shin-1さんの日記

○はるばる女性議員がやって来た

 私のインターネットにある日東京都大島町議会の議員さんから一通のメールが届きました。要約すると「東京丸の内の東京フォーラムで開催された全国監査委員研修会で私の話を聞いたから、是非あなたに会って勉強したい」とのことでした。素敵そうな名前の女性の議員さんのことでもあり、日程を調整したのですが、残念ながら日程が合わず断念のメールを送ったところ、「あなたの日程に合わせるから」と食い下がられ、それではと引き受けることになり本日東京から3名の女性議員さんが私の所へやって来ました。東京といってもあの伊豆大島ですから驚きはしませんが、そんな遠い所からわざわざ来られるのですから、取材の日程を早朝に早めたりテレビ出演を早めたり、のんびりすることも出来ず日程調整に追われました。結果的には終日対応することが出来、夕方無事伊予市のタクシー会社まで送って夕方の会合に間に合うように帰って来ました。

 現職を離れたので幾分視察の受け入れは減りましたが、それでも私に会いに来る視察者はまだまだ多く、その都度視察者から逆に学びながら楽しい交流を行っています。合併して交流の窓口が狭められ折角双海町へ来たいと役所に連絡してもやれ「日曜日や土曜日は休みで受け入れられない」とか、「担当者が忙しい」とかで断られることが多いと、結局は私の所へ電話がかかってくるのです。残念だと思いつつ現職を去った私の役場批判になっては困ると思いつつ何か割り切れない気持ちのモヤモヤが続いています。

 議会議員の研修は沢山受け入れてきましたが、往々にして松山に泊まるついでの研修が多いようですが、今日の3人の女性は遥かにグレードの高いやる気の議員さんとお見受けしました。そうなると私も張り切ってわが家までご案内する熱の入れようで、楽しいおしゃべりと交流が出来たように思います。メンバーの中には女性ながら副議長さんもおり椿の花びらで染め上げた素敵な絹のスカーフやくさやの干物をお土産に頂きました。

 一人の女性が研修会で講師の話を聞く。面白かったと人に伝える。それじゃあ行こうと相談がまとまる。

インターネットで検索し都合を聞く。都合が悪いと返事が届く。あなたに合わせると再度メール。それじゃあ会おうと商談成立。町へやって来る。まあこんな具合で小さな種はまるでタンポポのように風に乗って四国まで届きました。小さな種は太陽と水と空気を与えられ再び島へ帰って行きました。多分彼女たちは旅の恵みを島おこしの力にすることでしょう。頑張れ3人の素敵な女性議員たち。あなたに拍手送ります。

  「成功も失敗話も聞きたいと視察研修遠い町から」

  「偉そうな議員バッチを取り外し本気やる気で町中歩く」

  「人あれば町は必ず活性化だってこの町何もないのに」

  「町愛し町のためにと議員さんもひとつ忘れず町を導く」

 

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shin-1さんの日記

○風呂敷よさらば

 もう15年も前のこと、私は一枚の風呂敷を愛用していました。資料を小豆色の風呂敷に包み、提げて歩くのを見て「田舎臭い」とか「東京ぼん太に似ている」とか散々悪評を叩かれましたが、それでも20年にわたって使い古しました。昨晩書棚を整理していたら、何やら古い風呂敷が出てきました。まるで旧友にでも会ったような懐かしさで思わず頬ずりをしてしまいました。妻に「おいこの風呂敷覚えているか」と尋ねたら、「まあ懐かしい。何処にあったの」と思い出してくれました。少々かび臭くなっていますが、この風呂敷包みを持って私は、東京で一人の学者先生と会ったことを思い出しました。

 当時の町長にお願いして、何処へ行ってもいい「武者修行費10万円」の旅費を組んでもらった私は、一路東京を目指しました。ある人のコネを頼りに新宿のある喫茶店で、立教大学教授岡本包治先生と会ったのです。岡本先生も大の風呂敷包み通で、私が風呂敷包みを抱えているのを見て「あんたも相当田舎者じゃあねえ」、「先生こそ田舎者ですよ」とお茶を飲みながら大笑いをしました。以後先生の監修した生涯学習シリーズの本に執筆陣として名を連ねさせていただくなど、深い深い交流をしました。当時私の町には宿とてなかったので、わが家にも2度ばかり宿泊してもらいましたが、「煙会所」での楽しい語らい今も忘れられない思い出です。残念ながら先生は先んじて天国へ召されましたが、この風呂敷にはそんな思い出が隠されていて、捨て難く取っておいたのでしょう。

 でも妻が言うように思い出を引きずり過ぎると新しい発想は湧きませんから、この際捨てようと一大決心しゴミ袋へ入れてゴミに出しました。あの風呂敷はゴミ収集車に乗せられて焼却場に行くに違いありませんが、せめて心の隅に風呂敷の思い出は大切に残しておきたいものだと心を新たにしました。

 風呂敷は日本人が生んだ最高の生活道具だと思います。大は大、小は小なりに包めるし、頬かむりや首に巻くことだって出来ます。最近は手染めの渋さが受けてインテリアとしての価値も高く、染め抜きの風呂敷の深い味わいが見直されています。でも最近はお祝い事のお返しにいただいていた風呂敷もめっきり減ってきました。私たちの暮らしが洋風化してきた証拠でしょう。

 昨年息子が結婚した時、結納や披露宴などの厳粛な祝い事にには風呂敷が重宝され大活躍しました。はったりや夢を語る人間のことを「大風呂敷」と悪口をいうのですが、さしずめ夢を語ることが好きな私も「大風呂敷」人間の一人かも知れません。シンドバットやアラジンのようなジュータンでなく風呂敷に乗ってドラえもんのように大空を飛びたい気持ちです。

  「一枚の風呂敷包んだ思い出も今は懐かし記憶の彼方に」

  「若き頃大風呂敷を広げては夢を幾つも語り明かした」

  「洋風の暮らし風呂敷消えてゆく傘下駄着物巾着までもが」

  「唐草の風呂敷背負えば泥棒とイメージ描ける私は古い」

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shin-1さんの日記

○観光イチゴ園

 今年の冬は想定外に寒く、北日本では大雪が降って100人を超す人が雪の犠牲になるなど、南国四国では考えられないような痛ましい事故が起こって、福井の大雪を体感しただけに心を痛めています。そんな中わが町では早くも観光イチゴ園がオープンして、沢山の人がやって来ています。

 人間という動物は身勝手なもので、自然をコントロールして生きています。さすがに夜明けをもっと早くなんてことは出来ませんが、植物に休眠期がある特徴を生かして秋や冬を体感させて目覚めさせ、年末までに温度をかけて春が来たことを教えるのです。そうするとこの寒いというのにイチゴは花をつけ実をつけて美味しいイチゴが出来上がります。

 しかもこのイチゴ、高床式とでも表現するような場所で土の代用となるロックウール床に送られる栄養分だけを吸収して成長するのです。まあ早い話がハウスの中はイチゴ生産プラント工場なのです。中に入ると地蜜蜂が飛び交い受粉交配して一足早いすっかり春めいた雰囲気です。6齢まで収穫する、つまり6回も実を成らせる多収穫栽培で5月末まで収穫できるのですから驚くほかはありません。

 今年は年末年始にかけて寒い日が続き、曇天の日が多いため日照不足で少し生育が遅れていると農家の方の表情は暗かったようです。

 みかん作りしか芸のなかった若者が、みかんの裏作として複合経営を目指し始めました。最初は試行錯誤の連続でしたが、シーサイド公園の観光客を誘導することにも成功し初年度は4軒で1万人を集めることができ、その後想定内の観光客を当て込んで増設や関連施設を整備した結果、徐々に観光客は増えているようです。初期のころ集客に一役買った私としては嬉しい限りです。

 集客で想定外だったのは最近になって高齢福祉施設が周辺市町村にいっぱいできて、高齢者が定期的に沢山来てくれることです。とりたてて楽しみのない施設入所者にとっては遠足気分で来れる観光イチゴ園はまるでユートピアといった所でしょう。高床式で車椅子でも入れるので安全と安心が確保されています。

 この観光イチゴ園にとって最大の武器は原風景です。愛媛県で最も古い現役の木造校舎「翠小学校」や水車小屋、周辺の河川・道路改修など穏やかな田園風景も魅力です。初夏には蛍も飛び交いノスタルジックな雰囲気は少年の頃の思い出へといざなってくれます。

 一度観光イチゴ園へ家族で早い春を探しに来てみませんか。ご案内します。

  「ハウスでは早くもイチゴ赤く熟れ特老マイクロ笑顔運んで」

  「ミツバチが小さな花に来て止まる女王のためか農家のためか」

  「木造の校舎と水車長閑なり見ているだけで心ポカポカ」

  「イチゴ園農家のおばさん薄化粧商売人を若返らせる」

  

  

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