shin-1さんの日記

○早くも水仙祭

 今年の冬日本中では大雪だというのに、四国の双海町では早くも春の使者ともいえる水仙が咲きそろい、芳しい香りをあたり一面に漂わせています。その様子を観察しながら「花はどうして季節を感じるのだろう」と不思議に思うことがあります。凡人の私にその回答はありませんが、一年に一回しか出番のない花ですから、自分が一番咲きたい時に咲くだけの話かも知れません。

 水仙の名所は北陸越前海岸や淡路島などが有名ですが、いずれの地も北向き急斜面という決して好条件でない所に咲くようです。水仙も外国から輸入されたり交配によって今では500種類ともいわれるくらい多くの水仙を見ることが出来ますが、やはり何と言っても日本人に愛されるのは、花といい香といい、容姿といい日本水仙といわれる在来種ではないでしょうか。

 私の町の水仙も在来種の日本水仙ですが、中には金管が八重の在来種がありますが今一人気がないようです。私の町の水仙は金山泰森さんという人がみかんの廃園に植えて世話をして水仙畑を作ってからすっかり有名になりました。私もその片棒を担ぎまちづくりの一貫としてPRに努めました。金山さんから広報部長と言われるほどにお互いの信頼関係を密にしながらやって来ましたが、今は高齢化した金山さんに代わって息子さんがその世話をしています。

 また、地元に誕生した花の会が水仙の圃場を作って管理しながら水仙祭りを計画実行しています。昨日はあいにくの雨でしたが、今日は心配された雨もあがり、多くの観光客で終日賑わいました。

 今日は微風で空には色とりどりのパラグライダーが長閑に飛び、シーサイド公園の観光客はパラグライダーが降りる度に驚いた様子で見守っていました。

 ちょっとしたきっかけですが、冬の何にもない季節にこれだけの観光客を呼ぶのですから、わが町にとって水仙は次に咲く菜の花と共に、まるで救世主のようなものです。水仙を仕掛け売り出した私としてはうれしい出来事ですが、イベントは続けることも意味があります。でももっと大切なことは高めるというアイディアも大切だと思うのです。そのためには今年の反省に立ってお互いが知恵を出し合うことが大切です。携わっているある職員が「残念なことにこれまで深く関わってきた職員も、他に異動すれば姿を見せなくなることです」とぼやいていましたが、「仕事だからまちづくりに関わる」のではなく、たとえ異動しても一人の町民として参加協力するような人間になりたいものです。

  「今年また水仙咲いたとテレビ言う寒さ我慢の坂道登る」

  「水仙は私の推薦する花で清楚な姿誰かに似たり」

  「北向きの急な斜面に咲き誇る白き水仙誰が植えたか」

  「水人と山を合わせりゃ花になる花守おばちゃん今年も元気」

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shin-1さんの日記

○病気見舞い

 病気になって入院するというのは何とも気が滅入るものです。特に家族にとって誰かが入院するとその世話などで慌しく過ごさなければならないので大変だと思います。滅多に入院しない健康な人が入院すると直りも早く、急いで見舞いに行かないと恥をかくことがあるのですが、二度三度と同じ病気で入退院を繰り返しているような人は、本人は勿論家族の心配も深刻です。そんな人は余り見舞いに来て欲しくない人もいて、「誰にも言わないように」と緘口令を敷いての入院は、見舞いの見計らいが中々難しく気を使います。

 友人からAさんが入院しているという情報が入りました。同じ病気での度重なる入院だけに今回は2ヶ月の加療入院と診断されていて長引くため、みんなには内緒で入院しました。昨日は土曜日だったので午前中見舞いに出掛けました。病院は休みとあって日ごろは混んでる長い廊下も静まり返り、見舞いの人が無言で行き交うだけの寂しさでした。私もかつて入院したことのある馴染みの病院だけに勝手知ったる手合いで病室へ行きました。

 Aさんはベットに横になってラジオを聴いていました。私は携帯電話で訪問を知らせていましたので、心待ちにしていたようで起き上がって話をしてくれました。何でも肝機能障害で検査の数値が考えられないくらい高いとかで、話の途中で尋ねてきたきた奥さんを交え病気談義に花を咲かせました。私より3歳も若くまだ現役ですが、3人の子どものことも目鼻がつきそうなので自分の進退を考えているとも聞きました。青年時代から青年団で鍛錬しまちづくりも共に励ましあってきた最も気が合う仲間の一人だけに、早く元気になって欲しいと願っています。

 病気上がりの決して元気100㌫とはいい難い私ですが、最近になって同年代の仲間が体調を崩したり、先に逝ったりするものですから、気になって仕方がありません。今日の病院見舞いも正直自分の健康に置き換えて考え、少ししんみりしてしまいました。

 「早く元気になって退院しろ」と彼を勇気付け病院を後にしました。

 家に帰ってそのことを妻に話すと、その日は何故か妻が優しいのです。もっと長生きして欲しいとの魂胆でしょうが、「お前が毎日こんなに優しかったらええのに」と皮肉を言ったら、「私は毎日優しい」とやり返されました。

  「病院へ友の見舞いに行く私次は逆さにならぬ限らず」

  「足音で誰だかわかる長入院病は気からと勇気付けるが」

  「寒さなど分からぬ病室常春で快適なのに恋しき我が家」

  「やつれ顔少し痩せたと世辞言葉言って病室ドアノブそっと」

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shin-1さんの日記

○消防団の法被

 今日は消防団の出初式だそうです。早朝7時有線放送のサイレンが防火の意味を込めて鳴り響き、出初式を告げました。合併した今年は消防団にも変化が起こり、団員の法被がこれまで慣れ親しんだ双海町から伊予市に様変わりしました。今朝散歩をしていると伊予市と大書した法被を着た人たちがあちらこちらを歩いている姿を見て、何か違和感を覚えたのは私一人ではないのではないかと思います。大雨や災害の度に双海町の法被がわが町の人命や財産を必死になって守ってくれました。特にわが家の裏山は地盤が弱く、何度も災害に見舞われましたが、双海町の法被は大活躍でした。ここにも合併で消えたもの、新しく生まれたものがあるようです。

 消防団は日本が世界に誇るコミュニティボランティアです。近年は地域の高齢化によって、またボランティア精神やコミュニティ社会の崩壊によって消防団も存続の危機に直面しているようですが、防火防災が大きなテーマの現代にあって、消防団は何としても残し伝えておきたい組織だと思われます。私たちは消防団にのみおんぶにだっこするのではなく、自治会なども積極的に安心安全面での自主防災組織を作るなどして、自らの地域は自らの力で守ってゆかねばなりません。

 私もかつては消防団員として在籍し、役場に入ってからは役場消防班員として、消防活動に加わりました。これからはその経験を生かし自治会長として及ばずながらお手伝いしたいものです

 私の家に、今では文化財のようになってしまった一台の手押しポンプが保存されています。廃品回収の憂き目に会った手動のポンプです。今は自動化されたポンプになりましたが、かつてはこのポンプも最新の道具として、高い金を払って購入したに違いありません。骨董を趣味としている親父が譲り受けて磨いたものですが、さすがに年代物で防火思想の普及にはうってつけ、見学にこられた方々も珍しそうに触っています。

双海町から伊予市に変わった法被、手押しポンプから消防自動車に変わった消火道具、時代は変わっても消防の重要性は今も昔も変わってはいません。

  「父磨く手押しポンプの古めかし豊かな社会見向きもされず」

  「出初式興味あるのは後宴会綺麗どころをはべらせ飲んで」

  「新しき法被凛々しい消防団長靴ネクタイ合わぬ思うが」

  「寝たきりの叔父も昔は団長で胸に功績バッチ付けてた」 

 

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