shin-1さんの日記

○やっぱり男の子だねえ

娘が入院して一ヶ月以上が経ちました。母親のいない暮しにもやっと慣れたのか、孫は相変わらず元気に過ごしています。この一ヶ月わが家はまるで孫を中心に暮しが組み立てられているような雰囲気になっています。朝の目覚めは私が一番早く4時過ぎに起き、ついで妻が6時に起きます。6時半になると孫が眠い目をこすりながら起きてきます。最近は私と妻の間に入って3人で川の字になって寝るのですが、起きると「おじいちゃんは?」と探します。それからはトイレや着替え、それに食事とまるで戦争のような賑やかさです。今朝は何を思ったのか「弁当が欲しい」と泣いてぐずるのです。幼稚園は給食なのですが弁当を持ってくる子もいて、母親のいない寂しさから言うのだろうと、妻がおにぎり弁当を作ってやりました。さっきまで泣きべそをかいていた孫は弁当ですっかりご機嫌となり鼻歌交じりで車に乗り込みました。8時に我が家を出ると松山の幼稚園へは9時前に到着します。幼稚園に届けた後は束の間の休憩時間が私に与えられるのですが、私は引き返して11時前に我が家へ帰ります。夕方は専門学校に通う看護士志望の次男が学校を終えて帰る時幼稚園に迎えに立ち寄りつれて帰るのですが、時には私や長男や妻が「朋樹プロジェクト」と称して交代しながら対応します。次男はもう直ぐ看護士の国家試験があるので、昨日などは日程が空いていたため私が迎えに行きました。帰り道孫が「お母さんに会いたい」というので、入院先の県立中央病院産婦人科まで連れて行ってやりました。孫は母親の入院先の階数まで覚えていてエレベーターに乗るとさっさと行き先ボタンの3を押すのです。産科は娘の職場でもあるので、顔なじみが多く孫も車椅子で病室からやって来る母親を待合面会室で嬉しそうに出迎え、嬉しい面談となるのです。その姿を見て、「孫には母親が一番」と思うのです。

 主に家での遊びも最近は「おじいちゃん、相撲をしよう」とか「怪獣ごっこうをしよう」とか、男の子らしく体を使った遊びを要求してきます。私もその都度応じるのですが、負けてやると喜ぶどころか「わざと負けた」というし、本当に勝つと「負けた」と悔しくて泣いたりします。また幼稚園で流行っているのでしょうか新聞折込のチラシを使って細長くして「剣」だといいながらチャンバラごっこをします。「北斗の剣」などという長い上の刀を作って腰に差し、格好よく振舞う姿はやはりテレビ漫画の影響なのでしょう。頭の鉢巻も紙製、刀も紙製ですから危険でもなく、腰のベルト用の穴に差して得意顔なのです。ご覧下さいこの得意そうな姿を。すっかりテレビのヒーローになりきっています。

 

 居間にカメラを置いていたものですから、カメラを持ってきて写すように要求されポーズをとりました。

 子どもは遊びを通して成長します。4歳にしてはハサミも上手に使え、新聞折り込みチラシを使った遊びは孫の最も得意な遊びなのでしょうが、そのためわが家の居間は孫が来る度に紙ごみの山になります。またその紙を張り合わせるためにセロテープはまたたく間になくなります。見かねた妻は百円均一ショップでセロテープを大量に仕込んで孫の工作に対応しているため問題はないのですが、幼稚園の担任の先生から「セロテープを使い過ぎて困る」と苦情が出るほどに使っているようです。

 孫朋樹のお助けプロジェクト事業は当分続きそうな雲行きですが、そうこう言いつつも味気ない大人の世界だったわが家に、明るい光が差してきた最大の功労者は孫なのです。でも男の子はやはり女の子と比べやることがざっくばらんですね。

  「チラシ紙 丸めて刀 作る孫 童心帰り ちゃんばらごっこ」

  「勝って泣き 負けて泣いてる 孫の顔 どちらも本心 いいねいいねと」

  「百円で 買ったテープも 孫の手で あっという間に ごみと一緒に」

  「母親と 離れて暮らす 寂しさを 紛らわしてる いじらし姿」

 

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shin-1さんの日記

○若いっていいねえ

 一昨日東京から帰って直ぐに高速道路を突っ走り、しまなみ海道の途中今治市大三島にある今治北高大三島分校へ出かけました。最近まで越智群島嶼部と言われていた愛媛県北部の島々へ行くのには船に乗らなければ行かれませんでしたが、今は橋がかかり便利な世の中になって、途中今治市内で一般国道を通らなければいけないのですが、それでも松山のインターから僅か1時間半で目的地たる大三島へ着くのですから有難いものです。しかしその有難さの代償として往復1万円という高い通行料金を払わなければならないのも事実です。まあこの料金を高いと思うか、便利だからやむを得ないと思えるかは本人の価値観なのでしょう。

 橋がかかって橋を通る度に感じるのはこの橋周辺の風光明媚さです。他島美を誇るこのルートは、物流ルートでないため交通量は少なく、特に夜になると極端に車の交通量が少ないようで、歩道兼用という他の橋にはない魅力も、開通当時の賑わいは何処へいったのか散閑としているようでした。やはり現代人は眺望を楽しむスローよりも、今回の私のようにスピードを求めているのでしょうか。

 橋の向こうはもう広島県尾道です。最近まで広島県の玄関口は瀬戸田町でしたが、合併してその名前は歴史の片隅に追いやられ尾道という知名度抜群の坂の街、映画の街の冠を被せられているのです。

 私の車は大三島インターで降り、かつて上浦町だった道の駅に着きました。上浦町へはまちづくりの仕事で随分通い、この道の駅の立ち上げにもアドバイスしたものです。開通時は面白いほど賑わい儲けたこの道の駅は多分どの道の駅よりも眺望はよいと思われたのですが、「眺望のよい条件場所は決して繁栄しない」という私の作ったジンクスが当たりそうな雰囲気でした。

 大三島という国宝の町も今はシーズンオフなのでしょうか、ここでも観光思惑の姿を垣間見る思いでした。

 私が訪ねた大三島分校はかつて大三島高校と呼ばれていましたが、ご多分に漏れず少子化と過疎化の影響をもろに受け分校という名前になってしまいました。昨年も2月7日、今年も同じ日に同じ集会を計画し、同じ私を講師に指名するのですから面白い学校です。しかも金融広報委員会の講師派遣制度をちゃっかり利用するしたたかさも持ち合わせているようです。



 さて、今時の高校生に私のような歳の差40余りのロートルがないを話せばいいのでしょうか。普通は詰め込んだ知識を切り売りすればいいのでしょうが、私は生き様とでも言うべき体験や夢を今回も昨年と同じように話しました。高校生たちは都会の高校生とは違って純朴で時折相槌の笑いを誘いながら1時間ほど話しました。礼儀正しく、そして熱心に聴いてくれた態度に共感を持ちました。生徒の中にはかつてまちづくりセンターに出向していた市役所職員藤原元久さんの娘さんもいると聞いてびっくりしたりもしましたが、「若松さん、来年も2月7日に是非来てください」と来年の予約まで聞かれてしまいました。嬉しい反応です。担当の藤岡周平先生は柳谷出身で、私の町の奥村先生が恩師だと雑談の中で聞いて、縁の不思議を感じました。

 今春卒業予定の生徒たちはもう卒業式まで休業中で、時折こうして学校に通い社会へ飛び立つための羽根繕いをしている直なのです。「若いっていいねえ」とほのぼのした若いエネルギーを逆に注入されてしまなみ海道を帰って来ました。

  「卒業を 間近に控えた 若者に 生きる意味説く 夢ある話」

  「私にも こんな時代が あったっけ えひめ丸にて 遠洋航海」

  「熱心に 私の話に 耳を立て 嬉しじゃないか 有難うだって」

  「いい先生 ありていい子が 育つのだ そんな納得 島の分校」

 

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