shin-1さんの日記

○リビングホームって何?

 高齢化社会を反映してか、日本全国各地には高齢者を対象としたいろいろな施設が出来ています。10年前、高齢者の福祉施設は郡市というエリアに1つ程度でしたが、今ではシルバー産業とでも呼ぶべき様々な施設が市町村の隅々まで乱立し、お互いが水面下で高齢者たるお客を奪いあう目に見えない厳しい下等競争が繰り広げられているようです。これほど高齢者福祉施設が普及したのは、高齢者の年金と介護保険を当てにしてシルバー産業を起す人たちが増えたからだと見る向きもあるようです。いずれにしても世界一の長寿国になった日本の最も関心の高い問題は、少子化と子育て、高齢化対策と年金という人生をキセルに例えるなら、入口と出口ともいえる子どもと高齢者など、社会弱者を大きくクローズアップしなければならない、人口構造的変化が社会背景にあるようです。

 確かに私たちが小さい頃、日本全体の人口構造も私たちの住んでいる田舎の人口構造も三角形のピラミッド型をしていました。当時は高齢者が少なく子どもが多かったのです。ところが最近は高齢者が長生きするようになり、子どもは一人か二人しか産まないという極めて深刻な少子化で、全人口に占める65歳以上の人口の割合で示す高齢化率は年々ウナギ上りなのです。3人に1人が高齢者なんて聞いても別に驚かないような社会がやって来たのです。

 昔は役場・農協・郵便局が過疎の町の一大産業でしたが、今では毎朝出会うのは高齢者福祉施設の車と関係者だけといわれるくらいで、いつの間にか役場も農協も郵便局もしのぐスターダムに上り詰めているようです。

 数日前、友人の玉井さんから「松山のリビングホームでボランティアとしてお話をしてくれないか」と頼まれていたので、朝から冬の冷たい雨が降る今日、道後祝谷まで出かけて行きました。講演料など出ない小さな催しなのでと念を押され、こんなこともあるだろうと引き受けました。行く道すがら「グループホームなら聞いたことはあるけど、リビングホームって一体どんな所なnだろう」と考えながら会場へ着きました。グループホームのように認知症の高齢者を相手とする施設ではなく、自立したした方々が個を尊重しながら夕食など許せる範囲で共同する、今までにない珍しいスタイルでした。昼食やリビングホームに入居している方々の話を聞くにつけ、日本という国の高齢化社会における「エデンの園」のような理想がリビングホームにはあると思いました。施設を提供しているみのりホームの社長さんも、リビングホームの代表を務める女性も口々にその素晴らしさを口にしているようでした。

 かつて私が10数年前ニュージーランドを旅した時、外国の老人ホームを見て驚いたようなカルチャーショックがリビングホームにはありました。老いを迎えて自分としっかり向き合い生活設計に沿って生きている姿には感動する覚えました。戦争の悲劇や家族の人間関係、貧乏暮らし経験、家財道具など過去のしがらみを捨て切れず重い荷物をしょって生きてる高齢者が、過去の重みに耐え切れず死んで行く姿を考えながら皆さんの話を興味深く聞かせてもらいました。

 最後の締めに私の一時間足らずの話が組まれておりました。世の中は広いようで狭く、顔見知りや知人も多くて昔の出会いを懐かしんでくれた人もいましたし、わざわざ「今日の講師の話を楽しみに来ました」という物好きな人もかなりいて、大爆笑の中で私の役目を終えました。終りは私の下手糞なハーモニカを伴奏にみんなで「夕焼け小焼け」「みかんの花咲く頃」「ふるさと」を大合唱し、総勢70人ほどの小さな会場の小さな集会を終えました。

?(今日、孫を眼科病院と幼稚園に連れて行き、お昼に帰ってメールを開けたら、宇和島で知り合った「あさぎまだら」さんからメールが届いていました。彼女は私のメール一本で昨日の会に参加していました。カメラを忘れた私に代わって、私の写真を撮影してメールで送ってくれました。ハーモニカを吹く若松進一というおっちゃんの姿です。結構格好よく撮れています。腕がよいのでしょう。その写真をブログに再掲しました)


  「老い先を 自分で考え 生きている リビングホームの 新た生き方」

  「ボランティア 私を道具に 使う人 それでもみんな 喜び聞いて」

  「ああ俺も 歳をとるのか 将来は いやいや既に お年寄りです」

  「笑わせる 意図もないのに 笑われる 笑い広がり 入れ歯ガクガク」

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shin-1さんの日記

○男前のあがった進一さん

 私の髪型はもう40年近く変わらないヘアースタイルです。水産高校という海の男を育てる高校で学んだため、髪を伸ばすことは禁止されていましたし、私自身の性格も髪の長いのは好きでないので、これまでは角刈り若しくは丸刈りといった具合です。下灘から上灘へ居を移して散髪屋さんは変わりましたが、変わらないのは月1回のペースで散髪をすることです。長い髪の人は3ヶ月間くらい伸ばすそうですが、短い髪型だと1ヶ月に一度はしないと、こちらの方言でいう「おおがっそ」(髪が伸び過ぎた状態)といって無精者に見られるため、伸び具合を見計らって散髪屋へ出かけるのです。

 昨日は娘の夜勤の都合で孫を松山の幼稚園へ向かえに行った帰りに立ち寄りました。例によってお疲れモードの孫を助手席に乗せて40分の道程を帰るのですが、家の近くまで帰るとスースー寝てしまいました。いつものことなので散髪屋さんの駐車場に停めて孫の上にコートを掛けてロックし散髪をし始めました。散髪屋のご主人と奥さんが心配して10分おきに様子を見に行ってくれるのですが、孫は寝入りばなでびくともせず気持ちよさそうに寝ていました。

 散髪は気持ちがいいもので、私はいつも1時間弱の間ご主人と世間話に花を咲かせながらついウトウトしてしまいます。バリカン仕上げで首筋から裾を刈り上げ、あとはハサミで仕上げてゆくのですが、僅か数センチの髪の毛が減っただけなのに何故か頭が軽くなったような気持ちになるのです。

 刈上げが終われば髭剃り、洗髪、仕上げとなるのですが、まあ自分で言うのも何なんでしょうか、すっかり男前になってしまいました。人間は不思議なもので髪の手入れをすると何故かしゃんとしたような気分になるのです。

 車に戻って中を見ると孫は相変わらずスースー気持ちよさそうに眠っていました。うつろな目を起して家の中に入りましたが、少しの間はぐずっていましたが、おもちゃやおやつでなだめ何とか気分を直しました。先日4歳の誕生日を迎えたし、娘に赤ちゃんが誕生するということを知っているので「お兄ちゃんになったのだから」くらいの殺し文句で十分立ち直ってくれるのです。最近は聞き分けも随分良くなって、母親が夜勤のことも納得し妻の作った大好物のハンバーグを2個も平らげました。

 男前の上がった私を見て妻はいつも二つの言葉を言います。「まあ見違えるような男前になって」の次に、「その頭だったら3400円は勿体ない」というのです。前言葉はいいとしても、後言葉は金が惜しくていっているのか代価をいっているのかわかりません。「その髪型だったら私が息子用に買ったバリカンで十分」と追い討ちをかけます。そうかも知れませんがまだセミリタイアの身で、人前に出ることも多いので年金暮らしで贅沢はいえませんが当分はお許しいただいたいと思っています。

 先日古い写真を整理をしていて妻がいうのです。「お父さんは昔は相当ふけてたのね」と・・・・・・。「昔ふけてたのなら今が若返ったということか」と返しましたが、確かに昔の写真は穏やかな時代を反映してか「質素」という感じがして、確かに若さのようなものが感じられないのも事実です。でも若かったあの頃と髪型も殆ど変わらず、禿もせず白髪も目立たず、「若松さん髪を染めているの?」と言われるくらいです。髪の悩みは年齢を重ねると誰もが何らかの形で経験します。それを年齢のせいだと割り切れればいいのですが、なかなかそうは思わないもので、白髪を染めたり禿にはアデランスを着けたりと工夫を凝らしているようです。幸い私は髪に油をつけるわけでもなく、手入れをするわけでもなく、ドライヤーで髪を乾かすでもありません。唯一の手入れは毎日髪をシャンプーすることだけなのです。メガネをかけなくても新聞が読める目のよさと、いい髪に産んでくれた母親に感謝します。

「男前があがった」といってもこの程度、まあ諦めるより仕方がないか。

  「孫寝かせ 気にしながらも 散髪す 午後のひと時 何事もなく」

  「妻にしか 価値がないのか 男前 それでも俺は 散髪投資」

  「床を見て これだけの髪 だけなのに 軽くなったよな 気分になって」

  「禿もせず 白髪ちらほら この歳で 母に感謝の 鏡の自分」  

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