shin-1さんの日記

○わが家に何とサウナ風呂

 わが家の長男は建築設計事務所に勤めています。ゆえに住宅の新築に際し、古い家の取り壊しや改造で処分に困るものもあって、捨てればゴミ、利用すればお宝的なものを知人や友人から譲り受けることがあります。先日も知人から家が狭くなったとかで畳一畳ほどのサウナ風呂は要らないか相談がありました。家の何処江置くか分らぬまま即答を避けておりましたが、息子はトラックを借りて昨日、雨の中をシートに包んで貰って来てしまいました。さてこのサウナの置き場所について妻と私と長男の意見が微妙に違ってひと騒動となりました。妻は正直な話電気代も要るし家の中には置きたくないと言っていましたが、私と息子は脱衣場前の廊下の隅に置くことで妻を押し切り、家族総出で裏の窓から入れました。結構座りもよく近いうちに火入れを行って試してみたいと思っています。何せ低音サウナですので余り効果は期待できませんが、それでも妻のダイエットには最高だと持ち上げています。

 只今温泉に凝ってる私は暇があれば時々温泉に行きます。目的は温泉にあるサウナ風呂で汗を出し水風呂で体を引き締める快感がたまらなくいいのです。したがって妻と一緒に温泉に行くとカラスの行水だと言われ僅か20分程度で湯から上がっていたのですが、今は約1時間半もたっぷり楽しむことができるようになりました。どちらかというと風呂が好きでなかった私がこの歳になって台の風呂好きとなり、えらい変身ぶりに周りの人は驚いています。もしこのサウナがサウナと呼ばれるに相応しい働きがあるなら、お金を出して温泉に行くこともあるまいと、私も妻も淡い期待を寄せていますが、まあ期待外れにならないようにします。わが家にサウナが入ったと言う話は瞬く間に近所に住む姉の所にも伝わり、早速見学に来ました。話ほどのものだったのか、あまり感心した様子もなく帰って行きました。

 山の上の人間牧場に五右衛門風呂はできるわ、自宅にサウナ風呂はできるわで、わが家はちょっとした話題の震源地になっています。昨日も温泉で会った下灘の人から「黙って見るのは失礼とは思ったのですが、先日集落で恒例の歩け歩け大会があった折、みんなであなたの別荘を見学に行きました。中々いいですね。私たちもお金ができたらあんな別荘を持ちたいものです」と言われました。「別荘ではなく人間牧場です」といくら説明しても皆さんは「別荘」としか呼んでくれません。また「別荘を作るのにはお金の余裕があるから」も間違っていて、「あれはまtづくり運動の拠点です」と幾ら言ってもまったく通じません。仕方がないので「はいはい」と相槌を打っていますが、一度はびこった間違った情報は田舎では中々払拭できないものだとしみじみ思いました。

  「別荘を 建てたというが 羨まし お金持ちだと 思われらしく」

  「サウナ風呂 俺の家にも 付きました 汗を流して 妻は痩せるか」

  「山の家 人が来るのも良いけれど 啄木鳥までが コツコツ叩きぬ」

  「長男の お陰で家は 狭くなる それでも何か 違う世界が」

 

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shin-1さんの日記

○年老いた兄弟

 お彼岸になるとわが家では決まったようにお墓参りに身内の人がやって来ます。そのついでにわが家に立ち寄って談笑するのです。12人兄弟の長男である親父の基へも兄弟姉妹が集まり昔話に花を咲かせるのですが、親父にとってはこのことがたまらない喜びのようです。今日親父の直ぐ下の弟が夫婦連れで息子嫁の運転する車に乗ってやって来ました。この叔父もご多分に漏れず最近衰えが目立ち、話すのもやっとという感じで、昔話に涙をする場面の見受けられます。

 親父が弟夫婦を見てポツリと言いました。「お前はええのう。こうして二人で長生きしとるのじゃから。わしは今何一つ不自由はないが昼間など嫁も息子も働きに出てわし一人じゃあ。畑に出て草でも相手にせんと話し相手がおらん。嫁が死んでからは毎日が寂しいものよ。お前も嫁を大事にしてやれよ」としみじみです。そういえば私は定年退職しても家にはいないし、妻も昼間は働きに出ていて早寝早起きの親父の生活リズムと歯車が合わないため会話がないなあと思いました。

 人間が人間であるゆえんは会話です。人間は人の間と書くように会話がないと孤独が病気を引き起こしたりします。耳の遠くなった親父とは耳が遠いので会話は面倒くさくてこちらが先に勘を働かせ適当にあしらい会話になっていないのです。母がなくなって6年、親父の孤独を考えるともっと側にいて話を聞き、話をさせねばと思うのですが、こちらも忙しくてついつい疎遠になりがちで、深く反省しています。

 日に日に成長する孫の姿に比べ、日に日に衰えつつある親父の姿を見ながら、25年後の姿を連想しました。私も好む好まざるとにかかわらず25年後には生きていたら確実に今の親父の姿になるのです。その時わが娘や息子たちがどんな気持ちで私と接するんでしょうか。幸い私の娘や息子は優しいからと思うのは大間違い、今から自立の道を考えておかなければならないでしょう。

 親父の「夫婦で長生き」という言葉もこれからの生き方にとって大事なキーワードです。人間は自分で命を絶たない限り夫婦一緒に死ぬことは絶対と言っていいほどありません。ですから少しでも長く夫婦が元気で暮らしたいものです。特に働くこと以外何もできない私の場合は余計その意識を強く持つのです。

 最近親父の居間に沢山の写真が飾られるようになりました。家族の写真とともに生前の母の写真が何枚かあります。長男に頼んで大写しにしたそうですが、これらの回顧はまさに自分の生きた証を確認する姿のような気がします。人は悲しいかな誰でも歳をとります。歳をとることは楽しいことと思いなさいと人には容易く話しますが、いざ自分のこととなると話は別だと、小さくなりつつある父の背中を見て思いました。

  「彼岸来る 兄弟来るが あの世来る そう言う父の 口癖増えて」

  「自転車で 未だに医者へ 通う父 危ない止めろ 言っても聞かず」

  「おはようと 言うて返るは 『何』とだけ 再び顔見て 同じ言葉を」

  「子作りの うまいばあちゃん 十二人 産みも産んだり 大したものよ」 

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shin-1さんの日記

○商品開発

物の豊かさを実感するように、どのお店を覗いても様々な商品が所狭しと並べられています。たった一つのテーマなのにこんなにも種類があるのかと思うほど種類が多く、選択するこちらの方が迷ってしまいます。でもそんな中から売れ筋として消費者に認知されロングセラーになるものはごく小数で、その殆どは売れることもなく廃棄されるのですから厳しいと言わざるを得ません。

 私も現職時は公務員でありながら食べ物を加工する商品開発に携わった苦い経験があります。どんなに自信を持って作ったものでも、売れないとただの製品で商品ではありません。製品を商品にするには食材の品質と食材を加工する技術が必要で、これが本物であるということが最低条件となります。もしこの段階で品質を落としいい加減な技術だと門前払いが落ちでしょう。次にこの製品をどのように美しくしかも目を引くようにするのか、パッケージやラッピングといったお化粧が必要です。品質や技術それに容器への先行投資は売れなかったらどぶ川に捨てるようなものですから、余程売れる自信がないと勇気のいる決断です。

ここから始まるマーケティングはまさに奥の深い、それでいて重要な「売る」ことへの挑戦なのです。

 私はこれまでズブの素人といわれる漁協のおばさんと一緒にじゃこ天の商品化に取り組みました。結果的には5500万円のヒット商品に育てる事に成功しましたが、本物と真心だけでラッピングやパッケージといったお化粧を省きましたし、マーケティングもシーサイド公園に来ないと食べれないという差別化によって行列のできるお店を作り上げました。しかしこの場合マーケティングで難しかったのはどのようにしてお客に食べさせるかという難題でした。私はふと今の若者がハンバーグを食べる姿を思い浮かべました。これまでの常識は「歩きながら食べたらお行儀が悪い」でしたが、「じゃこ天を串に刺し歩き名が食べる」という非常識を考えこれを若者の食文化、ファッションに変えたのです。不思議なもので今まで売れなかったじゃこ天が売れ始めたのです。おばさんの作る本物と、おばさんの方言丸出しの真心に私の常識を非常識に変えた歩きながら食べるをプラスし、しかもここだけしか買えないという差別化が夕日で集客した人々に定着していったのです。私は夕焼けソフトクリーム、夕日の望遠鏡、夕日日コーヒーなど常識では考えられないアイディアで商品開発を行いそれなりの成果を収めることができました。

 昨日風呂屋で、味噌屋の若い社長さんに会いました。ギノー味噌といって地元では有名な会社の2代目社長さんです。この会社は創業者の先代が苦労して育てた会社ですが、先代が出版した本によるとまるで世界の松下電器をを作られた松下幸之助さんを髣髴するような厳しい苦労をさえたようです。その頃の田舎では私の家がそうであったようにどの家も味噌は祖母から母へ、母から嫁へと伝承されて各家庭で作られていました。先代には先見的な読みがありました。「やがて味噌のような手間暇かけるものは各家庭では作らなくなる」と。その読みは的中しギノー味噌は今の隆盛を見る事になったのです。でも普通はここまで、底から先は甘やかされて育った2代目が身代を潰すのです。でもギノー味噌は優秀なやる気のある若い経営者に引き継がれ、味噌を使った郷土料理「さつま汁」を世に出しヒットしました。昔お湯をかけたらできる味噌汁を永谷園が出した時、世の中はアッと驚きました。パンとコーヒーが主流の若い世代は、味噌汁を飲みたくてもだしをとって味噌をこす面倒な味噌汁など作らない風潮を逆手にとって大流行したのです。

 風呂屋での出会いはお互い裸だったのですが、先日生協での私の講演会で顔を合わせていたこともあって、多いに盛り上がりました。若い社長から聞いた話ですが、新商品の県コンクールで25の応募の中からギノーが出品した「鯛めし」が堂々のグランプリに輝いたと言うのです。私は面白いビッグチャンスだといいました。私だったらコンクールグランプリの冠をつけて売り出します。ただし売り出すだけでは芸がありません。集客のある場所で新製品の普及宣伝を目的とした「ギノーエプロンクッキング教室」を県内10箇所で主婦を対象に開きます。その時はさつま汁も一緒にします。さつま汁も鯛めしもどのようにすれば上手くできるかが売れるカギなのです。その様子をアンケートして次は、「ギノークッキングコンテスト」を仕掛けます。味噌を使った料理を応募してもらうのです。優秀な作品のレシピはインターネットで流すのです。ギノーがバーチャルの世界でも話題になること間違いなしです。

 おっと、これは私のブログなのに、忘れてギノーのブログのようになってしまいました。この話はなかった事にしてください。

 追伸 私は風呂屋で面白い話と感動の光景を目にしました。面白い話し、それは自分の5人の子供を広田村へ山村留学させている話しでした。私は無人島へ4人の子どもを連れて行きました。同じような思いです。感動の光景、それは足腰の弱った先代の手を引いて風呂好きな先代を風呂に入れている2代目社長の優しさでした。

  「先代が 苦心の会社 引き継いで 隆盛保つ これぞうるわし」

  「ギノー(技能)にて 作りし商品 ヒットする 何がミソ(味噌)だろ 時代先読み」

  「じゃこ天も 元はと言えば 非常識 数年すれば これが常識」

  「鯛めしを 喰いたいけれど 作れない そんな疑問に 価値ある挑戦」

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