shin-1さんの日記

○「ブログやってるんだって」

 最近色々な人からブログについて聞かれます。「ブログやっているんだって」なんて質問です。その言葉の裏には「まさかあなたが最先端のブログなど」とか、「その歳で」と少し私を見くびっての質問のようにも受け止められますが、当の私は「ええこの歳でもしっかり独学で勉強し進化を続けています」と少しだけ胸を張って答えるようにしています。

 それにしても私自身パソコンがここまで使えるとは思っても見ませんでした。パソコン嫌いだった私はパソコンのことを聞かれると、トンチンカンな答えに終始していました。多分自信がないのと不得手が生んだ結果だろうと思うのですが、まだまだ未熟ながらブログだけはマスターして先へ進みつつあるようです。

 先日友人仲間にブログの面白さを話ました。幸い友人の中にはブログをやっている人が数人おり、談義は楽しい方向に向かったのです。「ブログって何?」もいれば、「ブログをやってみてつくづく思うのだが、人のを読むと面白くて自分の書くのを忘れるくらい」とか、「毎日書いているがあれほどの情報を覚えているパソコンは偉い」、「ブログがあれば今まで三日坊主だった日記帳はいらない」などなどでした。

 ある友人が「それほど面白いんだったらやり方を教えてくれ」というのです。「今は教える時代ではない。参考テキストも本屋に行けばいっぱいある。やろうと思えば学ぶ時代だよ」と名言をはいたお陰で、私は難を逃れました。私は自分が面白くても人に教える自信はないのですから・・・・・・。

 数日後、私の元に一通のメールが届きました。あの友人からです。「ブログを書いたのだが読んで欲しい。登録してから誤字脱字に気がついた。どうすれば直すことが出来るか教えて欲しい」でした。私は知ったかぶりでメールを送りました。手直しが成功したかどうかは再信がなにので知る由もありません。

 私が加入しているブログはAmeba by CyberAgent で無料です。時々変なコメントやトラックバックが入りますが、それも余興でしょう。

 ブログのもう一つの楽しみは読んでいる人の人数が分かりその数がランキングが毎日表示されることです。60万人の最低から始めたのですが、目標としていた10万人目を軽く超え、今は1万人を越える勢いです。また日記では3千近くまで到達しました。ワクワクです。

  「三日しか持たない過去の日記帳なのにブログは続いて不思議」

  「あの人のブログ読んだか話題なる母さん集会時代変わりぬ」

  「この記事は読んで欲しいと発すれど無しのつぶてに少々落胆」

  「六十の手習いブログ私でも出来るのだからやろう思えば」

 

 

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shin-1さんの日記

○いい湯だな

 人間牧場の畑の開墾も新しく買った地掘り鍬のお陰で順調に進み、この分だと春の植え付けには何とか間に合いそうです。今日は弁当と温かいお茶を持参して開墾に望みました。今日は温度も左程下がらず、ジャンバーを脱ぎ捨てシャツ一枚で汗だくの作業となりました。10時と3時の休憩は近所のおばさんがくれたポンカンを食べ、お昼は車の中で食べました。弁当は昨日妹から届いて食べ残っていた大きな稲荷寿司を二個とりんごをタッパに私が積めたもので、妻が魔法瓶に入れた熱い玄米茶をフーフーしながらたった一人の昼食です。

 いそしそと弁当を詰める私を見て「まあ珍しい。雨でも降るのじゃないかしら」と妻にからかわれ出発しましたが、妻の予言は的中して4時に雨がポツポツ降り出しました。雨が最初に当る人は野良だそうですが、私もその一人です。今日の目標であった一番下の畑の開墾作業が少し残りそうでしたが、雨にも負けず急いで作業を続行し4時10分に終了しました。耕した後の掘り起した雑草や根っこはおびただしい量で、石ころもかなり出ており、いい天気になったら焼却処分したいと思っています。

 雨が降り出したのを良いことに早仕舞いをして軽四の愛車で帰ると中、急な思いつきで由並小学校を訪ねました。昨年まで教育委員会で一緒に仕事をしていた中尾先生の顔が急に思い出されたからと、この学校の評議委員になっていながら疎遠になっているので、校長先生にもお会いしたかったのです。運良く校長先生や教頭先生、それに中尾先生もいらっしゃって、短い時間でしたがお茶を飲みながら楽しいおしゃべりをしました。昨年の今頃は双海町誌の編集が追い込みで寝る間もないほど忙しく働いて貰った中尾先生も、今は本職の先生に復帰していい仕事をしているようで安心しました。

 学校を出るごろには本降りとなりましたが信号を右折すればわが家なのに、何故か愛車は直進し松前町の温泉にまっしぐら、浴場の人となりました。今日のように慣れない労働をした後は温泉で全体をゆっくり暖め、身体をほぐしておかないと腰痛が心配なのです。サウナで汗を出し、お馴染みの風呂友と談笑して「いい湯だな」の雰囲気です。

 風呂はカラスの行水だった私が、最近は何と1時間半も温泉気分を味わうのですから世の中も変わったものです。お蔭様で今日はゆっくりリラックスして休めそうです。

  「最近は風呂友できて長湯する余裕できたか俺の暮らしも」

  「あれ程にひっつきもっつきした人が今はまったく別の道行く」

  「海見える小高い学校訪ね来てホッと息つき休まる覚ゆ」

  「校長の顔見りゃ分かる内事情冗談飛び出す余裕がいいね」

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shin-1さんの日記

○暦は薮入り

 読んで字の如く余り「迷信」は信じないようにしているのですが、妻や親父は暦を見て「今日は大安で日がいい」などとよく言います。長男の結婚式も妻の見立てで大安吉日を選びましたが、その支払いに式場へ出かけたところ、「多分今日は仏滅だから結婚式はないだろう」と予想して行ったのに、仏滅ながら何組も結婚式があってびっくりしました。式場の人に聞くと「今の若い人は暦なんか信じず、仏滅はかえって空いていたり格安なので逆にそこを撰ぶ人が多いようです」と言うのです。「世の中も変わったものですね」と驚いたのは妻でした。

 しかし大安や仏滅は別として旧暦が少しずつ見直されようとしています。現代の暦は太陽暦ですが旧暦は陰暦といわれるように太陽の明るさに比べたら月の明るさは比較にならないほど暗い月の満ち引きによって暦が作られています。その旧暦は自然をなりわいとする農業や漁業にとって極めて大切な暦なのです。百姓さんが米を作る作業も漁師さんが網を入れるのも全て旧暦が使われているのです。

 旧暦の仕組みは勉強すれば面白いことがいっぱいあるのでしょうが、そんな知恵も余裕もないので勉強はしていません。でも寒の入りや大寒はおおよそ寒さのピークを言い表せているのですから信じないわけには行きません。

 今日1月16日は新暦の薮入りです。私が若いごろはといえばさも古い人間のようですが、結婚した頃は薮入りという風習があって、妻の実家へ里帰りに行きました。長閑な時代だったのでしょうか、この日は役場も気を使って昼からは最低限の人を残して半ドンにしていました。妻の実家は街の中で藪などないのに何故薮入りか不思議に思いつつ、今もその謎は解けていませんが、妻の両親が亡くなった今では薮入りもなく、また母の亡くなった我が家へも薮入りに来る兄弟はいなくなりました。

 二日前、突然にわが家へ電話がかかってきました。「お父さん」と聞きなれない若い女性の声が電話口から聞こえてくるのです。聞きなれた長女娘の声でもなく一瞬たじろきましたが、その声の主は長男の嫁の声だったのです。いきなり言われた「お父さん」の声に正気を取り戻すのに少々時間がかかりましたが、お母さんに代わってくださいと言われ代わると、「明日は日曜日なので行ってもいいですか」だったようです。妻曰く「薮入りのつもりかねえ」。私はすっかり薮入りのことなど忘れていました。

  「藪から棒言われて薮入り思い出すどちらの藪を目指すか息子」

  「今朝の月まるで昼間の明るさで庭先照らす息子出てゆく」

  「ジャガイモを植える準備の忙しさ暦めくりて種芋頼む」

  「餅を焼く昔は七輪今レンジ膨れっ面は今も昔も」

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shin-1さんの日記

○わが家の掛場帳

 私たちが子どもの頃、背中に大きな風呂敷包みを背負って置き薬の行商人が各家々を回っていたのを覚えています。玄関先で大きな包みを開け、神棚の横に大切に置いている薬箱を母が下ろすと、その人は世間話をしながら中身を点検して、無くなったものを入れて仕切り書を渡し、代金を受け取って何処かへ去っていったのです。近くにはキッチン宿があって学校へ行くときその人が出入りするのを見ましたから、多分この宿を拠点に売り歩いていたのでしょう。

 富山は当時遠い国でした。薬売りは一年を通じて旅をしながら薬を各家に届けるのですが、子供心に「あの人は他所の県の人だのに何であんなに家々を知っているのだろう」と不思議に思ったものです。ある日薬屋さんにそのことを尋ねたら、そのおじさんは「長年やっていると家の位置やその家に何人人間がいるかくらいは頭と体が覚えているので、目をつぶってでもその家に行けますよ」と言うのです。私はその薬屋さんを偉い人だなあと思ったものです。

 ところがある日、この薬屋さんは私の母に隣の家のことを詳しく聞いているのを見てしまいました。薬屋さんはカバンの中から何やら大切な分厚い帳面を出し、そこへ記入しているではありませんか。それが薬売りにとって命より大切な「掛場帳」であると知ったのは、テレビで薬売りの特集を見たからでした。親から子へ、子から孫へ代々受け継がれた「掛場帳」は薬業界の革命によってその価値をなくしたそうですが、絶対人に見せないといわれる「掛場帳」の存在は、薬売りの命だったのです。

 わが家にも個人情報と言われる「掛場帳」が2冊存在します。一冊は年賀状用の筆王というソフトに組み込まれた住所録です。これは長年の出会いや縁を頼りに作成した私にとって大切な交遊メモなのです。もう一冊は妻が保管の祖母、母の葬儀、法要に使った香典名簿と入院、出産、建前、入学、卒業、結婚など、わが家の節目ごとの祝儀の状況が詳しく書かれています。新聞のお目出度お悔やみ欄や知人からの情報の度に、わが家の「掛場帳」はめくられ大きな効果を発揮するのです。最近はパソコンが普及したので、入力しておけばよいと妻からは整理を頼まれているのですが、いっこうにラチがあきません。

  薬屋さんが来ると四角や丸い紙風船をくれたりするので、遊び道具とてなかった少年の頃のことゆえ嬉しかったことが昨日のことのように思い出されます。今は農協が置き薬運動をやっていますので、やはり同じように薬屋さんがたまに詰め替えに来ますが、薬箱の薬は幸か不幸か余り減ってはいないようです。

  「見ず知らず顔も覚えぬ薬売り玄関座って風船くれる」

  「亡くなった噂が我が家の掛場帳開け値踏みの香典包む」

  「香典の中身で決まる縁深さケチすりゃ明日から挨拶そこそこ」

  「旅先にあの人亡くなる連絡が香典送れと妻に指示する」

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