shin-1さんの日記

○400年の進化論

 昨日は吾川村・池川町・仁淀村が合併して誕生した仁淀川町にお邪魔しました。町内視察を昼食を挟んで5時間ばかりやった後講演会を1時間半、30分移動して旧仁淀村の旅館で懇親会を持ちました。役場や教育委員会に勤める若い職員も飛び入り参加してそれは賑やかな交流会となりました。高知の人は「飲み倒れ」といわれるように、酒が入るとにかく夜が元気です。酒の飲めない私でさえウーロン茶でよったような錯覚になり、3時間近くも飲み会に付き合いました。その席上10人ほどの人それぞれに興味深い話を聞きましたが、教育長さんの話はとても興味のある内容で、仁淀川町のルポよりも先にその話を紹介したいと思います。この教育長はパソコンを学校で習っていない昭和29年生まれなのですが何故かデジタル通で、特に日本ではここだけしかない土星や太陽の観測所を廃校になった一室を使ってやっているのです。それはNASAが注目したりするほど専門的な分野で、町内視察の折にお邪魔しましたが、金をかけずにパソコンなどを使って観察を続けているのです。どうもこの学校のある位置が東西に方向にあることや、すり鉢の底のようで要らぬ電波が入らないことなどの条件を満たしているそうで、先日も太陽からなのデジタル波が異常な動きをしたのをキャッチして地元新聞で話題になったというのです。

 彼は俳優の安宅伸?を彷彿させる男前な風貌をしたダンディ男性なのですが、この教育長から「ヘーえ」というような驚くような話を聞きました。彼の家は高知の人がその地域を空と呼ぶような山のてっぺんにあるため、小学校3年生まで電気がなくランプ生活だったそうです。昭和19年生まれの私の家も今も変わらぬ貧乏さんでしたし、未だにクーラーもない(ちょっと自慢しますが一昨年一部屋だけつけていますが、クーラー嫌いな私は使ったことが殆どありません)生活をしていますが、生まれた時既に電気だけはついていたようです。

 彼は太陽が昇ると活動を開始し太陽が沈むと寝るといった自然の摂理に合った少年時代を過ごしたようですが、電気がないためお風呂の焚き口に座り燃える薪の火灯りで本を読んだそうで、二宮金次郎や蛍の光窓の雪の歌詞を思い出すような話でした。

小学校3年生の時電気がついたそうですが、電気の明るさやテレビの存在に目を見張った少年の驚いた姿を垣間見るようでした。以後都会に出ましたが家族の懇願にあって帰郷し遍歴を経て今の職にありますが、私の62年の生涯における進化と比較しても、いわば小学3年生をゼロにして始まり、土星や太陽のデジタル観測が出来る現在までのハイスピードな彼の進化は、江戸時代の人に例えると400年もの年代を一気に40年余りで駆け上がった計算になるのです。彼は自他共に認める町内きってのデジタル通で、進化しているはずの役場のどの職員よりも遥かに進んだデジタル技術を持っているのです。

 多分彼の進化曲線の伸びで推計すると私や役場の人の進化曲線の伸びで推計するどの人よりも進化のスピードが速いのですから、進化500年なんてことも夢ではないかもしれないと想像してしまいました。

 数年前まで田舎は都会に比べ時代遅れだと誰もが思っていました。東京で起こった出来事は電波や活字となって私たちの所へ届くのですが、時には長い時間をかけないと山里や山間僻地には届きませんでした。今の時代も景気回復などある面では都会との格差があって都会に比べ遅れた感じもいなめませんが、それでもデジタルの普及が情報格差をなくしてくれ、その気になれば彼のように田舎にありながら一歩進んだ生き方が出来る時代になったことは喜ばしい限りだし、その気になれば田舎にいても都会を相手に進んだ仕事が出来るのです。

 田舎は彼のような進んだ人もいれば、未だに車に乗れない戦後と少しも変わらない歩いたり自転車に乗ったりしかできないスピードや、パソコンさえも縁遠い社会に暮らしている人がいたりと、格差社会は益々広がるばかりです。多分10年後には少しはこの格差は解消しているのでしょうが、都会と田舎、田舎の中央と遠隔地の暮しが平均化された現代社会にあっても、自らの高い目標とそれを手に入れる努力をしない人の間には益々格差は広まってゆくものと思われます。

 或る講演先で「ブログ」のことを話したら、チンプンカンプンの人が殆どでした。2年前の自分を見ているようで、笑えない笑い話となりました。

  「ブログって 何と尋ねる ある人に 苦笑しながら かじり知識を」

  「へえー凄い こんな田舎に NASAがある 驚き見張る 宇宙の電波」

  「四百年 一気に進化 この男 只者でなし 学ぶことあり」

  「人は皆 得意個性が あるものだ 武器はあるのに 戦もせずに」

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