shin-1さんの日記

○何故私はコーヒーを飲まないのか

 「コーヒーは如何ですか」。「いいえ私はコーヒーを飲みませんので」。今までこんな会話をどれ程したことでしょう。中には懇切丁寧に「どうしてですか」と尋ねる人がいますが、「どうして」といわれても嫌いなものは嫌いなので答えようがないのです。私が始めてコーヒーを口にしたのは中学1年生の時でした。私の住む町は田舎でしたし私が生まれたのは昭和19年ですから、カレーやマヨネーズなどに出くわすのも随分遅れていたように思います。多分その遅れからでしょうか中学1年生までコーヒーに出会っていないのです。ある日の夜中学校の宿直室へ勉強を教わりに宿直の先生を訪ねました。先生は私のためにインスタントながらコーヒーを入れてくれました。勿論砂糖は白砂糖、クリープなどありませんでした。その時のコーヒーの苦かったことは今でも忘れることができないほどでした。さらに困ったことにそのコーヒーのカフェインのお陰で、その夜は一睡もすることができませんでした。「コーヒーは苦くて不味い」これが私の第一印象で、あれから50年間も私はコーヒーを口にすることはなかったのです。同じように若い頃ウイスキーをボトル一本空けて上げ下げして、「俺の口にウイスキーは合わない」と勘違いしてから、ウイスキーを口にすることはありませんでした。(誰が飲んでもボトル一本空けると二日酔いは当然だという事を後で知りました)。

 中学校1年の時のことなので今なら飲めるのかも知れませんが、何故か私にとってコーヒーとウイスキーは嫌いな飲み物なのです。そんな私の長男がよりにもよって喫茶店を営む娘さんと結婚したのですから、嫌がらせとしかいいようがありません。私は娘となった長男嫁の実家が経営する喫茶店にちょうちょく顔を出しますが、私が行くと手馴れたものでブラックならぬホワイト(牛乳をホットにする)を出してくれるのです。

 一昨日広島に行った折も相手がコーヒーを注文しそうになりました。「私はコーヒーを飲まないので結構です」と断ると、「じゃあ紅茶にしましょうか」で、紅茶と相成りました。



 差し出された一杯の紅茶は講演前の逸る気持ちを押さえて私の心を落ち着かせてくれました。コーヒーを飲む人も多分私と同じようにコーヒーを飲むことで落ち着くのでしょう。しかしコーヒーを飲まない私にとって理解し難いことが一つあります。それは食後のコーヒーなのです。妻は美味しい食事の後に食後のコーヒーを飲みます。多分食後のコーヒーをたしなむ通の方は、私の理解し難いこの発言を笑うことでしょうが、世の中はこのように色々な人がいるのです。

 私はどちらかというと日本茶派です。日本食の食後に美味しい日本茶を飲むと何となくホッとします。これからも多分死ぬまでコーヒーとウイスキーは飲まないでしょうが、私は人から言わせると変わった人のようです。

  「コーヒーを 飲まぬ原因 聞かれたら 50年前 苦かったから」

  「コーヒーを 飲まぬ私の 長男に 喫茶店から 何故か嫁さん」

  「紅茶飲む ホッと一息 安らいで それじゃボチボチ 始めるとするか」

  「コーヒーも 飲めないなんて 田舎者 言われてみても 飲めない自分」 

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shin-1さんの日記

○経由地が拠点地に

 どちらかというとまちづくり談義は中山間地からの要望が多いため、私の訪問する場所は田舎が多いのです。そのため大都市と言われる広島・博多・岡山・大阪などはこれまでそんな田舎への経由地的存在でしたが、つい最近は広島や博多などでの講演会が多く、多少の戸惑いを感じながらも出かけています。一昨日は中国経済連合会の開催する観光振興委員会に招かれ広島へ出かけました。四国と本州には3本も橋がかかっていますが、西に位置する松山や広島からは遠い位置にあって利用しづらく、松山~広島は高速船かフェリーを使います。高速船だと1時間15分、フェリーだと2時間半なのですが、フェリーの運賃は2時間半も乗って2900円なのに、高速船は1時間15分で6300円もするのです。ゆっくりのんびりできない所用の時は「高いなあ」と思いつつも結局時は金なりで早くて便利な高速船を使ってしまうのです。


 この頃の瀬戸内海は春の海という表現がピッタリの穏やかさで、松山と広島を結ぶ航路はとても快適な船旅でした。いつも通る見慣れた光景でも音戸の瀬戸を通って寄港地呉港付近になると、みんなの目は俄然外に向けられます。石川島造船のドックには見たこともないようなでっかい船が艤装作業をしていたり、海上自衛隊の潜水艦や艦船が停泊していたり、また呉の港には大和ミュージアムがあったりで、結構目を楽しませてくれるのです。

 今回の講演会は広島平和大通りに面した三井ガーデンホテルの5階会議室でしたが、このホテルはかなりグレードが高く私などのような庶民には縁遠い場所だと思いつつも90分のおしゃべりをしました。メンバーには瀬戸内海汽船会長さんやかつて東京ロマン亭の経営にも携わった西林洋治さんもいて、こちらもかなりグレードの高い方々でした。

 広島は行く度に大きく変貌発展を遂げています。特に宇品の港周辺の開発は著しく、道路網の整備や大型ショッピングの進出は目覚しいものがあります。タクシーで通った場所には広島に本拠地を持ついづみが専売公社跡地に大きな出品具センターを建設していました。

 講演が終わると折り返しの高速船で宇品の港を後にしましたが、僅か1時間15分の船旅を経て松山に帰ると、ここが愛媛の中心なのかと見まがうほどな規模の小ささを感じずにはいられませんでした。ビルの高さも、道幅も、車の交通量も、道行く人までもが都会と田舎と感じる落差です。でもなぜかホッとするのは私が田舎者だからではなく、四国らしい穏やかな気候風土と人情味なのでしょう。普通の人だとこの状態を見て広島は活気があっていい、松山は発展性がないなんて言葉を口にするのでしょうが、私は発展することだけがいいとは思わないのです。少し視点を変えてみるとそこには幾つもオンリーワンの良さが見えてきます。来月に入ると統一地方選挙で県会議員などが様々な訳の分らぬ議論を喧しい拡声器を通して訴えます。それは自分が当選するための言い訳で、市民の幸せなど選挙に勝ってしまえばどうでもいいことなのです。

 これまでに何回か私に選挙に出ないかと熱心に勧めてくれた人がいます。でも私にとって政治の世界は余りにもウソと建て前が多くてどうしても好きになれず、結局は今のような独立独歩な道となりました。でも悔いはなく信念を曲げなかった自分をむしろ誇りにすら思うのです。

 「旅の途中」、それは目的地までの時間をもう一人の自分と語り合う時間かもしれません。行く先の目的に思いを巡らせるし、帰りには目的の成果や失敗について反省もします。それ以上に自分のこれまでの生き方とこれからの生き方を色々考えるのです。

旅は自分探しなのかも知れません。経由地が目的地になりつつある昨今、また私の価値観が少し変わりつつあることを発見しました。

  「経由地が 目的となる この頃は 旅の想いも 少し変わりて」

  「広島と 目と鼻の先 松山は 落ち着き払い 変わりもせずに」

  「庁が省 格上げされた 呉港の 岸壁繋ぐ 艦船大きく」

  「戦争の 懐古か大和 ミュージアム ミーハーぞろぞろ 日本は平和」

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