていたようです。

 この写真は3月31日に書いたブログの記事に添付したロケ風呂外壁のキツツキ被害の状況です。この反対側も同じような被害に遭っていますが、犯人死亡のままキツツキ君を不起訴処分にすることにしました。この上はキツツキ君の家族や仲間が同じような過ちを繰り返さないよう天国から祈ってください。南無阿弥陀仏。

  「お尋ねの キツツキ網に 引っかかり あえなくあの世 南無阿弥陀仏」

  「キツツキの つつき痕跡 今はなく コンコンコンと 音のみ耳に」

  「へえこれが キツツキ鳥か まざまざと 手に取り姿 哀れを誘う」

  「キツツキは 深山の鳥と 思いきや 里の近くで 悪さの限り」


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shin-1さんの日記

○讃岐路を旅する

 昨日は合併して出来た香川県三豊市の保育研修会に招かれました。香川県西部に位置する観音寺が途中にあるものですから久しぶりにぶらりカメラを提げて周辺讃岐路を散策しました。長閑な初夏の観音寺周辺は昼下がりということもあって観光客もまばらでしたが、小高い山の上から銭形公園を見下ろす風景は何時見ても絶景で、改めて人間のなせる知恵と技に感心しました。この古銭を模して造った砂絵は藩侯巡視の折藩侯を慰めようと地元の人が造ったそうですが、百数十年を越えて今でも年に一回市民ボランティアによる砂ざらえで大切に原型を留めているというから大したものです。これぞ文化を重んじる日本の心だと思うのです。

(燧灘の青と松の緑が見事にマッチしていました)

(周囲300メートル余り、上下と左右の長さが微妙に違うものの、遠望では殆ど正確な円形に見える砂絵を、よくもここまで仕上げてものです)

 この山を下った所の道上に値上りの松がありました。松の幹はそんなに大きくはありませんが、まるでタコが足を広げた、いやひょっとしたらタラバガニが足を広げたような格好の奇妙な姿は、凄い年月をかけて根のマサ土が風雨で流されて出来たのでしょうが枯れもせずひっそりと生きていて、訪れる人も少ないのかゴミや落ち葉が散乱していました。運良く車の中にゴミ袋を持っていたので車まで取りに下りて再び戻り、観光カリスマ百選としてみて見ぬふりも出来ないので、ひとり清掃活動をしました。遍路の姿をした若いカップルが登ってきましたが、清掃する私をまるで邪魔者ように無視して携帯カメラでキャーキャーいいながら柵の中に入って値上がり部分に登り写真を撮っていたので、「ここは入ってはいけません。木にも登らないで下さい」と厳重注意をしてやりました。遍路姿を何と心得ての巡拝なのでしょう。日本人の旅の心を知らない若い不届き者もいるものです。

 折角なので、二つのお寺に参拝しました。このお寺は珍しいお寺で、山門をくぐると同じ境内に2つの札所があるのです。

 石段から見上げた場所に彫刻を施し扇垂木を配した立派な鐘楼があり思わず見とれてしまいました。

 また境内には二つのお寺の本堂を結ぶような場所に根元のそれは立派な大きな楠木がでんと座っていました。何の説明版も見当たりませんでしたが、これも銘木に数えられる曰く因縁のありそうな大樹とお見受けしました。八十八ヵ所参拝の途中にこの木にもめぐり会っているはずなのに、思い出せないのですから私の記憶もいい加減なもののようです。


 さてすっかり道草をしてしまいましたが、研修会の会場となっている旧仁尾町文化会館を訪ねました。会場では役員さんが大勢玄関まで出迎えに出ていただいていて、関係者180人は既に着席して開会を待っておられました。使用前・使用後ではありませんが、この写真が講演会の始まる前のリラックスした会場風景です。

 

 下の写真は1時間半話した後の写真です。参加者は講演などを聞きなれているのでしょう。反応がとてもよくってビンビン跳ね返って、最近では一番話しやすい研修会だったようです。それぞれの心にどう響いたか知る由もありませんが、まあよかったのではないでしょうか。私は再び元来た道を引き返しわが町わが家を目指してひたすら走りました。

  「讃岐路も 高速道路で 近くなり 昼出て所用 夕方帰宅」

  「寺参り 話す雑談 国なまり ちゅうちゅう言うは 高知弁だな」  
  「反応が 良くって悦入り 喋り過ぎ 時間オーバー これはしまった」

  「根上がりの 松に登って 写真撮る 偽善者ぶって 注意促す」 

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