shin-1さんの日記

○芋菓子貰う

 鳴門金時、土佐金時といえば言わずと知れたサツマイモの銘柄です。勿論それ以外にも西宇和郡瀬戸町(現伊方町)にも瀬戸金時なるサツマイモが存在します。昔はサツマイモを貧乏食の代名詞のように言われていました。事実私たちが少年だった戦後の物不足の頃は、サツマイモを常食のように食べていましたからそれも当っているのかも知れません。しかし今は食物繊維の多い健康食品として持てはやされ、高価な食材となっています。

 高知県へ小旅行に行った友人から芋菓子をいただきました。「芋菓子は孫がすきでねえ」と口を滑らせたばっかりに届いたのです。言ってみるもんだと内心ホクホクです。

 最近までは高知へ行くのに国道33号線という山中コースを3時間かけて行きましたが、今は高速道路を使えばわざわざ香川県境辺りまで東進するにもかかわらず僅か2時間で高知市内へ行くことが出来ます。殆どの人は短時間コースを選ぶのですが、その人はあえて山中コースを選んで行ったそうです。

 その高知県よりの中ほどに芋菓子の製造販売所があって、私も高知へ行った時は行きか帰りかその店へ立ち寄るのですが、高知では芋菓子とはいわずいもケンピと呼んでいます。芋を細長く切って油で揚げ熱々に砂糖湯をかける独特の製造方法がオレンジ色の美味しい芋ケンピを作るのです。

 芋ケンピは普通細長いのですがきちんとピンとしている芋ケンピは品もよく高価なのですが、半分以下に折れたものは特用袋に入れられて3分の1の値段で売られているのです。どうせ食べるときは折って食べるのだからと、特用袋を買う私はやはり貧乏人の末裔でしょうか。でも何といわれても見た目より実を取ったほうが得策だとは思いませんか。徳用徳用。徳用に限ります。

 貰った芋ケンピは早速金属製のお菓子箱に入れて乾燥剤を入れ、孫の来宅を待っています。「おじいちゃん乾杯」と何故か孫は芋ケンピで乾杯をして食べるのです。おっといけない。孫の顔を想像すると目尻が下がってしまいそうです。しゃきっとしましょう。

 昔は芋菓子も家で作りました。美味かったですね。

  「母生きしころに作った芋菓子を思い出しつつガリリ音立て」

  「人は皆そんなに急いで何処へ行く昔通った山道忘れて」

  「徳用の芋菓子買いしわが友も貧乏人の子沢山なり」

  「芋食えばパンツ破れる屁の力そんな一句を言いつつ食った」

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shin-1さんの日記

○人間牧場が雑誌に載る

 雑誌といえばいいのか機関紙といえばいいのか分かりませんが、人間牧場のことを意識的に情報発信しているため、これまで3回もその種の情報誌に人間牧場が載りました。2回は自分で書いた記事ですが今回は観光をテーマの「舞たうん」という機関紙に観光カリスマとしてのインタビュー記事に添えられる形で2枚の写真が掲載されたのです。一枚は水平線の家で私が笑顔で話すスナップですが、もう一枚の写真が実に素晴らしいのです。11月に取材に訪れたえひめ地域政策研究センターの研究員である脇田さんが、室内から海に向かって張り出したウッドデッキに立つ私と、同行した鵜野さんの二人が海を見つめる姿をバックから激写しています。

 今日所用で出会ったある舞たうんの愛読者から、「あの写真は誰が撮ったですか。素晴らしいですね。」と賞賛の言葉をいただきました。確かに私は取材の日あのカメラの位置に脇田さんと鵜野さんを座らせ、「どうです。いい眺めでしょう。ここに座ると海と水平線と空しか見えません。これをここ人間牧場ではコスモス牧草と考えています。こんなロケーションはありませんよ」と自画自賛したのです。脇田さんは私と鵜野さんをウッドデッキに立たせ何枚か狙っていました。

 校正ゲラの段階で写真を見せてもらったのですが、出来上がった写真は実に素晴らしく一目瞭然でした。

写真に添えられたキャプションも「人間牧場に建設中の『水平線の家』。牧草に見立てた海や水平線を望み、新たな『コト』おこしを構想する若松氏(左)」とありました。スライド全面開放のサッシ窓からは雄大な伊予灘の海と空がパノラマ風に見えていました。

 これで人間牧場もやっとデビューしたことになるでしょう。風誘う春が待ち遠しいワクワク感が身体に湧いてきます。早速インターネットでメールが入ってきました。「舞たうん読んだ。また新しいことに挑戦する姿に感動」なんて褒め殺しもありました。『あそこで焼肉食ったら最高でしょうね」なんて馬鹿げたメールもありました。即座に『焼肉は晩餐館。焼肉焼いても家焼くな。焼肉を食べたい人お断り」と皮肉たっぷりのメールを送り返しておきました。おっと、このブログはあの人も読んでいる。しまった。しまった島倉千代子でした。

 一枚の写真はどんな巧妙な記事よりも雄弁にその意図することを物語ります。あの写真はそんな一枚だと確信しました。

  「一枚の写真が語る物語誰が写したはいWです」

  「雑誌見たあそこで焼肉食いたいとメールよこした大馬鹿者が」

  「人は皆二つのまなこ持っているある人見えて何故に自分は」

  「CGで消せる電線消さずとも心眼持てば要らぬは消える」

 

 

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shin-1さんの日記

○分厚い時刻表

 日本各地を年中旅する私にとって、交通新聞社が毎月発行している分厚い時刻表はなくてはならない重要な旅の友だちです。しかしたかが400円程度ですが毎月購入することも適わず、未だに2004年12月版の古い時刻表を使っています。そんな古い時刻表で大丈夫かと言われそうですが、正確な時刻はインターネットで調べるので、どの路線を経由して目的地に行くのか旅の組み立てには重宝なのです。時刻表を見ていつも思うのですが、日本中の隅から隅まで陸地と海と空をこんなにも多くの列車や船や飛行機が行き交い、人々の足を確保しているのです。しかも大した事故もなく毎日繰り返して正確に運行されているのですから感心するほかありません。

 巻頭に出てくる全国の駅と路線地図は、合併して地名がグチャグチャになった道路地図と違い、ある意味で普遍的な駅名が載っており、ページをめくると降り立った駅や訪ねた土地の思い出が蘇ってくるのです。

 双海町の下灘駅が3回、串の鉄橋が1回青春18キップのキャンペーンポスターに取り上げられ、巻末グラビアに載った一冊は大切に保管していますが、夕焼けトロッコ列車や菜の花トロッコ列車の運行記事も時刻表で取り上げられ、全国からファンが訪れたのもつい昨日のことのようです。

 時刻表は時刻数字の羅列で虫眼鏡で見ないと判読つかないような細かい文字が並んでいるだけのごく単調なものなのですが、これが結構奥深くまるで火曜サスペンスの世界でもあるかのように、様々な旅のルートが見えてきます。新幹線のような早い列車もあれば鈍行列車のような遅い列車もあるし、じょうずに組み合わせると目的地もさることながら道中がまた楽しいのです。

 山梨県甲府市へ行くのに東京から行かず逆ルートで入ると感じ方がまた違います。これまではより早く目的地に到着して目的を済ませ、より早く家や職場に帰れるか考えたものですが、今はどうすればゆっくり楽しむことが出来るか考えるようになりました。

 時刻表は私の旅が終わることなく、「まだまだ旅の途中です」よと訴えているようです。私の妻はトワイライトエクスプレスに乗るのが夢だそうです。大阪から日本海沿いを北上し札幌までの約1500キロの旅は、新幹線では味わえない夢と楽しさがあるはずだと言うのです。昨年は退職記念でカナダの旅でしたが、今年は早くそれを計画し実現したいと思っています。P943には料金表が、P283には大阪発12時の列車時刻がP586まで続いており、終着駅札幌に9時07分に到着とあります。4月14日に北海道の招きで講演が予定されており、時刻表を見ながら夢が広がりました。

  「夢誘う捲るページの時刻表あの街訪ねあれも見たいと」

  「乗り継げば特急料金半額にその分高めの駅弁口に」

  「同じ線乗り換えすれば何故余分食って掛かるが車掌私じゃ」

  「分厚くてこれ程安い書籍なし何が基準か分からぬ本代」

 

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shin-1さんの日記

○平成7年1月17日その日私は

 早いもので阪神淡路大震災から今日で11年目を迎えました。平成7年といえば今ではすっかりお馴染みとなった「ふたみシーサイド公園」のオープン年ですから、私にとっては記憶も一入です。平成17年1月17日の震災が起こった時間、私はオープンを目指すシーサイド公園イベントホールの、何と水槽の中にいたのです。水槽は一週間おきに中に入って汚れを落とす汚くてきつい作業があるのですが、私はその日も早朝5時からその作業を行っていました。西の空も白んで水槽の掃除も一段落しようとしたした時、5本ある水槽の一つに飼っている多きな西洋ナマズが外に飛び出しました。私は急いで水槽の外へ出たそのナマズを元の水槽へ戻したのですが、再び水槽の中のバケツを出そうと中に入った瞬間グラグラときたのです。「地震かな?」くらいでさほどの体感はなかったのですが、家へ帰って風呂を浴び出勤準備をしながらテレビを見ていると、長田町の惨事が大きく映し出され事の重大さに気付いたのです。

 あれから11年が矢のように過ぎ去り、人々の記憶も薄れ阪神淡路地域は見た目は立派な復興を遂げました。しかし今なお水面下では大きな後遺症に悩んでいるようで心が痛みます。その後起こった新潟地震や今冬の大雪災害を見るにつけ、非常時の備えの大事さやボランティアの大切さ、それに地域コミュニティの意義を感じます。

 それにしても、あの地震がもう少し近くで起こっていたら、私は水槽の中で人生を終わっていたかもしれないと思うとゾッとします。水槽の掃除はあれから退職するまでの10年間ずっと続けてきましたが、水槽に入る度に阪神淡路大震災のことを思い出したものです。

 それにしても地震の度にいわれる「ナマズと地震の因果関係」は私の見た限りでは当っているのではないかと思います。地震の直前に西洋ナマズが水槽から飛び出したのをこの目ではっきりと見たのですから。

震災の日にふしだらな発想も慎むべきとは思うのですが、もしナマズに地震予知能力があるのであれば、あちらこちらにナマズを飼って予知させるのも一考かと・・・・・・。

  「水槽のナマズ地震を予知してか外に飛び出すわが目で見たり」

  「天災は忘れた頃にいうけれど忘れちゃ困る阪神淡路」

  「復旧の阪神淡路バスで行く時の流れの何と速いか」

  「南海は何回来るか分からない難解地震予知のすべなし」

 

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