shin-1さんの日記

○私のパソコンのメンテナンス

 私のパソコンにはつい最近、訳の分らぬメールが沢山入り内心困っていました。その迷惑メールは大きく分けて二つです。その一つは女性との交際をしないかというお誘いのメールです。最初は自分の名前を書いて送ってくるものですから、何事かと一瞬自分の顔も忘れて持て心をくすぐるような文章にドキッともしましたが、仕事柄メール友だちというものかと思って、無視していましたが、毎日のように波状攻撃でやられるともううんざりで、娘婿が見つけ次第消していたようですがそれもままならず、結局は長い間×印で消す作業を最近まで続けていました。もう一つは英語の文章が次から次へ送られてくるのです。英語の読解力の無い私はこれも変な対応をしたらお金が発生すると思い、一度も開封することもなく×印の対象として処理をしていました。しかし先日のように3日間も家とパソコンを空けるともうパソコンの画面は英語一色になって、100を越す件数を消す時間は相当な無駄時間に思えてきました。

 一度パソコンに詳しい娘婿に相談しようと、大学の授業日に彼の研究室を訪ねたのですがあいにく留守で、実家に帰っていた娘にそのことを話しておきました。すると先日娘婿が夕食を食べにわが家へ立ち寄ったので、メンテナンスを依頼しました。私にはまったくチンプンカンプンの操作ですが、1時間半もの長時間で迷惑メールと、ウイルス対策を完了してくれました。

 迷惑メールにはなお沢山のエッチなメールや英語のメールが後を絶ちませんが、それでも必要情報の受信メールだけが整然と並んですっきりしてきました。私はまさにこのことは「無知によって生ずる不幸は知ることによって避けられる」ものだとしみじみ思い、娘婿の能力と技術の高さに感謝してしまいした。

 パソコンでブログをやり始めて困るのは、書いた文章がいきなり消えたり登録できなかったりすることです。折角書いた文章があっという間に消えてしまった時の悔しさやむなしさは何と言えばいいのか分りません。ワープロで原稿を書いていた幼稚な時代から比べると私のパソコン能力は格段に進歩しています。ワープロの電源を妻に抜かれて大喧嘩したあの頃のような騒動はないのですが、それでも書いた文章がなくなるのはショックです。私の書斎は電話の本体から一番遠い場所にあるため電波反応にしているのですが電波が届きにくいため天井近くにコードを這わして書斎まで引っ張ってきているため、大事な通信をしているとき電話でも架かればもうお手上げです。一度その辺のことも考えて電話回線をいらってもらうことを考えなければならないかも知れません。

 打った文章が消えて、同じような文章を書こうとするのですが、絶対という言葉で表現したいくらい二度と同じ文章をかけないのですから、余程慎重に扱わなければなりません。小まめに登録を心がけているのですが、夢中になるとどうも上手くいきません。

 今年の正月休みはこれまで書きためたブログの文章を暇を見つけてプリントアウトしたいと思っています。それというのも日本中には3人も私のブログをせっせとプリントアウトして一冊に綴っている人がいるのです。ご本家の私がしていないことをされている私としてはぜひそのことをと願っています。私のような古い人間は電子文字のように何時消えるか分らない不安がいつもよぎっています。その点プリント文字だと火で焼けない限りは大丈夫だと思うので、早く実現したいと思っています。

  「文章が 消えて悲しや 八つ当たり 名文迷文 どこへ行ったか」

  「デジタルの 時代に何故か プリントを 信じる私 やはり古いね」

  「名刺売る 書いた途端に メール着て そんなにお困り 買ってあげると」

  「もう二度と 同じ文章 書けません 岩手で書いた 原稿失い」

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shin-1さんの日記

○NHKふれあいミーティングに出演しました

 「ミーティング」といえば、つい最近話題になっている文部科学省の教育基本法議論を思い出させ、まるで賛成者だけの仲間内議論のようですが、NHKでは一連の不祥事が連鎖した視聴料不払いに対して、経営を立て直すために全国で3000回ものふれあいミーティングを実施してきたそうです。その3000回を区切りとした模様をテレビで公開討論することになり、私にもパネラーの一人として出演するよう依頼がありました。比較的若い人の意見を取り上げたいと思ったのでしょうか、6人のパネラーでは私が一番年上なのです。これまで私はまだ若いと思っていただけに多少のショックはありましたが、故に責任もあるだろうと控え目な積極性を前面に押し出して議論に絡みました。

 数日前東京のNHKから唐突に「徳田ですがお元気ですか」と一本の電話が入って驚きました。東京のNHKで活躍しているあの徳田アナウンサーなのです。もう二十年も前に松山放送局に在勤中、私の取材で役場に来たことを思い出しながら懐かしく話したのですが、その徳田アナウンサーと「おはよう日本」の首藤アナウンサーが進行役という相当贅沢な顔ぶれだし、相手は永井副会長や番組総局長、理事、松山放送局長というそうそうたる顔ぶれで、この仕事への執念を垣間見ました。

 コムズ5Fの特設会場は一般視聴者が三方から囲み、視聴者の意見も交えての番組収録です。2時間半の長い時間をNHKへの意見や批判、提言といった様々な意見をからめながら、それぞれに楽しいお喋りをさせてもらいましたが、左程の緊張もなく無事終了しました。この模様は早速昨夜の全国ニュースで流れたようで、「テレビに出とった」と電話をかけてくれたりしましたが、いずれ編集の後番組として放送されるようです。

 白い服の方が首藤アナウンサー、私とツーショットは徳田アナウンサーです。

 私とテレビとのかかわりは物心ついた少年の頃からです。白黒テレビから始まってカラーテレビ、ハイビジョンと、またアナログからデジタルへと技術革新著しい情報化社会のなかで育ってきた私にとってテレビは私の知的能力の殆どだといっても決して過言ではないほど大きな影響を受けてきました。力道山や若乃花といったテレビ草創のころの思い出も今は懐かしくまるで三丁目の夕日のように過去の彼方に消えていますが、日本人のDNAはテレビと言われるような大きな影響力を持っているのです。

 私の場合最初は特にNHKとの関係が深く、第14回NHK青年の主張の愛媛県代表になった昭和43年、僅か23歳で早くもテレビ出演やラジオ出演を果たしているのです。その後も公民館や村おこし、まちづくりの節々に私の活動と町の話題がテレビやラジオを賑わかせました。「明るい農村」「人間マップ」など今も手元に残る古ぼけたVTRを見る度に当時を懐かしく思うのです

 でも時代は大きく変わり、2003年には全国の家庭からアナログテレビが消えるのです。誰がどんな意図でデジタルに変えるのか知るよしもありませんが、便利という名の社会がそこまで来ているのです。多分10年後に協の議論をVTRで見た人は、笑い話として片付けることでしょう。

 先日妻と息子のマンションを訪ねました。松山市では既にデジタル放送が開始され息子たち夫婦はデジタル放送の恩恵を受けて暮らしています。私の町にはまだその電波も届かずそれを受信するテレビもありません。しみじみ情報格差を感じつつ、息子の説明を聞きながら便利さに期待をした次第です。流行と不易という言葉がありますが、不易なものまで流行に押し流される現代に寂しさを感じる年代になったのかと、積み重ねた62年の重みを感じる今日この頃です

  「徳田です 二十年ぶり 電話にて 偉いものです 忘れず事前に」

  「歳の順 言われてハッと 気がついた 俺もそんなに 若くないのか」

  「カメラ前 ハラハラドキドキ したっけな 今はときめ気 動じもしない」

  「デジタルが 俺の家にも やって来る アナログテレビ もう直ぐゴミだ」 

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