shin-1さんの日記

○人生で酒と女と歌を愛さぬ男は馬鹿である

 「人生で酒と女と歌を愛さぬ男は馬鹿である」。これは有名なマルティン・ルターの言葉ですが、酒駄目・女駄目・歌駄目な私はこの言葉通りだと馬鹿で間抜けな人間です。ましてやタバコもコーヒーも駄目でどうしようもない、「何のために生きてるの?」と問われそうな、「タバコも飲まず酒もやらず、女もやらず百まで生きた馬鹿がいる」といわれそうな人間なのです。しかし世の中はようしたもので、私のような駄目な人間でもそれ相応のこだわりを持って生きていると結構自分で満足し、結構楽しく生きられるのです。私は歌などカラオケで余り歌いませんが、数年前からハーモニカを吹くようになって少し音の世界が広がってきました。先日も大河内さん率いる大西町の女性群が人間牧場へ来られた折、鎌田さんの発案で私の吹くハーモニカに合わせ、みんなで「みかんの花咲く丘」や「ふるさと」を大合唱しました。童心に帰った歌声は心の魂を呼び起こさせてくれましたし、青年団時代にみんなで労働歌や青春歌を歌った懐かしさを思い出しました。

 私たちは若いごろ歌集を作って事ある毎によく腕を組み肩を組んで歌いました。「若者のうた」「希望の歌」「四季の歌」などなどは何故か歌うと元気が出て「またやろうと」いう意識が芽生えたものです。「青い空雲もなく そびえる富士は 若人の希望のしるし」は「希望の歌」、「若者よ 体を鍛えておけ 美しい心が 逞しい体に」は「若者のうた」、「春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような 僕の恋人」は「四季の歌」の一節です。自分の心と頭に歌を歌う度に歌の醸すさわやかなイメージが広がり、青年団活動をより清新なものに仕上げて行きました。その意味では青年団で歌った歌は自分の心づくりに大いに役立ったように思うのです。歌もその一つかもしれませんがレクリェーションも沢山覚えたり実際にやりました。会の雰囲気を和ませるために100を超える程持ちネタを持ったものです。後に青年団活動が高じて社会教育の世界に入りましたが、公民館活動や青少年教育のの分野でも随分レク指導の技術は私を助けてくれました。

 青年団はションション青年団といわれるように、レクリェーションとディスカッションが二枚看板でした。ディスカッションは深夜にまで及び、時には酒と女の力を借りながら、夜明けまで続く時もありました。議論、激論の末取っ組み合いの喧嘩もよくしました。結論の出ない他愛もない議論を何日もくり返したものですが、今振り返るとあれこそ若さの発露だったのではないかと思うのです。今の若者には残念ながら議論の場と議論の相手がなくて、議論の末の喧嘩などなきに等しいのです。議論は人を育てます。ああでもないこうでもないと議論しながら一つのものを作り上げてゆく今流行の「ワークショップ」や「フィールドワーク」を地でいっていました。

 ふるさとをよくする運動にも積極的に関わりました。村祭りも盆踊りも殆ど青年が取り仕切っていました。特に盆踊りはお盆を中心に毎晩毎夜、どこかの部落へ応援に駆けつけ賑やかな踊りの輪ができたし、そんな盆踊りの場所での出会いが若者同士の恋心を育みました。今は盆踊りも踊る人も少なく、もう数年でわが町からも盆踊りの灯が消えるのではないかと心配されているようです。嘆かわしい時代になったものですが、これも一つの時代の流れとして諦めなければならない出来事なのでしょうか。

 「時代は来ない。いい時代にする」。「動け動かせ21世紀」。これは数年前、私の著書「昇る夕日でまちづくり」の編集を手助けしてくれた玉井恭介さんが、私にくれたハガキに書いてくれた言葉です。司馬遼太郎「龍馬がゆく」の編集者窪内隆起さんが「昇る夕日でまちづくり」を読んだ感想を「若松さんのような人を抱えている双海町は幸せだなあとつくづく思います。何ごとも押し進める人ありてこそ実現するんですね。理論も行動も一致しているところが凄い。233頁の「・・・・見せられた・・・・」の誤植は残念。しかしいい本ができました」と玉井さんに手紙をくれたそうです。そのことを知らせるハガキの表書きに書かれたこの言葉は、後の私の生き方に大きな影響を与えた一言でした。今も私は「いい時代にする」ために、人間牧場で頑張っているのです。

  「歌さえも 歌えぬ吾に 味方あり 楽器一つで 歌カモフラージュ」

  「一枚の ハガキが吾に 生き方を 教えてくれる 今も大事に」

  「定員は 何のためある 平然と 定員オーバー 帰省ラッシュで」

  「ルターさえ 俺は馬鹿だと 言っている 馬鹿でもいいや らしく生きよう」

  

 

 

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shin-1さんの日記

○相次ぐ人間牧場のお客様

 私には私の生き方に影響を与えたであろう旧友といわれる人が日本全国に沢山います。その殆どは普通音信不通なのですが、時々昔の仲のよりを戻すような出会いが突如としてやって来るのです。数日前中国電力の鍋島さんから電話があって「グリーンツーリズムの仕事の関係で人間牧場を見てみたい」と中国総研の方2人を伴って訪ねて来ました。中国地方には和田さんや宮崎さん、田中さんなど広島県北部を中心に名だたるまちづくり人がいますが、鍋島さんは一味違った冷静なお方です。彼との出会いがいつ始まったのかは覚えてないのですが、彼は私のことを愛情を込めて「進ちゃん」と呼んでくれます。多分生産性本部のQCサークル活動などで影響を受けたのでしょうが、本質の分る議論を交わせる人であるので楽しみに待ちました。

 左端の方が鍋島さんです。やって来た一昨日は夏の日差しが強烈に降り注ぐ暑い日でしたが、視界もまずまずで人間牧場の道具立てともいえる施設に驚いた様子でした。私の高知行き仕事の間隙を縫っての出会いだったので、シーサイド公園とのセット視察には2時間があっという間に終わってしまいました。

 ここはある意味でグリーンツーリズムやスローライフという人間本来の生き方の本質を突いている施設だと自分では思っていますし、グリーンツーリズムやスローライフを掲げて一儲けしてやろうと企む人たちに何かを考えもらえる場所だと思っています。鍋島さん始め三人の方々がどんな受け止め方をしたか、反応が楽しみです。

 

 昨日えひめ地域政策総合センターの清水研究員がやって来ました。私の国際会議の資料作成のお願いを快く引き受けていただき、その打ち合わせを兼ねて議論するためです。彼は農家の長男として農協に勤める傍らふるさとの農地を守っています。農業離れの農協マンが多い中で、彼は数少ないふるさとを守る(ふるさとの文化を守る・ふるさとの人を守る・ふるさとの田畑を守る・ふるさとの活気を促す)人なのです。

 昨日は彼の生き方のバックボーンをパソコンを使って存分に説明してもらいました。生活設計を基調にした生き方は私の考えと殆ど同じだし、これほど理路整然と自分の人生を見つめ語れる人は少ないのではないかと思うのです。脂の乗り切った経済人なので彼の人生は、父親の病気や娘の病気という難易度の高いハードルを、逆にきっかけとして活かして強くなっており凄いと思いました。

 「経済人は経済で破綻する」(私の造語)このような人を私は何人も見てきました。日銀総裁や村上ファンド、ほりえもんなどなどはほんの一例ですが、私たちの周りには株や土地、先物に投資して一儲けを企んだため、元も子もなくなった人を何人も見てきました。チャップリンのライムライトのように「ささやかな蓄え」で満足するような人間であり続けることも人間らしい生き方かも知れません。

?二人に出会ってまた私の心の中に新しい火種がくすぶり始めました。生き方をを理論化することです。論理と理論という言葉があります。理論とは「個々の事実や認識を統一的に説明することのできる普遍性を持つ体系的知識」で、「実践を無視した純粋な知識」でもあります。一方論理は思考の形式・法則。また、思考の法則的なつながり。実際に行われている推理の仕方。論証のすじみち。と広辞苑に書いていますが、私流に考えれば実践から生まれた知恵が論理であり、学問から得た知識が理論だと解釈しています。私たち実践家は論理の世界に生きています。それを理論にして説明できることが大切です。現代は理論家が多く、知識は語りますがそれを実践する人は少ないように思います。論理家を標榜する私たちは論理を理論化することが大切だと日ごろから思っています。清水さんは論理家と評論家の中間世界の人かも知れませんね。

 昨日から孫が夏休みになり、昨日は私が一日子守を引き受けました。たまに来る孫は可愛いのですが、一日中孫の守りをすることは重労働です。昨日は清水さんとの打ち合わせに孫同伴となってしまいました。ご迷惑をおかけしました。

  「評論家 御託並べて 議論する 最後は論理 少し分があり」

  「牧場に 訪ねし人に 教え請う 知恵の高まり 早くも実感」

  「メモしつつ 議論重ねる 爺姿 孫の目からは どんなに見える」

  「孫の守り 二人で昼寝 気持ちいい 幸せ感に セミの鳴き声」 

 


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