○孫と一緒に夕日見学
昨日は助産婦として病院に勤める娘の夜勤で、孫を預かる事になり、夕方松山の幼稚園へ迎えに行きました。くもんに連れて行ってわが家に連れて帰ったのですが母親がいないことを納得しているため、甘えることもなくいつになく上機嫌で帰って来ました。夕方7時頃の帰りには夕日が海の彼方に沈む前だったので「朋樹君夕日を見にシーサイドへ行こうか」と誘ったところ、「行こう行こう」と話がまとまり、急いで家に帰ってデジカメを用意してシーサイド公園へ出かけました。梅雨明けの瀬戸内海は穏やかで夕景も綺麗でしたが、お目当ての恋人岬は残念ながら結婚の写真を撮る集団に占領されて行くことが出来ません。写真を撮りたかった人も、恋人岬で夕日を鑑賞したかった人も遠巻きにこの幸せカップルを「仕方がないか」って感じで遠巻きに眺めていましたが、やはりわが者顔で場所を断りもなく占領するのは如何なものかと思いました。私たちも仕方がないので東側の突堤を歩いて先端まで行き、日没の瞬間まで見ました。
最初の一枚は夕日を焦点に撮ったため孫の顔はシルエットどころか逆行で全然見えませんでしたが次の一枚は夕日に照らされた孫の顔が綺麗に撮れ中々いい感じでした。
突堤の先から振り返って見ると双海町の山々や町がまるでセピア色に変色してとても温かい雰囲気で、持参したハーモニカの音色が実に良く似合って、孫が一生懸命「おじいちゃん上手」と大きな拍手を送りながら、『夕焼け小焼け」という歌を大きな声で歌ってくれました。私と孫の独演と独唱コラボレーションはいいもので、傍にいたおばちゃんが二人を褒めてくれました。
やがて夕日はゆっくりゆっくり島影に沈んで行き、この日は最後の一瞬まで眺めることが出来たのです。孫と夕日を鑑賞したのは始めてのことなので、何となく温かい気持ちになりました。
最近は子どもの世界も忙しく夕日を見る機会が少ないように思います。それは親も同じで、親が夕日を見るような心のゆとりを持たないから子どもが見れないのかも知れません。孫にとっておじいちゃんと見た母の実家のある田舎の夕日はどんな光景として心に焼きついたでしょうか。
これからも折に触れ、日本一と自認する双海の夕日を見せてやりたいと思っています。帰り際孫をおんぶしてやると孫は「♪海は広いな大きいな」と得意になって背中で歌を歌いました。見上げれば茜雲の小焼けをバックにトンボが数匹飛んでいました。「おじいいちゃんお月様」と指差す空には下弦の三日月が見えました。
「日が暮れて 町のお寺の鐘が鳴る トンボ数匹 長閑に飛んで」
「孫を背に 突堤歩く 日暮れ道 孫も満悦 歌のサービス」
「夕日など 見たから言うて 何になる そんな非理屈 聞きたくないわ」
「おじいちゃん 海に道が 出来てるよ ハッとするよな 孫の一言」