○お墓参り
妻の兄の息子が近々結婚するというので、大安吉日を選び昨日お歓びを届けに妻の実家へ妻と二人で出かけました。この息子、今は新潟に住んでいるようですが、結婚式は何とアメリカ・ラスベガスで挙げるのだそうです。地球も狭くなったし、世の中も随分変わったと思いました。私たちが結婚したとき、披露宴は近くの農協でしたし挙式は家の床の間でした。今は結婚式は洋式の教会、披露宴では和服とまるでチグハグな日本人の姿が垣間見え、考えてみれば奇妙に感じずにはいられません。そして日本に住んでいるのにわざわざラスベガスの教会も奇妙だと、妻は首をかしげています。でもまあ結婚する二人が決めたことですから、それもよしと考えなければ次には進めません。
ラスベガスで結婚するということは、両家の両親や親族にとってラスベガスへの海外旅行を意味します。義兄の部屋には渡米までまだ20日間もあるというのに、大きな海外旅行用のバックや中身が所狭しと置かれ、事の重大さを物語っているようでした。私たち親族にとっても行くべきか行かざるべきか迷うところですが、義兄からごく内輪の親と兄弟だけで挙式する旨の回答があり、妻も先日のカナダ旅行の時差ぼけを思い出して、ほっと胸を撫でていました。
義兄の家を出て妻の先祖の墓参りをしました。八幡浜のお寺さんの裏山から見える晩秋の宇和海は絶景で、日本一といわれるみかん畑が耕して天に至るの表現どおり何処までも続いていました。
お墓に水とシキビ、飴などを供え、線香に火をつけ敬虔な祈りを捧げました。妻の両親はもう10年前に他界していますので、感慨も一入の面持ちで、思い出話をしました。
人間はたかだか80年しか生きられません。長生きしたとしても100歳ですから短いものです。妻にも私にも両親がいて、その両親に又両親とねずみ算式に数えて行くと、私には10代前まで遡ると何と1024人の先祖がいることになります。妻も同じ1024人ですから合計2048人の血肉を受け継いでわが息子たちは生まれているのです。その2048個のパズルのどれひとつがなくても、若松ジュニアのパズル絵は完成しないのですから驚きです。しかしこうしてお墓参りしても、以外や以外、私の記憶、妻の記憶にある先祖はたかだか2~3代前くらいしか思い出せないのです。民俗学のルーツがこうも浅いことを、うやむやにする民族も少ないのではと、自分の探究心の浅さに呆れています。
嘉永といえばペルーが日本に来た頃の墓など、百年以上の風雪に耐えた墓標に線香を手向けながら、先祖を空想してみました。妻の実家は二宮という姓ですから、日本の飛行機王二宮忠八とも関係があると聞き及んでいた物語が広がってきました。墓地の裏山にははぜが真赤に紅葉して秋風が爽やかに通り過ぎて行きました。
私もまた、場所こそ違え墓に入る運命を不思議に思いつつ急な石段を降りて行きました。
「人生ははかないけれど墓はある いつか私もこの墓の土」