○春から冬へ逆戻り・秋田ルポ①
この3日ほど春の四国から冬の秋田へ旅をしました。松山空港から羽田空港を経由して秋田空港までの空の旅はそんなに時間もかからず、まるで隣近所へでも行くような気軽さで、かつては遠いみちのくといわれた地域も新幹線が走り、スピードの速さにはただただ驚くばかりです。それでもこのところの戻り寒波の影響で、黄色い菜の花の咲く春真っ盛りの四国とは比べものにならない雪積もる白い東北の姿は、まるで別世界のような感じさえしました。羽田から飛んだ飛行機が秋田が近くなるにつれて上空は黒い雲に覆われ、出発を前に担当者の桜庭さんから「時折雪がぱらつく寒さなので、一枚余分に羽織って来るように」とメールが入ったとおりの天気でした。上空からの写真も撮りたかったのですが、デジカメが電子機器なので利用禁止とあってその願いも届きませんでした。でも私のデジカメは独りでにシャッターを押して貴重な写真の記録一枚をカメラの電子情報として残していました。呆れたものです。多分ナマハゲの仕業なのでしょう。
空港に降り立つとその予感どおり、待合室の隅にはナマハゲの姿がありました。テレビで時々紹介されるナマハゲもこうして見ると怖いというより愛くるしいような雰囲気でした。
初めて降り立った秋田空港は少し奥まった所にあるのでそんなに思ったよりも雪は少なく、迎えに来てもらった担当の桜庭さんの案内で、少し市内を見学させてもらいました。
最初に訪れたのは平野政吉美術館でした。あいにく場内撮影禁止の看板が目に付き、場内にはいかめしい女性が絵の直ぐ側に陣取って監視しているので、ナマハゲにも化けられずこの目と心に留めましたが、藤田嗣治画伯が倉庫の中で数日間で書いたという秋田の四季の絵には、大きさといい迫力といい度肝を抜かれました。藤田嗣治の自画像や乳白色の色使いなどしか知識を持たない私には、価値さえも判断できかねますが、それでも目の正月とでもいうべき機会を与えてもらいました。秋田県立美術館と平野政吉美術館という二つの看板が同時に掲げられている姿には少し違和感を持ちましたが、指定管理者制度などが日常化する最近は珍しいことでもなく、秋田の風土だと理解しました。
続いて民俗芸能伝承館で念願の秋田竿灯とご対面です。青森ねぶたと仙台七夕とともに東北3大祭りに数えられる秋田竿灯が日常的に見学や体験できる場所とあって、私たちのような観光客には有難い場所なのですが、やはり夏の祭りを見ないとその迫力や雄姿は感動として伝わらないことを承知で、少しの感動を味あわせていただきました。
秋田竿灯は町内毎に提灯の印紋が決められていてそれが一堂に飾られていました。東北の冬は雪雲が低く垂れ込め何か侘しささえ感じますが、その分行く夏を惜しむかのごとく夜空を彩る鈍い提灯の光はやはり一度は見てみたい祭りの一つです。ちなみに大人用から子供用まで幾つもランクがあるそうですが、私は体験用の幼児用を持たせてもらいましたが大変な重さで、これを腕や腰で支え、しかも竹竿を継いで弓のようにしならせる妙技は圧巻でしょう。
この施設は秋田竿灯を展示体験できるよう真ん中が3階まで吹き抜けになっていますが、2階・3階は展示や鳴り物の練習場になっていました。3階では若い女性が一生懸命大きな締め太鼓を叩いて練習をしていました。地域の文化もこうして若い後継者に日常的に伝承されるのは良いことです。後継者不足で日本の古き良き伝統文化が廃れてゆく話を耳にしますが、秋田県民の誇りである秋田竿灯を次の世代にしっかりと受け継いで欲しいものです。若い女性が叩く太鼓のリズムを聞いていて、懐かしさがこみ上げてきました。このリズムは私たちの町に伝わる盆踊りのリズムと殆ど同じなのです。暇があったら秋田竿灯のお囃子のルーツを調べてみたいものです。
「菜の花の 咲く町発って 雪景色 日本の広さに 首をすぼめる」
「秋田杉 秋田犬など 知っている だけど遠いな 来るのはたまに」
「子供用 秋田竿灯 手に持ちて 三大祭 少し味わう」
「太鼓打つ 娘の額 汗滲む 早くも夏に 思いを馳せて」