shin-1さんの日記

○あなたの夢って一体何?

 一昨日人間牧場へ地元の中学生が研修にやって来ました。研修といっても僅か一時間余りですが、それでも先生の熱心な指導で事前に質問事項を考えての参加ですからこちらも真剣にそのことへの回答を出さねばならず熱の入ったやり取りでした。この日訪ねてきた中学生はかつて私が教育長をしていた頃通学合宿夕焼け村に参加したことのある顔馴染みの子どもが沢山いて、子どもの成長の早さに今更ながら驚きました。

 人間牧場の説明や私の考えを少し話した後、それぞれの質問に対して応えてゆくのですが、大きなテーマが「夢」だけにかなり突っ込んだ話となりました。私の夢は人間牧場のある場所から始まりました。母に連れられて毎日のように登ったみかん山で私はどれ程の夢を見たことでしょう。海の向こうに何があるんだろうという素朴な疑問や、やがて大きくなったらあの海の向こうへ行って見たいと思う希望がやがて一冊の本に凝縮されてゆきました。「ジョン万次郎の生涯」という本でした。私はみかん畑にこの本を運び暇さえあれば読んでいました。漁師の子として生まれやがて自分も漁師になるという宿命を感じながら、自分の将来とジョン万次郎の生涯を重ね合わせながら夢を膨らませていったのです。

 やがてその夢は愛媛県立宇和島水産高校への進学と愛媛丸という実習船での航海となって夢に近づき、アメリカへ行きたい夢も総理府派遣声援の船の班長として実現できたのでした。

 その後の私の人生は病気によって180度の変更を余儀なくされましたが、その役場という職場でもみかん畑から見た瀬戸内海に沈む夕日への想いとなって再び現れ、夕日によるまちづくりとしてそれなりの成果を収めたのです。


 私が中学生に強調したかったのは、夢を持つこともさることながら、夢の実現のためにどんな努力をしたか、夢の実現のプロセスで経験した失敗や挫折をどのような努力で乗り切ったか、夢の実現にどんな人が関わったか、また夢の実現の悦びや成果がどうであったかです。確かにその成果を見ると誰でも簡単な方法で夢を実現したように見えますが、世の中はそんなに甘くはないということを語りました。

 人間は失敗したり壁にぶち当たった時は誰でも逃げ出したりしたくなるものです。ある人はそれを死という逃避方法すら選ぶ事だってあるのです。私たちは自分という一人の人間を完成させるには10代も遡ると1024人もの先祖的人間がいるという、つまりパズルの1024コマがなければ今の自分は存在しないという理論を話してやりました。中学生にとって当面の目標は受験です。その受験を一年後に控え、思い悩む事だっていっぱいあると思うのですが、自分ひとりで悩まず、両親や兄弟、先生や仲間のアドバイスを受けながらいい青春時代を過ごして欲しいと締めくくりました。

 人間牧場の水平線の家のフロアーに一個の大きな魚梁瀬杉の切り株があります。この切り株ははるばる高知県から運ばれてきたものですが、年輪は150年です。つまり一つの年輪を刻むのに一年かかるわけですから人間に例えると150歳なのです。人間はたかだか長生きしても100年です。この切り株は何処かの森に生まれ、他所の土地へ旅をするわけでもなくじっとその土地に立ち続け、太陽の当たる所は大きく、日陰の北向きは小さく文句も言わずそれなりに年輪を刻んできたのです。この深く年輪を刻んだ切り株を見る度に、自然の偉大さと人間の寿命のはかなさを思わずにいられません。中学生はまだ14歳くらいですからいかにちっぽけな短かさでしょう。

 中学生に向き合って話すと、大人に話すより難しいことに気付きます。理解できる言葉や例えでないと中学生の心の扉は開かないのです。もう少し話芸を極めていい話が出来るように努力したいものです。

  「多かりし 夢の彼方に たどり着く それでも俺にゃ まだまだ夢が」

  「切り株の 年輪数え 俺の歳 端数程度と しゃくだが思う」

  「過ちや 失敗経験 繰り返し 人生成り立つ そんなもんだよ」

  「この風景 今も昔も 変わらぬが 変わり過ぎたる 社会の流れ」


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shin-1さんの日記

○海事都市今治のまちづくり

 70市町村が20の市町になった平成の大合併が一応の終息を見たこの頃は、合併問題でなお揺れ動いている松野町を除いて、どの市町も合併騒動が終り新しいまちづくりに向けてノロノロ運転ながらやっと動き出し始めました。勿論「金がない」、「小さな中央集権」の二文字の言葉は相変わらずですが、目ざとい首長は知恵の競争よりも自分の次なる選挙を勝ち抜くための処方箋としてまちづくりを位置づけているようです。本来なら今年は統一地方選挙の年で、県知事や県議会議員の選挙が賑やかなはずですが、合併によって選挙の分布も様変わりし、既に終えた県知事選挙は加戸さんがさしたる対抗馬もなく三選を果たし、今は水面下で合併後初となる県議会議員選挙が中盤戦となっているようです。

 県議会議員から市長選に出て当選した越智今治市長さんは「海事都市今治」をスローガンに新しいまちづくり構想を発表し、しまなみ海道の玄関口としての位置づけをより強固なものにしようとしていますが、その今治で昨日まちづくりふフォーラムが地場産業センターでありました。今治市出身の世界的建築家故丹下健三さんが設計したという立派な円形の会議場は250人を超すひとが集まり、周囲には今治で既に行われている草の根のまちづくりがパネルで展示され、島嶼部や陸地部にあった旧越智郡の町村の様子がかなり詳しく紹介されていました。先日内子町で開かれたえひめ地域づくり研究会議の20周年記念シンポで招いた法政大学の田村明名誉教授の論によると、合併は自治体の合併で、地域コミュニティの合併ではないのですから合併によって埋没しそうになっている旧市町村の地域住民はそのことをしっかりとわきまえて旧市町村ごとのまちづくりを色として残しながらコミュニティ活動を進めるべきでしょうが、そのボタンの掛け違いが今の行政と住民の苦悩のようです。

 昨日は産業と観光、生活と福祉、身近なまちづくり(防災)などをテーマに私を含めた3人がパネラーとして壇上に立ち、今治市以外の動きを紹介しました。午後からは3つの分科会に別れそれぞれの分科会では3人のパネラーをコーディネーターとして、今治市内の3人の事例発表を基に白熱した討議が繰り広げられました。私は第一分科会のコーディネーターを担当しましたが、「自然や歴史がおりなす人・まちづくり」について、大成経凡さん「能島の里を発展させる会」、渡邊秀典さん「今治市青年農業者協議会」、野間征子さん「しまなみツーリズム推進協議会」の発表はそれぞれに地道な日ごろの活動が紹介され、ためになる話でした。発表の跡は0分間の休憩時間に発表者への質問事項を書いてもらい、その質問にショートコメントを組み込むといった手法をとったため長いと思われた2時間30分の持ち時間もあっという間に終わってしまいました。

 私はコーディネーターとして産業や観光にとって景観が大切になることを少し時間を取って議論しました。景観を守るには一定のルールがあることや、景観という無形ながら価値のあるものに気付きそれを磨き上げてゆかなければ産業や観光はなり立たないことを話しました。幸い海運業に従事しながら能島周辺で30年間活動している大成さんらの方向も、しっかりとそのことを意識しているようでしたし、野間さんや渡邊さんたちのツーリズムもいい方向に向かっているようでした。

 問題はこれからです。まちづくりは住民・団体・行政が縦糸・横糸で織り成す共同作業ですが、その誘導や後押しをする行政が景観という意識を持たないで行政を行う危険性が多分にあるのです。景観行政に目覚めていない自治体は無秩序なまちをつくります。そのことを自覚させるには自治体職員をこうした研修に積極的に参加させるべきなのでしょうが、残念ながらその数は余り多くありませんでした。でもかつて越智郡といわれた旧町村でまちづくりを志した方々は会場の隅に陣取りしっかりと耳を傾けていたようで安心して旧交を温めました。

 まちづくりはエンドレステープのようなものです。一つの山を越えたらまた次なる山が待ち受けています。歩を止めずしっかりとした足取りで参画と協働のまちづくりを進めた欲しいと願っています。

  「フォーラムで ちらほら見える 懐かしき 旧町村の 顔が笑顔で」

  「海事都市 行き交う船も 潮騒も 全て絵になる 景観ですよ」

  「ツーリズム 日本語で言え の質問に 慌てふためく 浅知恵悲し」

  「菊間から 出稼ぎ娘 今治で 頑張る姿 何と逞し」 

 

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