shin-1さんの日記

○笑売啖呵

 「笑売啖呵」。はい、この言葉は私が作った造語で「しょうばいたんか」と呼びます。まあ俳句をワサビの効いた川柳にしたようなイメージと考えてください。笑売は商売とかけ笑いを売ります。啖呵は短歌とかけて5・7・5・7・7の世界です。昔私の知人に俳句つくりの面白い人がいました。ヒッチハイクとかけてヒッチ俳句なるものを考えた人です。彼の名作に「風邪ひいて肱川の水でうがいかな」というのですが、ご存知肱川は愛媛県大洲を流れる川です。夏になると鵜飼が行われます。鵜飼と喉をうがいすることを掛け合わせています。私の編み出した(偉そうに)笑売啖呵も究極はその辺まで高めたい思いを持っています。

 私の秀作をひとつご紹介しましょう。「5・7・5・7・7」あっ失礼、これは作った後で妻の人権を侵害していると、妻から公表を控える様に釘を刺されていますので、今回は創造の世界でご勘弁を願います。

 ブログを書くに当って文章の巻末にちょっとした笑売啖呵を載せています。本文よりこの方が面白いという人もいて、多少がっくりやら、ニコニコやらの心境です。

 高杉晋作は「おもしろきこともなき世をおもしろくすみなすものはこころなりけり」と時世の句を残しています。考えれば今の社会は面白くないことがあまりにも多いように思えます。でもそんな社会だからこそ面白く生きていく意味があるのです。「すみなすものはこころなりけり」ですから、せめて気持ちだけでも笑いを絶やさないように生きたいものです。

 寅さんシーリーズで双海町は下灘駅が舞台となりました。当時私は町の広報マンをしていてその場面を取材する幸運に恵まれました。山田洋次監督に頼んで寅さんの写真を撮らせてもらいましたが、寅さんに「写真を撮らせて下さい」と頼んだら、「やあ」といってプラットホームを歩いてくれました。ベンチに寝そべった寅さんと歩く姿しか撮らなかったのですが、いい思い出です。寅さんは行く先々で啖呵倍なる名調子のセリフを残しています。「ものの始まりが一ならば大和の国は富士の山・・・・」などと面白セリフがいっぱいでした。私の啖呵はそんな浅はかな場所が出典です。これからも折に触れ笑売啖呵を作りますのでご相伴下さい。

 「愛・恋と色々あるが文字を見りゃ愛は真ん中恋下心」

 「昨晩も夫婦二人で風呂に入り思わず笑う妻の湯溢れ」

 「長生きをしてもつまらぬ言う親父今朝も飲んでる栄養剤を」

 「鶏肉を今日は食べない親父さん鳥インフルの話題テレビで」

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shin-1さんの日記

○仮想社会人間との対話

 役所の仕事を辞め、自宅の書斎机にパソコンを置き、インターネットを始めて7ヶ月が経ちました。おっかなびっくり、時には息子の助けを求めながら独学で始めたのですが、息子の「お父さんパソコンは触って失敗しないと覚えない」という言葉に励まされ、まだまだ未熟ですがメールのやり取りとブログ発信までこぎつけました。私のようにセミ・リタイアした人間にとってインターネットは、仕事の打ち合わせとでもいうべき営業活動にも利用するので、今や必需品となりました。最初は「Eメールで資料を送ります。アドレスを教えてください」と電話で言われ、FAXや住所と間違ったり、今考えると笑い話のようなハプニングを経験しました。

 しかしふと気がつくと、私とメールをやり取りする人の顔を、知っている人が少ないことに気づくのです。ましてや画面で見る電子文字でのやり取りですから、電話のような声さえも聞けず、まさに仮想社会の人間と言わざるを得ません。「この人はどんな顔をしているのだろう」などと思い巡らせるのも楽しい反面、顔の見えない怖さも感じるのです。顔が見える安心感と顔の見えない恐怖感を比べて、心に自制心を働かせる間は良いのですが、人間は何故か人が見ていないと、とんでもないことをやらかします。陰徳を積まない愚か者にインターネットという道具を持たせることは、百害あって一利なしかも知れないと思ったりもします。

 しかし世の中は変わりました。重さも大きさもないこれらの電子情報が金になり、情報産業で巨万の富を築いた人たちが、その富を武器に「金で解決できないものはない」といって、政界、経済界、スポーツ界まで進出し、社会のルールを無視して暴れまくっているのです。勿論閉鎖社会の弊害を打破する大きな力になっていることは誰しも認めるのですが、毎日の報道を見ていると少しやり過ぎの感は否めません。

 顔の見えない人からメールで講師依頼があります。日程の空きを確認し受諾すると「あなたのプロフィールを送ってください」といわれるままに添付します。やがて講演に行く二ヶ月余りの空白期間に何度かメールが届き演題、用意するもの、レジメ原稿、交通アクセスなどを打ち合わせますが、心温まる人は私の人間性にふれようと、楽しいメールを届けてくれます。バーチャル世界は自分の都合のよい人物像を描きますから、現地へ行ってその落差に落胆するのはお互い様かも知れません。

 仮想人間は私につかの間のワクワク・ドキドキ・ハラハラという夢を見させてくれます。昔火星に生き物がいるかも知れないことを漫画で読みました。空想しました。火星社会ならぬ仮想社会の、火星人ならぬ仮想人を今私は空想しながらキーボードを叩いています。

 「このメール読む人小百合に似てる人思い巡らせ風の便りを」

 「あっしもた恋という字が変になり変換ミスで興ざめの恋」

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