shin-1さんの日記

○ガン病棟

 健康診断でひっかかり、軽い気持ちで検査入院したところ、前立腺にガンが見つかり手術することになった義兄の手術を見守るため、今日は午後1時から県病院の個室で、兄弟や親族が半日の長きにわたって待機しました。今は昔のようにガンを患者に隠し通す時代ではないから、本人も自覚して望んだ手術だったのですが、手術室へ送られる義兄の顔はさすがに神妙で、血の気が引いていました。しかしもっと血の気が引いていたのは姉で、さすがにショックを隠せないようで、このところ近所のお地蔵さんにお参りを欠かしませんでした。

 「遅くとも5時くらいには終わるでしょう」と主治医から言われていた手術も、延々6時頃までかかり、終わったと看護婦さんが告げに来たのは6時半を回っていました。執刀した先生から手術後の説明があるというので説明室に出掛けましたが、主治医は手袋にいっぱい血をつけ、今手術が終わったと言わんばかりにトレーに血肉の塊を入れ、ピンセットで開けながら「これがガンです」と単刀直入に言うので、驚いた姉は「先生手術は成功したのでしょうか」と聞き返す慌てぶりでした。広島から帰郷した義兄の息子は、「先生ガンは遺伝するのでしょうか」と自分の将来への不安まで質問していました。容態も安定、転移もしてない、ガンは全て取った、経過がよければ明日の朝集中治療室から病棟へ移す、あと1時間で目が覚める、など矢継ぎ早の質問に丁寧に答えてもらい、病室へ上がりました。

 6階はそんな人が多く入院しているのが素人の私にも分かるほどで、胃ガンだの直腸ガンだのと患者さんのひそひそ話しがよく聞こえていました。兄弟や親族は手術が終わると三々五々引き上げていきましたが、私は不安にかられている姉をいたわるように、姉娘と3人で麻酔から目が覚めるまで病院に留まることにしましたが、以外や30分ほどすると看護婦さんが、集中治療室へ来るよう連絡にやってきました。夢から覚めた兄はいたって元気で、何があったのと言わんばかりのにキョトンとしていました。

 100歳の父親と三つ違いの弟を最近冥土へ送った義兄はにとって、自分のガン発見は相当ショックだったようで、好きなお酒も好きなゴルフも断ち、沈んだ姿は痛々しいほどでしたが、これでやっと平穏な日々の暮らしに戻れそうです。

 同居のマスオさん夫婦の2人の孫が、手紙を書いて励ましてくれたのが余程嬉しかったのでしょう、お守りの代わりに枕元にしっかりと置かれていたのが印象的でした。

 ガン告知という現代の医学は正直言って情報公開の意味からも、また本人や家族の病気への向き合いという意味からも凄い進歩だと思いました。 多分義兄もこの山坂を登りきってくれるに違いありません。一日も早い全快を祈ります。

 「これがガン開けて見せるお医者さん姉の顔から血の気引く見ゆ」

 「麻酔さめ私はだあれここは何処義兄の顔はうつろなるかな」

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shin-1さんの日記

○禿か白髪かどっちを選ぶ

 「あなたの髪は黒々してますが染めているんですか」とよく聞かれます。「いいえこれ生まれたままですよ」「へーお若いですねえ。羨ましい」なんて会話が弾むのも無理はありません。還暦を過ぎたこの歳になると殆どの人が禿か白髪になるのです。事実私の仲間たちや周りの同じ年代の人は、白髪が進んで染めてみたり、中には頭にアデランスなるものを被せてカモフラージュしている人もかなりいるようです。

 酒宴の席で「禿がよいか白髪がよいか」と訳も分からぬばか話に花が咲きました。最後はいずれも嫌で生まれたままの黒々フサフサがいいというみんなの意見一致を見ましたが、その中の禿た人が神妙な顔つきで若い頃の思い出を話してくれました。彼は若いごろから若禿に悩まされ、「このままでは一生独身で終わるのでは」と結婚話がある度に悩み苦しんだそうです。でも「禿が何よ」といった素敵な奥さんと巡り会い、それからは禿のことなどむしろ笑いのネタにして人生を過ごしてきたと話してくれました。

 彼は驚くなかれ「禿の哲学」なる本に出会い、「禿のことなら任せて」というくらい禿の勉強をしていました。彼の禿論によると両側進行型、前方後退型、後方拡散型など禿にも色々なタイプがあって、電車に乗って周りの人の禿具合を自分と比較しながら観察すると、中々面白いとユーモアを交えて話すのです。禿の悩みを笑いのネタにする彼の生き方に大いに共鳴をしました。

 一方白髪になった仲間は、禿の仲間の笑いに負けじと思い出話を話してくれました。子どもを連れて保育園へ行った時、保母さんから「まあ若いおじいちゃん。お孫さんですか」と言われ相当ショックを受け、その足で美容院に行って白髪を染めたと言うのです。以来最近までずっと染め続け、その「白髪頭への投資額は相当なもんだ」と威張ってみせました。一度は自分で染めて原液の量を間違え、顔や体中に湿疹ができたこともあったと述懐しました。でも今は「シルクヘアー」などと冗談がいえるようになったそうです。

 幸せにも髪の悩みに出会わなかった私たちは、やれ禿だのやれ白髪だのと人の苦しみも知らず笑っていましたが、人には言うにいわれる身体的苦しみがあるのです。近頃私も頭に少しずつ白髪が見え始め、鏡を見るたびに「おー、少し貫禄ができたか」と思うようになりました。自分自身の髪に白髪が増えた妻は「そろそろ栗色に染めようかしら」と言いますが、私は「そのままがいい」と言っています。

 「禿の哲学」か「白髪の哲学」か、どっちの料理ショーではありませんが、どっちも素敵な友達の話でした。

 

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