shin-1さんの日記

○ハガキの印刷が出来ました

 年末に心痛めながらも年賀状をパソコン処理で出しましたが、そのお返しとでもいうべき膨大な年賀状をもらい、最近は喪中の人から寒中見舞いがたくさん届いています。そのためこのところは一日三枚どころか多い日には10枚も返事を書かねばなりません。何とかしたいと思いつつ絵葉書でお茶を濁していましたが、つい最近息子の指導でハガキに画像を入れる技術を伝授され、重宝に使っては文通をしています。

 この3枚がそれで、左は人間牧場のロケーション風呂を楽しむ次男と孫、真ん中は夕映えに染まる閏住の菜の花畑、右は3日前の美しい夕日の写真です。本当は絵筆でも持ちたいのですが、ただ今のところ時間的暇もなくこんな体裁になっています。それでも手づくりの絵葉書ですから話題性や臨場感もあって中々好評のようです。

 ハガキの効果を吹聴する私なのに、なぜか字の汚いコンプレックスを持っていますが、「まあいいか」と気にも留めもせず書いていますが、文字でなく符号のような私の字でも、それなりに意味も伝わっていますので幾分安心しています。このような手づくりの絵葉書は私のような未熟な技術でも簡単に作れるのですが、カラー印刷なのでまたたく間に印字用のカートリッジインクがなくなって、インク不足の警告ランプが点灯するのです。最初はそんなことも知らず何故プリントアウトした写真が霞むのだろうと不思議に思いましたが、知れば納得今は簡単にカートリッジを交換できるようになりました。しかしこのカートリッジインクも結構高いもので、今では東京へ行く度に新宿西口の高速バスターミナルの前にあるヨドバシカメラというパソコン量販店で安いのを買い求めて対応しています。ハガキも本当は官製ではなくパソコン専用のインクののりのいいのを買いたいのですが、受け取る人には悪いのですが、官製ハガキの余ったものを使用しています。特に年賀状やカモメールなどを利用する場合は幾分腰が引けますが、出さないより出した方がましなので気にも留めないふりをして出しています。

 今日はこれから、昨晩書いた12通のハガキを郵便局へ出しに出かけます。外は久しぶりの雨が降って南予北部には強風波浪警報が発令されました。この地方ではこんな南風を春一番と呼んでいますが、冬も過ぎないのに春一番といえるかどうか、思いつつ生暖かい南よりの風を肌で感じながら戸外へ出ました。今朝の突風で庭先のプランターがひっくり返って見るも無残な姿になっていました。雨や風が吹く度に季節は冬から春へと動いてゆくのを感じます。「もう直ぐ春ですね。ちょっときどってみませんか」。なんてキャンディーズの歌がありましたね。

  「手づくりの 絵葉書印字 文を書く あの人顔を 思い出しつつ」

  「ヒューヒューと 電線鳴らし 春の風 待ちに待ったる 一番風かも」

  「沢山の 写真の中を まさぐって 出来たはがきは 夕日と花と」

  「冬なのに 何故に入浴 する姿 逆も真なり 寒中見舞い」


 

 

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shin-1さんの日記

○目に見えない支援

今月始め、私が代表を務める21世紀えひめニュ-フロンティアグループの総会が今治の湯の浦ハイツで行われました。今治でも東の端に位置するこの場所は高台にあって、友人の持っている温泉つきの別荘を借りて毎年新春早々開催するのが毎年の恒例行事となっているのですが、今年は土曜日ごとの私の日程が空かず、延び延びになって2月3日になってしまいました。もう10数年続いていることなので参加する会員も当たり前のように振舞っていますが、この温泉つき別荘を訪れる度に、世の中にはお金持もいるものだと今更ながら貧乏な自分との比較をするのです。時あたかも東京では国会が開会中で、連日「格差」について最大野党の民主党と与党となっている自民党や公明党が、足の引っ張り合いともとれる激論を繰り返しています。野党の言うようにこの世の中は格差が大きく、戦後の混乱期や高度成長期、不況などの時代現象を経る度にその格差は広がろうとしています。生活保護の増大、年間自殺者3万人、無貯蓄者23パーセント、ホームレスの増大、相次ぐ倒産などの数字を見れば格差は事実なのですが、野党が言うようにその格差が政府の無策や一部の人への税制的優遇だけではないような気もするのです。人は何故か楽な道を進もうとする怠け者で、楽して食えればそれに越したことはありません。汗水たらして働いてもそんなに楽して食えるほどこの世の中は甘いものではありません。でも自分の長い人生を生活設計を立てて一生懸命働いて生きさえすれば、現代は食えなかったり自殺をしなくても生きていけることは間違いありません。濡れ手で粟の儲け話に手を出して失敗したり、ろくに働きもしないで世の中が悪いという身勝手さはいつの時代もあるのです。勿論頑張っても食えない弱者といわれる人には政府や私たち周りの人間が暖かい手を差し伸べることは極めて大切ですから、政策や政策といった「鳥の目」も大事でしょうが「虫の目」的な視点も大切だと思います。

 私たちのグループに10年も前から支援していただく団体があります。関奉仕財団という松山の印刷会社が持っておられる財団です。この会社は株式で得た財を社会のために活用する活動を行っています。この財団の理事をしている藤原さんを通じて私たちのグループの青少年育成に努力している姿が紹介され、以来ずっとご支援を受けてきました。みんなが手出しするだけしか財力のない貧乏なグループにとって口出しもしないし何も求めない、財政的支援者の存在は大きな力となりました。私たちのグループの今日の存在はこうした支援あってのことであり、その温情に深い感動を覚えるのです。

 先日その財団から電話がかかってきて、早速ごあいさつに伺いましたが、その謙虚な対応には支援しているおごりなどまったくなく、こちらが恐縮してしまいました。

 「今やれる青春」「一年一事業」「社会へのゆさぶり」の三つをテーマにこの二十年余り活動してきた私たちのグループも年齢的には退職者も出始めるなど、曲がり角に差し掛かってきましたが、それでも昨年はツリーハウスの建設や逆手塾の開催、韓国への研修旅行など幅広い活動を展開しました。今年もニューフロンティア塾と名前も改め10年40回の塾をやった塾を再開することを決めました。また研修先として世界遺産紀州熊野を目的地に交流する計画も承認、新しい一年が始まりそうです。

 私も3年間の空白を除いて23度目のグループ代表に再任され、思いを新たにした小さな小さな総会でした。まあ20人の愉快な仲間と、愉快な活動を楽しくやるつもりです。

  「この十年 影の支援が あればこそ ここまで来れた 感謝感激」

  「いい人に 巡り会いたる わが人生 金はなくとも 金づるありて」

  「格差ある これは世の常 何時の世も まっとう生きりゃ 何とかなるさ」

  「机上 真赤なポスト 貯金箱 何時の間にやら いっぱいなりて」

  


  

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