○転居手伝い
転居と聞けば普通のサラリーマンなら人事異動に伴う住家の変更なのでしょうが、私の友人でえひめ地域づくり研究会議事務局長の岡崎さんは親の人事異動による子ども時代を含めると、驚くなかれ20数回も転勤をされているそうです。私などのように地元の役場に就職した者は人事異動といっても机が別の部屋に移る程度の異動だったので、彼らのような転勤族を何とも羨ましいものだと思いました。でもいざ実際異動をしてみるとこれは大変なことだと、今日改めて思いました。
私の末息子(三男)は念願かなって警察官になりました。警察学校を卒業して管内の警察署に配属され、交番勤務をこの一年間してきました。警察の勤務は24時間勤務ですから1日勤務すると勤務明けが2日間とローテーションが組まれるのですが、ご存知のように世情不安定な日本になりつつある現代ではその勤務も大変なようで、テレビで見る格好よさとは違って現場の仕事も大変なようです。
数日前その息子から警察署の内部移動で一人だけの交番勤務のため、官舎を出て交番へ転居することになったのでトラックに乗って手伝いに来るよう頼まれました。私の仕事も今日は空きがあったので、姉の家でトラックを借り受け、三男の部屋のベットを取り外して、前の会社の寮生活時代に使っていた洗濯機とともに積み込み、家内と二人で朝早くから手伝いに出かけました。昨夜来の心配された雨もあがり、強風は吹いて寒さは厳しかったのですが、着込んで出かけました。妻は私より一足早く起きて朝食用の弁当を作り、お茶を魔法瓶に入れてまるでピクニックにでも行くような出で立ちです。
日曜日の朝は比較的道路も空いていて2時間弱、9時過ぎには官舎に到着しました。異動の季節なのでしょうか既に引越し業者の車が数台来ていて、同僚が盛んに荷物を運ぶ手助けをしていました。息子の官舎は僅か6畳一間の足の踏み込む場所もないような小さな部屋でした。でもここで息子は一年間過ごしていたのかと思うと何だか懐かしく、花粉症の息子も鼻をグスグスいわせながらマスクをしての作業に余念がありませんでした。同僚や後輩が片付いた分からせっせと運び出しましたが、男所帯の寂しさなのか埃もかなりあるようで、妻はせっせと次に入居する人のことを考えて「立つ鳥後を濁さず」などと、そのことの方が気になるようでした。私のトラックと息子の乗用車で二往復でやっと荷物を運ぶことはできましたが、その片づけがまた大変で、カーテンを買いに行ったり、物干し道具や掃除道具など、一通り揃えなければならず、何かと物入りでその度に妻の財布から小銭が出て行ったようでした。粗方の片づけが済んで引越しにつき物の引越し蕎麦を食べようと3人で暖簾をくぐった頃には時計の針は1時を過ぎていました。
息子の新しい勤務地である駐在所は4DKです。広々とした室内や外の日当たりも抜群で今までの独身寮とは比べ物にならない程の広さです。おまけに収納スペースの押入れもふんだんにあって、昨日までとは天地の差のようでした。まだ事務引継ぎも出来ていないのですが、早くも市民が何やら相談に来たようで、早速書類をテキパキ作成したり忙しい仕事の始まりを予感しました。食事が終わって粗方の片づけが終わった3時過ぎ、私たち夫婦は駐在所を後にしました。息子の朝食にと妻が作った弁当は結局食べず終いで、息子が夕食に食べるのだそうです。
長い転居の手伝いで疲れ、汚れたので途中の温泉に立ち寄って気分を一新して我が家へ帰りました。息子にとっては新任地への転居と今回の転居で早くも2回目です。職業柄これからも県内の警察署を点々とする転居が続くものと思われますが、いい人間関係の中でいい仕事をして欲しいと願っています。親ばかなのでしょうか。
「転勤に 伴う転居 手伝いに 妻と二人で トラック乗って」
「一部屋の 独身寮に 別れ告げ 四DKとは リッチなもんだ」
「春異動 前も後も 荷物積む 車行き交う 忙しそうに」
「少しだけ 成長したな ありがとう 別れる際に 殊勝な言葉」