shin-1さんの日記

○友人の提案

 私の友人には私に負けず劣らず様々な提案を私に提供してくれる人がいます。「若松さん定年退職したのなら会社を作って一儲けしないか」とか「もうそろそろ次の本を出版したらどうか」など様々です。私は今のままで十分満足しているし、やりかけた人間牧場もこのところの急がしさで手が回らないのですから、これ以上の仕事は持ち込まないようにして欲しいと思うのですが、相変わらず私の行動力に大きな期待を寄せているようです。「そんなアイディアがあるのだったら自分でやったら」といいたいのですが、その人たちは自分で行動を起そうとはしないのです。

 私が仮に会社を作ったらどんな会社だろうかと空想してみました。多分仕入れて物を売るような商売は私には出来ないと思います。妹が立ち上げた海産物のお店も傍から見ると大変なようだしと思いつつ、結局は私が長年培ったノウハウを利用したコンサルのような仕事なのかと思ったりしました。しかしコンサルは人が来んし人が去るなんて散々悪口をいってる私ですからそんな会社は出来ないような気がします。本を出版するくらいなことだったら出来るかもしれませんが、あいにく人間牧場に虎の子の全資産をつぎ込んだため、大蔵大臣の協力なしでは出来ません。退職してこの一年余り、ブログを中心にして書いて書いて書きまくった原稿も沢山あります。その原稿を使えばいとも簡単に本など沢山できるのです。でも今のところそんな暇がないのが実情です。

 会社を作る話は前々からありました。そんな気がない訳でもなかったので有限会社や株式会社の作り方や運営の仕方についても本を読んだりして随分勉強をしました。その結果でしょうか、仕事柄ふたみシーサイド公園の運営に携わる第三セクターを出資金2千万円で立ち上げました。「有限会社シーサイドふたみ」という会社です。産業団体にお願いし出資金も難産の末集まりましたし、その会社は第三セクターでありながら何とこの12年間一回も赤字になることもなく、黒字経営を続けているのです。しかも出資者に5パーセントの配当をしているのですから凄い業績です。「赤字になったらどうするのか」「赤字の責任は誰が取るのか」とあれほど出資を渋った団体のお偉方は、何の疑いもなく何も言わずに配当をこの12年間受け取っているのです。計算すると100万円の出資者はこの12年間で60万円もの配当を受けているのです。血の滲むような努力と知恵を出した私には何の根ぐらいの言葉も褒美もないのですから不思議な話です。しかしその業績は毎日の売り上げが毎月、一年と積み重なった結果であり、数字で表す業績に一喜一憂する胃の痛くなるような日々は私にとって苦痛の連続でした。あんな思いだけはしたくないのです。

 私はこれまで5冊ほど本を出しています。私の本は何故か売れ行きがいいのです。特に「昇る夕日でまちづくり」という本は3千部自費出版しましたが、1年であっという間に売り切れ2版目を出したほどです。しかし思いついて3千部の本を出版しましたが、最初印刷会社からトラックに詰まれて我家へ全部の本が届いた時の驚きは尋常ではありませんでした。家中が本だらけになったのです。ましてや家の座が抜けるほどの重さですから、売れるという保証もない本をどう保管するか正直困りました。幸い私設公民館煙会所へ借り置きし、注文を捌いたものです。あの時の圧迫感は今も忘れられない思い出なので、今でも本を出すことを躊躇しているのです。

 昨日東京に出張したついでに大きな本屋さんに立ち寄りました。書棚に並んだ本を見て自分の本の存在のいかに小さいかを実感しました。日本国内ではこのように毎日毎日とどめもなく本が出版されているのです。

 でも会社も作りたいし本を出したい気持ちも半分半分、まあ熟慮を重ねましょうか。一儲けできるような上手い話はそんなにありません。

  「自由な身 ゆえに誰もが 俺の知恵 使って儲け 上手い話を」

  「言うのなら あなたがすれば いいのにと 思うけれども 人は人当て」

  「あの本を 出さなかったら 俺値打ち 上がっていない 一冊の本」

  「友人の 提案色々 ありまする 無茶は出来ぬぞ 俺の歳では」

 

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shin-1さんの日記

○このハマチハウマッチ

 今日外から帰ってみると玄関に見覚えのある発泡スチロールが置かれていました。直感したのは毎年この頃になると宇和島市嘉島の宮本正勝さんと千里さんご夫婦が手塩に掛けて育てた養殖ハマチを送ってくれるものですから、もしやの期待に胸を躍らせ送り状を見てみると案の定直感ズバリで当たったのです。早速密封のガムテープをはがすと中にはハマチどころか10キロにもと土管とするような大きな鰤が本も氷詰めにして入っているのです。一昔前は天然と比較して養殖ものは脂が乗り過ぎて敬遠されていましたが、今は養殖技術が進歩して天然にも負けない立派なブリとして市場の高い評価を受けているようです。特に鹿島のブリは外洋性の元気な海で育てるため市場や消費者の人気も高く、特に名古屋地方では大きな信頼を得ているとのことでした。送り主の宮本正勝さんは私と同年代で、養殖漁師でありながら短歌の本も出すなど文化人であり、奥さんの千里さんも宇和島市の漁協女性部の部長として活発な活動を展開しているおしどり夫婦なのです。離島青年協議会の活動で知り合った二人は子宝にも恵まれ島ゆえの厳しさと戦いながら活き活きと暮らしているのです。正月前には里帰りの最中に立ち寄り死んだ母とも交流していたので、まるで親戚のような感じのする方なのです。

 ハマチが届くと最近は私が包丁を使います。10キロにも近いブリは最早お魚ママさんの妻といえども出刃包丁はちょっと荷が重過ぎるようなので、余り包丁など持ったこともない私が粗方を捌き、小切りは妻が料理するという仲むつまじさです。

 専用のデカイ包丁を砥石で研ぎ、まず頭を落します。最近は血の出る部分や内臓部分がどういう位置にあるか分るようになって極力血の出ない調理を心がけているため、今日も僅か20分ほどで3枚に下し、後は妻が仕事から帰るのを待つばかりとなりました。私は胆嚢手術後殆ど肉を食べれなくなり魚党を貫いています。したがって頭やあらや腹身といった付属品が好きで、はまちのカマなどは塩焼きにすると絶品だし、あらもブリ大根にすれば極上の料理に変身します。最近は刺身をまな板の上で味噌と混ぜ合わせながら叩いて大葉やもみ海苔と一緒に炊きだちのご飯の上に載せて食べると食欲が進むのです。

 最近料理番組が多く放送されていますが、特に料理の苦手な有名女性タレントなどが各地を訪ねてその土地の食べ物をさも美味しそうに食べる姿を見るにつけ、「俺の家なんか妻が毎日そんなご馳走を作って食べてるよー」と言ってやりたいような心境なのです。料理の上手な奥さんをもらうとその男性は幸福だといわれますが、私のお妻はその点では三重丸なのです。

 明日早く起きて鳥取県日野町へ行き、帰るとその足で東京へテレビ会議に二日ほど行きます。帰ると広島県熊野町へ、更には馬路村の木下君が人間牧場へ、そして生協の理事会とまあ来週は一日も休まないはーどな日々が続きます。今晩の集会も少し早く切り上げないと明日の早立ちには間に合いません。

 せっかく宮本さんから送られて来たブリの料理をゆっくり味わう暇はないようですが、せめて今夜の集会に出かける前に美味しさを堪能しようとよだれをたらしています。冬の魚は何といってもやはりブリだねえ。

  「宅配で 生きてるような ブリ届く 早速包丁 俺の腕前」

  「ハウマッチ 単語覚えた 中学で ハマチ連想 だから忘れず」

  「今晩は ブリの料理の フルコース 楽しみたいのに 何故に会議が」

  「若夫婦 まな板包丁 ないと聞く 料理はもっぱら ハサミだそうだ」

  


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○忘年会

 昨晩請われるまま地元の忘年会に出席しました。そういえば酒を愛した現役頃の年末は毎晩忘年会があり、家へは寝に帰るだけのような日々が長く続いたものでした。酒の席は延々と続き一次会が二次会となり、時には三次会とはしご酒をしたものです。あの頃の体力と財力は一体何だったのだろうと懐かしく思うのです。そんな馬力も今では遠い彼方の思い出でしかないのはちょっぴり寂しい気もしますが、まあそれはそれとして今晩は楽しもうと近所の料理屋さんに歩いて出かけました。酒を飲まない私にとっては飲酒運転などするはずもないのですが、要らぬ詮索をされても困るので歩いて行きました。今晩の宴会は私を除いて10人中9人までが酒好きなのでウーロン茶一辺倒は私一人なのです。せめて今夜は色気を入れて楽しくやろうとコンパニオンという名の女性が3人松山からやって来ていました。料理は4千円だそうですが食べきれないくらいの日本料理が並んでいて、酒を飲まない私はもっぱら食べることに専念をしました。横の席を見るのですが酒飲みはそんな立派な料理には箸をつけるでもなく、飲むほどに酔うほどに声も高くなってボルテージは上がりっぱなしです。素面な私とのん兵衛な9人とでは到底議論もかみ合わず、「トイレに行く」といっては席を立ち、お店のカウンターに座ってテレビを見たり、まあ2時間の長く感じられることったらありゃあしません。やがてカラオケが登場し、思い思いの演歌を順番に歌い続けるのです。すっかり私の世界からカラオケが影を潜めていたので、懐かしく一通り聞かせてもらいました。酒の悪戯でしょうか、日ごろは無口でお硬いと思われた人が何と喋りながら踊り狂うのです。「ヘー」と意外な一面に驚きながら付き合っていましたが、もうもうと部屋の中に立ち込めるタバコの煙に根を上げついには退散となったのです。

 それにしても、これほど世の中の流れが禁煙に傾いているというのに、何故に酒を飲んだらタバコを飲むのでしょうか。愛煙家の彼らに言わせると、「タバコは百害あって一利なし」は百も承知のようでした。付け加える言葉は愛煙家たる自らへの援護のようにも聞こえました。「俺はタバコは吸いたくないけど財政的に豊でない町に税金を払うためにタバコを吸っている」「タバコを吸わないとイライラして病気になるので精神安定剤のつもりで吸っている」「タバコを止めると、ニコチンがアルコールに溶けて体内に入るので酒を飲むときだけでも止めた方が健康にいいと力説しましたが、私の話などはタバコの煙と共に消えてゆきました。「酒とタバコどっちを止める」と質問したら「どっちも止めない」とあっさりです。挙句の果てに「タバコやお酒を飲めないのなら死んだ方がましだ」などと豪語するのです。健康な人の言い分でしょうが、そのうちえらいしっぺ返しを食らうことでしょう。

 忘年会の回数が減っても私は「忘年会」を「望年会」と位置づけ、今年あった様々な反省をするようにしています。このグループにとっても今年一年は様々な出来事がありました。思いどうりに出来ない事案で空中分解しそうになったこともありました。でもみんながそれぞれの立場をわきまえて苦労を重ねた結果、こうして美味しいお酒が飲めるのです。失敗や苦労の後の成果は美酒の味が格別でした。

 今朝ひょっこり昨晩忘年会に参加した人からお礼の電話が入りました。「お陰さまで楽しい一夜を過ごしました」「昨晩はウーロン茶でのお付き合いありがとうございました」「私は酒の席で余計なことを言いましたか?」など、酒の力ですっかり記憶の失せた記憶を引き戻しながら反しているような感じでした。「会費の元がとれなくて御免」と電話を切りましたが、ひょっとしたら酒を飲まない私が一番料理を味わったのですから、元を取ったのは私だけだったのかも知れませんね。

 年末までにあと2つ、忘年会と称する会合が予定されています。さあ体調を崩さない程度にウーロン茶を飲みながら美味しい料理に舌鼓を打ちましょう。

  「酒飲まず それでも俺は 元を取る 飲めないことも 楽しいものだ」

  「俺歳か コンパニオンの スカートも 胸の谷間も 興味示さず」

  「あの人が 何で豹変 酒のせい 歌に踊りに 凄くハッスル」

  「煙草飲み 勝手な言い分 言いながら さも俺偉い 言わんばかりに」

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shin-1さんの日記

○税務調査

 「若松さんですか。市役所の税務課です。山の上に建てられた家の件で、○月○日税務調査に伺いたいのですが、よろしいでしょうか」と、調査の依頼文が届いたのを見計らって電話がかかってきたのは昨年でした。「さすが税務課、課税対象物の情報をいち早くキャッチしている」と褒めてあげたいのですが、税金など少しでも少ない方がいいに越したことはない市民にしてみれば迷惑な話です。でも仮にも役所に勤めていた経験のある私としては市民として甘んじて受けない訳にはいかないのです。

 約束の時間前に人間牧場へ上がり鍵を開けて待っていると顔見知りの職員が2名やって来ました。私の説明などは余り聞かず事務的にメジャーで測りながら図面を書きまるであらを探すように色々と書き込んで帰って行きました。何日かして愛媛県から新築税という納税通知書が届き、文句のつけようもなく否応なしに振り込みました。これで晴れて納税者だと思いきや、今度はロケーション風呂とツリーハウスも納税対象だといいたげに通知が来て同じ職員が調査にやって来ました。「えっ、これも測るのですか」と怪訝そうに言うと「建物は全てです」と冷たい答えでした。その調査も一昨日終えて間もなく来るであろう納税通知をびくびくしながら待たなければならないのです。だって年金暮らしの私には何とも気の重い出来事なのですから。「年金暮らしで新築税や固定資産税が嫌ならそんな贅沢なことをするな」と言われそうなので止めますが、税金を取る市役所にはかなりの不満があるのです。

 というのも合併して間もない一昨年、市役所の課税調査間違いが発覚し世間をアッといわせました。新聞がスクープして市民は初めて知ったのですが、なんのともお粗末なこの失態に市民のブーイングは強く、今でも市役所への不満はくすぶり続けているのです。重く掛け過ぎていたわが家のような人には何がしかの還付がありましたが、軽く掛け過ぎていた人は5年に遡って税金が掛けられたのです。正しい方に合わせたといえば聞こえはいいのですが、取られる人は溜ったものではありません。税金は否応なしです。でも反対だと強制執行されるのに市役所だと笑って済ませるのですから、甘いといわれても仕方がないのです。何の関係もない市役所職員が借り出され各戸を訪問して理解を得たようですが、かつて役所の職員だった私にまで文句を言われたまったものではありません。まあ新聞やテレビで役所が絡んだ不祥事や夕張市の財政破綻などが頻繁に報道される度に、目をつけられるのですから役所の人もたまったものではありますまい。でも役所は市民に雇われていることをしっかりと自覚して謙虚に、それでいて間違いのないようにお願いしたいものです。

 税金はそれぞれの財産や所得に応じて課税されますが、さらに重くなりつつあるわが家の税金分のお金をどのように家計の中でやりくりするか、妻と私の暮らし方の大きなテーマになるようです。入るお金は分っているのですからその尺度に合わせて節約する以外はありません。そんな矢先の昨晩、仕事で遅くなる妻の手助けにと、日ごろはすることも殆どない風呂を沸かしました。私も昨晩は地区内の忘年会に出席のため夕方風呂の湯を止めて出かけました。9時過ぎに帰ると妻が「お父さん風呂が溢れている」というのです。私は記憶を辿りながら「確かに元栓は締めた」と言い張りましたが、結局は私の締め方がゆるかったのでしょうチョロチョロ水で風呂は溢れていました。「ああ、勿体ない」でした。一事が万事と文句を言われ、私の善意は妻には届かなかったようで、少しイライラの就寝でした。まあこんなことにめげず節約、節約です。

  「納税の 義務があるとは 知りつつも 税務調査は 嫌なもんだな」

  「こんな家 税金掛けるの? 嘘だろう 風呂に税金 木の上税金」

  「俺の芋 食うたイノシシ 税金を 逃れて暮らす 知恵があるのか」

  「そんな目で 見られていたのか 何年も 役所を辞めて 初めて気付く」


 

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shin-1さんの日記

○教育論議

 ひと頃頻繁に多発した子どもの誘拐などが地域見守り隊などの成果か影を潜めたと思ったら、今度は親がわが子を殺したり、子どもが自ら命を断つという痛ましい事件が相次ぎ、連鎖反応社会の凄まじさをまざまざと見せ付けられるこの頃です。多分どの事件や事故もその場つくろいの責任逃れとも思える対処しかしていないから、再び起こるのではないかと危惧されているようです。今は教育基本法の改正に関する議論の高まりもあって、全国各地でこの問題が関心高く話されています。

 今日もあるお店に立ち寄ったところ80歳がらみの老人に呼び止められました。「あなたはつい最近まで教育長をしていたようなのでお聞きするのですが、今の教育をどう思いますか」と言うのです。「私は今、教育長を辞めておりますので」と前置きし、折角のご指名なので持論を分り易く話させてもらいました。多分この方は私の教育に対する技量を調べたかったのでしょうが、もう一つは自分の考えを聞いてもらいたいのです。やんわり「あなたはこの問題をどう思いますか」と逆にふりました。

 88歳のおじいさんが言う論点は学校、家庭、社会という3つそれぞれへの意見であり理路整然としていました。しかし「昔はよかった」という話が余りにも長過ぎて少し焦点がぼやけた感じもしましたが、まあこれだけ日本の現状と将来を思ってくれることはあり難いことなので、いっそやらせが問題になっている文部科学省のタウンミーティングにこんなおじいさんを参加させてあげたらと思いました。そうすればミーティングにかかる費用もあんな滅茶苦茶なお金がかかることもないのです。

 「人間は豊になると人を頼らなくても生きて行けるような錯覚に陥る」「学校の先生は優秀で失敗や回り道経験もなく子どもの頃から褒められて育った人が多過ぎる」「親が親として親らしいことを出来ない親がいる」「世の中は便利・早い・金儲け・都会が一番とされ、不便・貧乏・田舎は遅れているような錯覚にさせている」「マスコミは自分のしていることを棚に上げて人を追及し過ぎる」などなど、いちいちごもっともなご高説伺いました。

 最後の締めは「いもごり」の話でした。私たちの家庭ではこの頃になるとサトイモを畑から掘り出し、木桶に入れて水を張り十字に組んだ棒でかき混ぜるのです。棒でかき混ぜることと芋同士がこすり合わさって芋の表面の黒い皮が次第に削り取られて綺麗に洗われたサトイモが出来るのです。このおじいさんの議論はここからでした。「昔の学校はサトイモのような子どもが沢山いたから互いにこすりあって知らず知らずの間に磨かれたものです。今の学校はサトイモたる子どもが少子化の影響でしょうかちらほらで、磨き会うことが出来ないのです。ましてや十字に組んだ棒たる教師と両親がバラバラで、お互いがお互いのつまらない荒を探してののしりり合っています。大きな桶にサトイモを10個ぐらい入れても決して芋は綺麗にならないばかりか、棒も空回りですね」と締めくくられました。

 いい例えです。「何かが狂っている」そう思わずにはいられない教育の現場。「あの町、あの学校で起こっている事件や事故が身近な場所で起こらない保障はどこにもない」と思いながら、「じゃあどうする」というステップアップの議論と行動が今求められているようです。

  「どう思う 教育議論を 吹っかける 八十じいさん 止むに止まれず」

  「俺はもう 教育長を 辞めている 辞めたからとて 蚊帳の外では」

  「イモ洗い そのことさえも 死語世界 どういう例え 言えば分るか」

  「その昔 こんな混乱 あったげな 明治維新や 戦後の混乱」

 

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shin-1さんの日記

○新しい2007年のWritingCalendar

?私はこの30年余り、愛媛県金融広報委員会からいただいた卓上カレンダーを愛用していましたが、同委員会が経費削減という名目で印刷を止めてから3年間は同じような規格の愛媛県商工会が作成した卓上カレンダーを愛用しています。師走になって暮も押し迫り、新しい2007年の予定が入り始めたのでもうそろそろと、昨日商工会へいただきに出かけました。商工会には今届いたばかりという梱包を開け印刷インクのにおいのする一冊を手渡されました。昨年の表紙はバイオレットとでも表現するような鮮やかな色でしたが、今年は深いグリーンで観光に優しい色だと直感しました。表紙を捲ると2007年一年間のカレンダーが月ごとに出ていました。誰がどう並べるのか分りませんが、2月と3月と11月、1月と10月、4月と7月は同じ日が土日など新しい発見がありました。土日など関係のない自由人にとってはそんなデーターは必要ないと思うのですが、それでも土日に全国の各種イベントが集中するため、最低限のデーターは頭に入れておいた方が得策かも知れないとまじまじと見てしまいました。

 早速ページを捲り予約の入っている項目を書き込み始めたのですが、何と来年は年明け早々の1月3日には今治市玉川町の成人式が入っていたり結構忙しい日々が続くようです。でもこうしてカレンダーに書き込む項目が多いのも楽しいことだとしみじみ思いました。

 定年を迎えたのは昨年なのですが、60歳と6ヶ月で定年なのでもう年が明けると私は数え年で63歳になるのです。カレンダーに家族の誕生日や自分だけが考えて作った記念日を入れると相当な筆数になります。5月5日の結婚記念日や6月23日の旅立ちの記念日(第10回総理府派遣青年の船の班長としてアメリカ・メキシコ・ハワイへの派遣が決まった日)など様々ですが、来年も家族が元気で言い一年であるよう、正月でもないのにやたら神妙になって書き込んだのです。

 書棚の引き出しには過去30年の卓上カレンダーがしまい込んでいます。懐かしくなってその幾つかを捲ると、これまた過ぎ越し懐かしい日々が甦ってきます。過去を余り振り返らず未来を見つめて生きようと努力してきた私にとって、これら数十冊のカレンダーはこれまではどちらかというと無意味だったのですが、少し過去を振り返りながらのんびり過ごすのも悪いことではないと思ったりしましたが、やはりそんな心の変化は歳がそうするのでしょうか。

 私の卓上カレンダーの中に3冊ばかり、警察に証拠書類として提出したことのあるものがあります。一連の舟券売り場事件で役場に警察の家宅捜査が入った時のものです。立件に向けて5日間も供述人として県警本部知能捜査班に呼び出され取調べを受けたのです。私たちの立件ではなく、和歌山や宮崎で問題になっているような贈収賄事件に議員さんがどのように関わっていたかを調べるためでした。結局議員や企業から逮捕者が出て大きな混乱を招きました。その証拠書類を示す張り紙がカレンダーの表紙に生々しく貼り付けられているのです。1年後様々な捜査が終了して証拠書類と共に帰ってきましたが、今も懐かしい騒動でした。

 多分私たちのあの頃と同じように、和歌山や宮崎では一喜一憂の日々が続いているのでしょうが、捜査令状を読み上げられ、家宅捜査に立ち会った経験は、もう二度と味わえないでしょう。

  「来年の 卓上カレンダー 捲りつつ 心新たに 文字を書き込む」

  「あと少し 残りし日々を 思いつつ 来年こそはと 年寄り冷や水」

  「ああ俺も 六十三とは 子ども目に じじいと見える 歳になったか」

  「一冊が 俺を支配の カレンダー 一年間は あなた言うまま」  

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shin-1さんの日記

○リビングホームって何?

 高齢化社会を反映してか、日本全国各地には高齢者を対象としたいろいろな施設が出来ています。10年前、高齢者の福祉施設は郡市というエリアに1つ程度でしたが、今ではシルバー産業とでも呼ぶべき様々な施設が市町村の隅々まで乱立し、お互いが水面下で高齢者たるお客を奪いあう目に見えない厳しい下等競争が繰り広げられているようです。これほど高齢者福祉施設が普及したのは、高齢者の年金と介護保険を当てにしてシルバー産業を起す人たちが増えたからだと見る向きもあるようです。いずれにしても世界一の長寿国になった日本の最も関心の高い問題は、少子化と子育て、高齢化対策と年金という人生をキセルに例えるなら、入口と出口ともいえる子どもと高齢者など、社会弱者を大きくクローズアップしなければならない、人口構造的変化が社会背景にあるようです。

 確かに私たちが小さい頃、日本全体の人口構造も私たちの住んでいる田舎の人口構造も三角形のピラミッド型をしていました。当時は高齢者が少なく子どもが多かったのです。ところが最近は高齢者が長生きするようになり、子どもは一人か二人しか産まないという極めて深刻な少子化で、全人口に占める65歳以上の人口の割合で示す高齢化率は年々ウナギ上りなのです。3人に1人が高齢者なんて聞いても別に驚かないような社会がやって来たのです。

 昔は役場・農協・郵便局が過疎の町の一大産業でしたが、今では毎朝出会うのは高齢者福祉施設の車と関係者だけといわれるくらいで、いつの間にか役場も農協も郵便局もしのぐスターダムに上り詰めているようです。

 数日前、友人の玉井さんから「松山のリビングホームでボランティアとしてお話をしてくれないか」と頼まれていたので、朝から冬の冷たい雨が降る今日、道後祝谷まで出かけて行きました。講演料など出ない小さな催しなのでと念を押され、こんなこともあるだろうと引き受けました。行く道すがら「グループホームなら聞いたことはあるけど、リビングホームって一体どんな所なnだろう」と考えながら会場へ着きました。グループホームのように認知症の高齢者を相手とする施設ではなく、自立したした方々が個を尊重しながら夕食など許せる範囲で共同する、今までにない珍しいスタイルでした。昼食やリビングホームに入居している方々の話を聞くにつけ、日本という国の高齢化社会における「エデンの園」のような理想がリビングホームにはあると思いました。施設を提供しているみのりホームの社長さんも、リビングホームの代表を務める女性も口々にその素晴らしさを口にしているようでした。

 かつて私が10数年前ニュージーランドを旅した時、外国の老人ホームを見て驚いたようなカルチャーショックがリビングホームにはありました。老いを迎えて自分としっかり向き合い生活設計に沿って生きている姿には感動する覚えました。戦争の悲劇や家族の人間関係、貧乏暮らし経験、家財道具など過去のしがらみを捨て切れず重い荷物をしょって生きてる高齢者が、過去の重みに耐え切れず死んで行く姿を考えながら皆さんの話を興味深く聞かせてもらいました。

 最後の締めに私の一時間足らずの話が組まれておりました。世の中は広いようで狭く、顔見知りや知人も多くて昔の出会いを懐かしんでくれた人もいましたし、わざわざ「今日の講師の話を楽しみに来ました」という物好きな人もかなりいて、大爆笑の中で私の役目を終えました。終りは私の下手糞なハーモニカを伴奏にみんなで「夕焼け小焼け」「みかんの花咲く頃」「ふるさと」を大合唱し、総勢70人ほどの小さな会場の小さな集会を終えました。

?(今日、孫を眼科病院と幼稚園に連れて行き、お昼に帰ってメールを開けたら、宇和島で知り合った「あさぎまだら」さんからメールが届いていました。彼女は私のメール一本で昨日の会に参加していました。カメラを忘れた私に代わって、私の写真を撮影してメールで送ってくれました。ハーモニカを吹く若松進一というおっちゃんの姿です。結構格好よく撮れています。腕がよいのでしょう。その写真をブログに再掲しました)


  「老い先を 自分で考え 生きている リビングホームの 新た生き方」

  「ボランティア 私を道具に 使う人 それでもみんな 喜び聞いて」

  「ああ俺も 歳をとるのか 将来は いやいや既に お年寄りです」

  「笑わせる 意図もないのに 笑われる 笑い広がり 入れ歯ガクガク」

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shin-1さんの日記

○男前のあがった進一さん

 私の髪型はもう40年近く変わらないヘアースタイルです。水産高校という海の男を育てる高校で学んだため、髪を伸ばすことは禁止されていましたし、私自身の性格も髪の長いのは好きでないので、これまでは角刈り若しくは丸刈りといった具合です。下灘から上灘へ居を移して散髪屋さんは変わりましたが、変わらないのは月1回のペースで散髪をすることです。長い髪の人は3ヶ月間くらい伸ばすそうですが、短い髪型だと1ヶ月に一度はしないと、こちらの方言でいう「おおがっそ」(髪が伸び過ぎた状態)といって無精者に見られるため、伸び具合を見計らって散髪屋へ出かけるのです。

 昨日は娘の夜勤の都合で孫を松山の幼稚園へ向かえに行った帰りに立ち寄りました。例によってお疲れモードの孫を助手席に乗せて40分の道程を帰るのですが、家の近くまで帰るとスースー寝てしまいました。いつものことなので散髪屋さんの駐車場に停めて孫の上にコートを掛けてロックし散髪をし始めました。散髪屋のご主人と奥さんが心配して10分おきに様子を見に行ってくれるのですが、孫は寝入りばなでびくともせず気持ちよさそうに寝ていました。

 散髪は気持ちがいいもので、私はいつも1時間弱の間ご主人と世間話に花を咲かせながらついウトウトしてしまいます。バリカン仕上げで首筋から裾を刈り上げ、あとはハサミで仕上げてゆくのですが、僅か数センチの髪の毛が減っただけなのに何故か頭が軽くなったような気持ちになるのです。

 刈上げが終われば髭剃り、洗髪、仕上げとなるのですが、まあ自分で言うのも何なんでしょうか、すっかり男前になってしまいました。人間は不思議なもので髪の手入れをすると何故かしゃんとしたような気分になるのです。

 車に戻って中を見ると孫は相変わらずスースー気持ちよさそうに眠っていました。うつろな目を起して家の中に入りましたが、少しの間はぐずっていましたが、おもちゃやおやつでなだめ何とか気分を直しました。先日4歳の誕生日を迎えたし、娘に赤ちゃんが誕生するということを知っているので「お兄ちゃんになったのだから」くらいの殺し文句で十分立ち直ってくれるのです。最近は聞き分けも随分良くなって、母親が夜勤のことも納得し妻の作った大好物のハンバーグを2個も平らげました。

 男前の上がった私を見て妻はいつも二つの言葉を言います。「まあ見違えるような男前になって」の次に、「その頭だったら3400円は勿体ない」というのです。前言葉はいいとしても、後言葉は金が惜しくていっているのか代価をいっているのかわかりません。「その髪型だったら私が息子用に買ったバリカンで十分」と追い討ちをかけます。そうかも知れませんがまだセミリタイアの身で、人前に出ることも多いので年金暮らしで贅沢はいえませんが当分はお許しいただいたいと思っています。

 先日古い写真を整理をしていて妻がいうのです。「お父さんは昔は相当ふけてたのね」と・・・・・・。「昔ふけてたのなら今が若返ったということか」と返しましたが、確かに昔の写真は穏やかな時代を反映してか「質素」という感じがして、確かに若さのようなものが感じられないのも事実です。でも若かったあの頃と髪型も殆ど変わらず、禿もせず白髪も目立たず、「若松さん髪を染めているの?」と言われるくらいです。髪の悩みは年齢を重ねると誰もが何らかの形で経験します。それを年齢のせいだと割り切れればいいのですが、なかなかそうは思わないもので、白髪を染めたり禿にはアデランスを着けたりと工夫を凝らしているようです。幸い私は髪に油をつけるわけでもなく、手入れをするわけでもなく、ドライヤーで髪を乾かすでもありません。唯一の手入れは毎日髪をシャンプーすることだけなのです。メガネをかけなくても新聞が読める目のよさと、いい髪に産んでくれた母親に感謝します。

「男前があがった」といってもこの程度、まあ諦めるより仕方がないか。

  「孫寝かせ 気にしながらも 散髪す 午後のひと時 何事もなく」

  「妻にしか 価値がないのか 男前 それでも俺は 散髪投資」

  「床を見て これだけの髪 だけなのに 軽くなったよな 気分になって」

  「禿もせず 白髪ちらほら この歳で 母に感謝の 鏡の自分」  

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shin-1さんの日記

○ひらめき

 私はひらめきで生きているといってもいいくらい、ひらめきを主体に意の向くまま暮らしている人間だと時々思います。私のような人間を泥縄というのでしょうか、泥棒を捕まえて泥棒を縛る縄のないことに気付きその場で縄をなって使うことをいうのでしょうが、昨日も共栄網という双海町の漁業の元祖ともいえる漁業団体の会合の一人の委員として招かれ、突然座長を言い渡されました。三回予定されている会議ですから初回の前回に座長は前町長で現教育長に決まっていました。ところが前回は行政から一人も出席しないトラブルがあってのことだったので、今回行政がいきなり参加者のブーイングに応えて大挙して出席するようになり、組織体系からいうと座長が変わった方がいいとの申し出で、急遽自由人たる私に白羽の矢が当たったのです。会場で会議が始まる数分前に言われれば、普通の人は誰でも断るし、仮に受けても当日の会議の進行などできぬと突っぱねるだろうと思うのです。断る理由もやれない理由もないので、軽率ながらあっさり引き受けてしまいました。

 私は会議の進行を時間によって組み立てます。1時半から3時までという目安を事務局からみんなの前で聞き出し時間の共通理解を得ました。そして話す内容がおおまか三つだったので30分ずつ三つに分けました。事務局の説明と協議、それに項目ごとに座長のショートコメントでまとめ、結果的には3分間時間を延長してしまいましたが、まずはその場のひらめきで物事を進める日ごろの訓練のお陰で見事大役を果たしたのです。

 多分難しい出口の見えにくいテーマだったので時間がかかると予想していた参加者からは大好評で、随分感謝されました。主催した共栄網では共栄網の再生をかけた一大プロジェクト事業だけに、熱い思い入れもあって次回2月に開かれる予定の3回目で結論を出し、スピードアップしながら事業化されることでしょう。

 ひらめきは、ひらめいたからってそれ自体はなんの意味もありません。そのひらめきが自分というファインダーを通してどう人様のお役に立つたかという事実なのです。夕日でまちおこしをしようと二十年も前に私の頭がひらめきました。多分「何て馬鹿なことを」と誰もが思ったことでしょう。その証拠に多くの方々の反対に会い夕日は潰される運命にありました。しかし若かったのでしょうか全てのエネルギーをつぎ込んでひらめいた夕日という自然現象を地域資源にしました。そしてコンサートなどのソフトとシーサイド公園などのハード事業をミックスしながら双海を代表するレッテルにして、じゃこ天や夕焼けソフトなど売れ筋商品を作りました。それらはまだ発展途上ですが、シーサイド公園を中心に人々の暮しに役立っているのです。

 私の夕日へのひらめきは、隣の町の人もひらめいていたはずです。現に海岸周りと山周りを一周するコスモス鉄道2001年の旅

をやった時は「わしらもしようと思っていた」と長浜町で、夕日の名刺を見た時「俺とこにも夕日は沈む」と伊予市でそれぞれ聞いた話がそれを物語っているのです。ひらめきを行動に起す、そしてその起したことが人々の役に立つ、そこまで行かなければひらめきとは言えないのではないかと思うのです。

 ひらめきは時として実現不可能なこともあります。夕日も当時は実現不可能なひらめきでした。不可能を可能にするのもひらめきです。「人生は爆発だ」は有名な岡本太郎の言葉です。若松進一流にいうと「人生はひらめきだ」のようです。小さなひらめき、中ぐらいなひらめき、大きなひらめき、ひらめきは人それぞれ様々です。いいひらめきが出来るように日頃から訓練しないといいひらめきは生まれません。私と同じようなことを作詞家の「なかにし礼」さんもいっていました。

  「禿頭 でもない私 ひらめいて おもろいことを どんどんやって」

  「どこにでも あるのに夕日 俺のもの 今では本当に 双海のものに」

  「止めとけと いつも言われる その中に 成功の種 隠れています」

  「失敗を 何度したか 分らない それが土壌で 種は芽吹いた」

  

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shin-1さんの日記

○アントレプレナー

 つい最近は横文字がやたらと多く、意味不明で分らぬまま分ったようなふりをして聞いている人や分らぬままに使っている人がいるようです。私たちまちづくりの現場は学者の先生やジャーナリスト、建築家などの知識人も出入りするものですからその傾向が強く、横文字を使うと格好よさそうに見えたり博学と思われたい部分があるようです。しかしかつての町議会である議員がシンポジウムのことをインポジウムと間違って使い大爆笑されたように、せめて使う場合は意味を調べ確かめて使うくらいの学習的余裕は必要だと思うのです。

 今春道後で開かれた「地域の自立とは何か」というシンポジウムで、進行役の清水さんが「アントレプレナー」という言葉を使いました。恥ずかしながらその時初めて聞く言葉だったものですから、私はその夜の交流会で清水さんにその意味を確かめましたが、「起業家」だと教えられました。その後その特集が舞たうんで組まれ、朝日新聞の砂場さんが「アントレプレナー」という言葉を、さすがジャーナリストらしく「アントレプレナー」(起業家)とわざわざ括弧書きで説明してくれて、しっかりと自分のものになりました。浅学な私はこんなことでしか横文字を覚えれないのですからそれこそ浅はかです。でも横文字を使わなくても「企業家でない業を起す起業家」なんて日本語で説明をしないと分らない集会だってあるのですから、場所をわきまえずどこでも「アントレプレナー」という言葉を使っていいものではないと思います。

 最近は「アントレプレナー」流行で、大学生時代に会社を興したりNPO法人の代表になったり、女性がお店を持ったりする機会が増えてきました。中学校の総合学習でも株式を学習するため会社を興す学習をするほどですから、会社の社長になることを夢見る若者は増えつつあるようです。その結果でしょうがホリエモンというような社会現象が生まれ、誇張されて社会に一石を投じています。

私の友人に横山史さんという女性がいます。会社に勤めながらまちづくりやニートの勉強をしながら様々な研修を重ね、自らが発起してNPO法人を立ち上げ代表となりました。「若者と人づくり」が専門テーマだそうですが、私たちの世界で考えるとかなり難しい

テーマのようにもことにあえてチャレンジする彼女の生き方に強い関心を持っています。彼女こそ「アントレプレナー」と呼ぶに相応しい女性だと思いました。

 先日NHKのふれあいミーティングで、偶然にも私と同じ6人のパネラーに選ばれ出演していて再会しましたが、若いからと年齢を理由に徳田アナウンサーから最初にふられた彼女の意見を聞いて、初めて私の家へ学生たちとやって来たあの頃を思い出しました。随分成長して堂々としている姿に驚きました。多分これから社会の荒波の中で挫折と成功を味わいながら更に成長して行くのでしょう。経済的に安定したOLという職業を捨て、あえて挑戦する横山史さんに大きな拍手を送ります

 一度しかない人生を悔いなく過ごすことは大事です。日々の暮しに満足もせずただ社会が悪い、組織が悪い、上司が悪いと不平や不満を言いながら給料分の働きもせず時代の波に呑み込まれて暮らしている多くの人々を見る度に、悩みながらもイキイキと輝く姿は神々しく見えてくるのです。

 先日「大人を考えるシンポジウム」の打ち合わせで立ち寄り先の「国立大洲青少年交流の家」で高知県梼原町の役場に勤めながら青年団の事務局をやっている若者に会いました。「えっ、今でも青年団があるの」といわれそうな死語に近い世界で活動する彼の瞳も輝いていました。「ああ俺にもこんな時代があったなあ」と思うのは、私がそれ相応の歳になったからでしょうが、若さと価値は若い間は気付かないものです。でも若い間に思い切り「アントレプレナー」的な気概を持って生きて欲しいと思います

  「知らぬまま 使う横文字 多くなり 日本語乱れて あなた何人(じん)?」

  「横文字の アントレプレナー 企業家と 教えてもらって 意味知り使う」

  「OLと いう名の仕事 投げ打って 違う世界に 理想求めつ」

  「何欲しい 若さ下さい 言いたいね 金で買えれば 幾ら積んでも」

  「 

 

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