○田舎の盆踊り大会
「果たして踊り子さんが集まるか?」というのが自治会長をしている私の最大の不安でしたがいらぬ心配でした。夕闇迫る7時過ぎになると何処からともなく踊り子さんが集まり、最大の多い時は会場のやぐらを囲むように3重の輪が出来たほどですから、まあ満足せねばと胸を撫で下ろしました。盆踊り大会を開く時の最大の課題は踊り子確保です。昨年までは地元郵便局や銀行さんにお願いに行って衣装等でメリハリの利いた人たちが大勢踊ってくれていましたが、今年は銀行の支店長も変わり、郵便局も民営化の激しい波に翻弄されそれどころではないといった様子だったので思い切って作戦を変え、今一番元気といわれる漁協女性部に直接私が出向きアタックしました。また妻の力を借りて伊予市の民生委員などにも働きかけ、ついでに都辺町の友人も誘いました。結果的には頼んだ仲間は全て義理を果たして予想以上の参加となったのです。しかも地元の人たち、特に年配の方たちがビールの勢いを借りて、また組長さんたち役員も一生懸命盛り上げようと努力してくれたお陰で昨年とは一味違った素晴らしい盆踊り大会となりました。
盆踊りで欠かせないのが踊りの選曲です。毎年のことながら放送一式は中央公民館の米湊誠二さんに頼んで担当してもらいましたが、あいも変わらず任期があるのは炭坑節、神輿音頭、双海音頭、きよしのズンドコ節なのです。この曲以外の曲をかけると極端に踊る人が減るのですから長年の習慣は恐ろしいものです。炭坑節は亡くなった三橋美智也が歌っているのですから呆れてものが言えないって感じです。双海音頭はやはりご当地ソングで私がまちづくりを担当していた頃地元で歌詞を募集し、既に亡くなった商工会長吉岡政吉さんの歌詞に補作をし、キダタローさんが曲をつけ、民謡歌手小杉真紀子さんが歌っています。この曲はもう二十年以上も町民に愛され続けているのです。地元には器用な人がいて何の曲でも太鼓を叩ける人がいます。対馬さんもその一人で、病気で床に伏している叔父森脇正に代わって太鼓を叩いてくれました。
双海町灘町地区には手踊りという古い時代から踊られている踊りがあります。その普及を文化協会が中心になって行いましたが、その成果があって太鼓も口説きも古老から伝承してもらった人が何人か育っているのです。この日もお願いして協力してもらいました。口説きは谷岡さん、太鼓は何と女性の吹原さんと大石さんです。三人の調子に合わせてお囃子は市会議員の山崎さんが努めてくれましたし、毎年のことながら上田教育長も踊りの輪に積極的に参加してくれました。
?子どもに一番人気があったのはこの仮装をした怪しげな踊り子さんです。子どもは怖いけど何故かこの踊り子さんの周りに集まって追いかけたり追いかけられたり、楽しい雰囲気を演出してくれました。前野さんありがとう。
観客はかき氷を食べたりビールを飲みながら思い思いに涼を求め、行く夏を惜しんでいました。
この日灘町では盆踊りに合わせて戦没者と新盆を迎えた人の写真を飾り、本覚寺の住職さんをお迎えして慰霊祭を催しました。戦没者の家族も高齢化が目立ちましたが、両遺族や組長さんをお迎えしてのいい慰霊祭となりました。
「行く夏を 惜しむが如き 盆踊り 太鼓合わせて 踊るわ踊る」
「応援に 駆けつけ踊る 妻の友 襟足すっきり 妻より美人」
「今年また 六十一回 戦没の 写真に誓う 戦争ない国」
「ああ俺の 六十一回 夏終わる まるで日捲り 残り少なく」