shin-1さんの日記

○自分の名前の記憶

 自分の名前は私が生まれた時、私の知らぬまま両親が何らかの願いを込めて付けてくれたものです。物心ついてからこれまでどれ程の数の自分の名前を書いてきたことでしょう。答案用紙の名前、持ち物の名前、ネームプレートの名前など数え上げれば切りがありませんが、役所や友人から届く封書やハガキ、メールにも自分以外の人が沢山私の名前を書いてくれるのです。

 私は「若松」という苗字も、「進一」という名前も自分では当然のことながら気に入っています。両親に感謝しつつも自分の子どもの名前の一騒動を思い浮かべるのです。

 私の子どもは私の名前の一字を取って頭文字にして一子(長女)・一心(長男)・一生(次男)・一公(三男)とそれぞれ名前をつけているのですが、特に長女はこの古臭い名前に随分抵抗しました。今流行の愛や舞など、漫画に出てくる名前に憧れていた少女時代には当然のことかも知れません。結婚して子どもが出来て、その子どもに名前を付ける頃になるとさすがにあきらめたのか、この名前も結構味があるなんて話してくれるようになりました。

 自分の名前で一番目に付くのは玄関に掲げている表札です。この表札は30年前家を新築した時、木調の杉の木に書家に頼んで書いてもらったものですが、30年の風雪に耐えたことを物語るように今は判読さえ難しい程墨字が消えかかっています。自分の体力と比例するなと先日しみじみと見つめました。昨日は自治会へ月一回の広報配りがあるので27人の組長さん宅に伺いましたが、特に町営団地などは仮住まいのこともあるのか、はたまた迷惑な訪問防止なのか玄関に名前すら表示しない家が増えてきました。表札も個人情報といえばそれまでなのですが、迷惑な訪問者は表札がどうであれポストの中にどんどんダイレクトメールやチラシを投げ込んで去って行きますが、私のような幼児のある訪問者にとっては表札もなく、ましてやポストは一括して一階の階段付近に部屋番号だけなので中々訪ね難いものです。

 私の名前には自分では殿も様もつけませんが、人様は殿や様をつけて敬称で書いてくれます。私の名前を最後に書いてくれるのはやはり葬式の時でしょうか。母親が死んだ時疎素式を終え、葬祭場へ霊柩車で運びお別れの焼香をして焼却される焼却炉の入口に、母親の名札が空しくかかっている姿が印象的に私の心の中に焼きついて、今も忘れることはできないのです。「ああ、私も最後は葬祭場の人は私の名札を書いてあそこに吊り下げるのかと思うと、何だか悲しくなります。でもそれが人間の運命なのです。

 何気なく書いたり、何気なく使っている自分の名前も、こうして思い返してみると、様々な場面を思い起こします。自分の歴史のひとコマ、ひとコマが自分の名前で成り立っているのです。入学式の日に自分の名前を呼ばれた記憶、卒業証書に書かれた自分の名前の記憶、新築した家に誇らしげに妻と二人で表札を掲げた記憶、全てが自分の記憶として思い浮かびます。

 しかしこの表札を見て最近気がついたことがあります。この家では私が世帯主ですから当然私の表札でいいのですが、はて当然でしょうか。この家は私と妻の共同作業で造りました。だのに何故に私の名前だけなのでしょう。これまで何の疑いも持たなかったこの辺にも、日本の男尊女卑が垣間見えます。今度新しく表札を作るときには妻の名前も入れたいものです。

  「表札の 名前気になる 男尊の 長い歴史が 女卑たらしめて」

  「名前付け 役場に届けて 六十年 若松進一 使い古して」

  「何気なく 使う名前の 当たり前 最後は焼き場 表札掛りて」

  「篆刻で 彫し名前の 印を押す 印影見つつ よくぞここまで」


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