shin-1さんの日記

○月に一度の男前

 私は物心ついてから高校を卒業するまで、頭は丸刈りで通しました。時代背景がそうだったからかも知れませんが、子どもは丸刈りというのは当たり前だったので、何の疑いもなく丸刈りにしていました。頭の髪を伸ばそうと思ったのは高校を卒業した時で、当時は石原裕次郎などに憧れたこともあって、若者の殆どが短めの角刈り風だったようです。私はそれ以来髪を伸ばしたといっても短めの角刈り風を貫き通してきました。妻は少し伸ばしたらと勧めてくれたこともありましたが、結局は角刈り風の頭が自分には似合うと思い込んでいたのです。

 髪が長いと髪が伸びても余り感じませんが、実は髪が短いと必ず毎月一回散髪に行かなければなりません。私の場合も多少の早い遅いはあっても毎月一回のペースで決まった散髪屋さんに行くのです。ところが先月はお盆が入り、散髪に行けば散髪屋さんが休みだったり、月曜日の定休日だったり、また私の日程が空かなかったりしてその結果、ついに1ヵ月半も延び延びになってしまったのです。

 「散髪に行く」といったら妻が「まだ早い」と口癖のようにいうのに今回に限っては、「髪が少し伸びたようなので、出張の前なので散髪に行ったら」と勧めてくれるほどでした。

 先日久しぶりに散髪屋へ行ったら、「進ちゃん、何処か具合でも悪かったの?」と聞かれました。「いやあ散髪に来たら休みだったり、ついつい忙しくて時機を逸してしまいました」と大笑いです。早速三つある席の真ん中に座り散髪屋の大将にバリカンで裾を刈り上げてもらい、その後はハサミ刈りをしてもらいました。顔剃りは主に奥さんの役目で二人がかりで私の男前をあげてもらいました。歳を取ると髪の伸びるのが遅くなるのか、刈り取られ床に落ちた髪は幾分少ないようにも感じられましたが、それでも僅か1時間で頭をすっきり整え、3400円を払って散髪屋を出ました。

 帰るなり妻が「何処を散髪したの?」と、相変わらずの減らず口です。「男前になっただろうが、ほらあぜ道カットだ」と、バリカンで刈った襟元を手で触らせてやりました。「まあ、タワシみたい」とはこれまた面白い表現でした。これでこれから1ヶ月は顔のヒゲさえ剃れば何の問題もなく身だしなみが整うのです。

 私は毎日風呂に入り、毎日髪を洗います。若い頃は髪を洗った湯上りにヘアーリキッドを振りかけていましたが、今は何もつけません。ドライヤーもかけずただ洗うだけで十分ですからこれくらい便利な頭はないのです。

 この歳になると頭は白髪か禿か二通りありますが、私は「若松さん頭は染めているのですか」と時々聞かれますが、頭を染めたことはまだ一度もありません。でもお陰様でまだ黒い部分が多いのですが、やはり近頃になって少しずつ白髪が目立つようになってきました。「顔は悪いがメガネはかけたことがなく髪も黒々」などと自慢めいた会話をしていますが、白髪になればなったで、これは自然の成り行きだと思って意の向くままに生きて行きたいと思っています。

 久しぶりに散髪した私の顔でなく頭を見に双海町の人間牧場へ遊びにお越し下さい。

  「まだ早い いつも口癖 いう妻が 散髪したら なるほど伸びた」

  「散髪屋 鏡に映る 自分見て あらあら不思議 男前なる」

  「風呂に入り 毎日洗う 手軽さよ 角刈り頭 何と便利だ」

  「染めたのか 見まがう程に 黒々と 白髪や禿と 呼ばれぬ私」  


 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○サプリメントのお誘い

 「若松さんお元気ですか」「一度会いたいのですが、時間を割いてくれませんか」と、私の元へは相変わらず電話やメールが入ります。空いた時間の中にそうした出会いのスケジュールを入れるものですから、「お父さん、何でそんなに忙しいの?」と妻が言うほど毎日が忙しいのです。メールに返信を打ち、電話では快く出会うことを承知するのです。私は「私に会いたい」という人に、「何のご用件でしょうか」と事前に聞くことを余りしません。相手が「人間牧場の見学がしたい」とか、「かくかくしかじかで相談に乗ってもらいたい」とか目的がはっきりして訪れる人もいますが、要は私に会って顔を見たり話がしたい人もいるのですから、「何の御用でしょうか」とは中々いえないのです。

 昨日は上島町からはるばる友人のお兄さんがやって来ました。その方は友人を通じて私もよく知っている人なので、「じゃあシーサイド公園で午後1時にお会いしましょう」と約束していて、私のスケジュール表の隙間を埋めていました。妻と昼食を取った後出かけました。彼はこちらの土地勘が余りなく伊予市で迷い、双海町でもシーサイドの上寄りの駐車場に入ったらしく、やっとたどり着いたようでした。シーサイドの職員さんにお願いして事務所横の応接室を使わせてもらいました。

 名刺を交換して弟さんの近況や本人の近況を雑談交じりに聞いた後、さて本題という話しになりました。彼はセールスマンが持ってるような手提げのバックからパンフレットを取り出し、島人らしく朴訥ながら話しを始めました。どうやらサプリメントの話のようで、マニュアルに沿って色々な健康について話をしてくれました。多分どこかの研修会に参加してセールスの仕方を学んできたのでしょうが、何時になく流暢に話してくれました。一通り話した後試飲品を取り出し私に飲むよう勧めました。別に悪いものでもないし、彼が言うように3年半飲んで免許証の書き換えの時に眼鏡が要らなくなったという話は本当かと、少し疑いつつも粒状のサプリメントを5錠、酸素水という水と一緒に飲みました。彼は目がよくなったかどうか調べたいと、よく眼科にある視力を調べる表を取り出して壁に張り、私の視力検査までさせるのです。

 話はここからいよいよ佳境に入ってきました。このサプリメントの販売にはまるでねずみ講のような入り組んだ裏話がありました。つまり私が私の勧誘によって集めた人々で三角形のような組織を作ろうとするものなのです。確かに私には多くの友人がいて、その気になれば100人や200人は集まるかも知れません。またひょっとしたらこの組織でかなり儲けれるかもしれないのです。

 全国の名だたる人が三角形の頂点に立って儲けている話を聞きました。また四国はまだ未開拓の分野で、私のような人脈がある人ならば遅い取り組みでも、私の話術と行動力があればあっという間にスターダムにのし上がれるというのです。

 これまでにも同じような勧誘を何度も受けている私の心は動くはずもなく、次の人との約束もあって約1時間ほどで説明は終りました。彼は車に帰って説明用のDVDを持って来て私に渡し「また時々連絡します」といって帰って行きました。

 サプリメントは栄養補助食品ですから悪いものではありません。またサプリメントを愛飲したり、サプリメントを普及している人が悪いというのでもありません、しかしこのところ、ヒアルロンサン、コラーゲンなどさえいえば、あたかも体に効き目があるといわんばかりのセールスは如何なものかと疑いたくなるのです。加えてサプリメントで儲かる話がセットだと余計疑いたくなります。

 私の人脈はそのようなねずみ講まがいの商売には使いたくないと思いました。やがて彼からまた連絡が入るかも知れませんが、はてさて友人のお兄さんでもあるし、どのように断ろうか、心の痛む一日でした。

  「健康で 長生きしたい あの人は サプリメントを 愛飲過信」

  「儲かると いえば心が 動くもの 上手い話にゃ 必ず裏が」

  「健康と いえば心が 動くもの 人は誰でも 長生きしたい」

  「断るに 断りきれぬ 断りの 断り話 断り話す」 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ネバネバな食べ物

 昼間はまだまだ残暑が厳しいものの、朝晩少しずつ涼しくなって今日から9月です。「歳をとると月日の経つのが早いように感じる」とは、今日90歳の誕生日を迎えた親父の弁です。そのことは親父ほどではないにしても私たち夫婦にとっても同じで、私が退職して早いもので3年半が経ちました。その間私は一体何を目的にどのように過ごし、どんな進化を遂げてきたのでしょうか。人生の区切りを大切にしてこれまで生きてきた私にとって21年刻みの日時計は21歳、42歳、63歳と3クォーターを確実に目的や目標をクリアしてきましたが、いよいよ来月から4クォーターへと突入です。

 ノー天気男と妻からいわれる私でも、気がかりなことは幾つもあります。大きく分けると①健康、②生きがい、③老後、③子や孫などでしょうが、その一つ一つを意識を持って確実に生きて行くことだと肝に銘じています。

 ①健康

 今のところ、8年前に患った胆のうの調子もよく、これといった悪くも痛い所もなく健康に過ごしています。二ヶ月に一回の健康診断も欠かさず行っています。体の健康には快食・快眠・快便がありますが、快食が何よりも大事で、私の健康については妻の気配りは相当なもので、胆のうの手術後嫌いになった肉食は殆どなく、魚ややさい中心の体にいいものを手間暇かけて作り食べさせてくれるのです。お陰で快便好調、心のストレスがないから快眠も一日4時間と短か目ながらぐっすりです。

 昨日一日だけでネバネバ料理を三種類も食べました。朝は納豆でした。私は妻のように何度もかき混ぜてネバネバを作ることはせず、糸を引かない発酵したそのままの状態が好みなので酢醤油をかけて食べました。昼はわが家の菜園で朝収穫したオクラを刻んで食べました。オクラの苗は8本植えましたが半分が枯れたものの4本は生き延び、今は大きくて元気なオクラが毎日4~5個獲れますので、夫婦にとっては丁度よい量なのです。夕食にはモロヘイヤのおひたしが出ました。昨日息子が振り付けなどで関わる劇団イリュージョンの公演を見に行った帰りにスーパーでモロヘイヤを見つけたらしく、今年初めての料理となりました。昨年までは家庭菜園に作っていましたが、今年は苗を手に入れることが出来ず、食べたい気持ちでしたのでラッキーでした。納豆やオクラ、モロヘイヤのようなネバネバした食べ物は体によいといわれていて、健康の秘訣はやはり妻の食生活管理にあるようです。

 ②生きがい

 リタイアして直ぐに取り組んだ人間牧場も、周りの人の協力で素敵な使い方をしています。家族とも人間牧場を介して向き合うようになりました。人間牧場は私の今の人生の大きな支えです。魚梁瀬杉の切り株を高座に見立てた落伍も慣れてきたし、高座本も目標を突破しました。年輪塾も始まりました。地元の子どもたちとのふれあいも順調に進んでいます。ブログも一日2本のペースがすっかり板について情報発信による新しいネットワークもできつつあります。傷みかけたパソコンも娘婿や息子の支援で新しいパソコンに順次更新しつつあります。大学も、まちづくりもそろそろ次へのバトンタッチの時期に来たようで、軟着陸の仕方を考えなければならないようです。

まあ63歳という年齢にしては充実した生きがいある人生を送っている方だと自負しています。

 ③老後

 年金暮らしに入っていますが、妻のリタイアもそろそろです。質素で慎ましやかな暮らしをすれば年金で暮らしてゆけるのですから、経済的には困らず有難い世の中になったものです。私たちの老後もさることながら、今日90歳を迎えた親父の老後がまず気にかかりまし。親父も私も在宅介護を望んでいますので、穏やかな今のような暮らしを続けたいと思っていますが、年寄りはいつ何時突発的なことが起こるか分らないものですから、自分たちの老後も含めてしっかりと生活設計したいものです。

 ④息子や孫の将来

 二人の息子がまだ未婚です。何とか伴侶をと思っていますが、こればっかしはどうにもならず、妻の悩みの原因にもなっているようです。晩婚時代なので私は余り気にしていませんが、もうそろそろというのが本音かも知れません。孫も3人誕生しそれぞれ成長をし続けています。せめて私1×妻1=子ども4×孫6くらいな計算が成り立つようにして欲しいと願っています。

  「早九月 時の経つのは 矢のようで 間もなく私 六十四になる」

  「人間は 嫌でも歳を とるものだ ゆえに前向き 生きてゆきたい」

  「ネバネバを 食べれば体 いいですと 人気番組 いうものだから」

  「モロヘイヤ 納豆オクラを 次々と 妻は食べさせ 夫気遣う」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○七五三現象

 七五三といえば子どもの厄払いの縁起行事として日本の各地に定着しています。医学の発達していなかった昔は乳幼児期の死亡率が高く、三歳、五歳、7歳という年齢を超えることが難しかったようで、偶数より縁起のよい奇数の三、五、七という数字が選ばれ、五代将軍徳川綱吉の子どもがお参りした11月15日をお参りの日と定められ、着飾った子どもたちが近所の氏神様へ無事長久を祈るためお参りするのです。三は言葉、五は智恵、七は歯を、それぞれ神から授かることを感謝したといういわれも納得しますし、千歳飴は千年にあやかったものかも知れません。

 最近七五三という現象が若者の間に広まっているという話しを、ジョブカフェ愛Warkの大内所長さんの講演で聞きました。大内所長さんとは昨年、国立大洲青少年交流の家で開かれた大人を考えるフォーラムの実行委員としてご一緒していましたが、講演を聞くのは初めてなので興味をそそりました。中でも数字が示す「七五三現象」という言葉は面白い表現でした。

 中学校卒業者の七割、高校卒業者の五割、大学卒業者の三割が、新卒で就職しても3年以内に仕事を辞めてしまうというのです。この現状を七五三というのだそうですが、全国平均は中卒平均70.2%なのに愛媛県92.3%、高卒は全国平均49.2%なのに愛媛県49.5%、大卒は全国平均35.7%なのに愛媛県40.4%といずれも愛媛県は離職率が高く、特に中卒は10人中9人までと殆どの若者が3年以内に辞めてしまうのです。進学率が高くなり、中卒若者の数はそれほど多くないので離職率の高さは問題にならないと思われますが、ニート(弱年無業者)やフリーターも、2003年をピークに減ってはいるもののやはり気になります。

 私には4人の子どもがいますが、長女長男は最初の仕事を今も続けています。、次男と三男はこの七五三現象には当てはまらないものの離職ならぬ転職をしました。次男は高校卒業後8年間も勤めた会社を辞めて看護学校に入校して5年間学び、看護師として再出発をしました。三男は大学卒業後4年間勤めた会社を辞め社会人枠で警察官になりました。

 就職は永久就職と思う私たち世代からすれば、息子から転職の話しを聞いた時、「えっ?、何で今更」と思いました。特に子どもの世話をし続けている妻は子どもの将来について考えることが多く、子ども以上に悩んだようでした。でも今の日本は、昔のように永久就職といった考えの時代ではなくなり、私の息子のように働いてお金を貯め、将来のために資格を取るために学び直すことだってあるのです。

 今にして思えば、転職を考えた息子も勇気ある決断でしたし、それはそれとしてよい決断だったと思うのです。将来の夢もないままニートに甘んじている若者の多いことが問題ですから、親として子どもに適切に関わることを考えなければならないのです。

 大内さんにいただいたパンフレットの中には、保護者へ①子どもの話、ちゃんと聴いていますか。②こんなふううに、思っていませんか。③子どもこと、ちゃんと知っていますか。④自分の思い込みを、押し付けていませんか。と問いかけています。

 今社会人として特に求められている三つの能力と12の力についてもメモがありました。

 ①前に踏み出す力(アクション) -一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力-

  □主体性  物事に進んで取り組む力

  □働きかけ力  他人に働きかけ巻き込む力

  □実行力  目的を設定し確実に行動する力

 ②考え抜く力(シンキング) -疑問を持ち考える力

  □課題発見力  現状を分析し目的や課題を明らかにする力

  □計画力  課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力

  □想像力  新しい価値を生み出す力

 ③チームで働く力(チームワーク)  -多様な人々とともに、目標に向けて協力する力

  □発信力  自分の意見を分りやすく伝える力

  □傾聴力  相手の意見を丁寧に聴く力

  □柔軟性  意見の違いや立場の違いを理解する力

  □状況把握力  自分と周囲の人々や物事との関連性を把握する力

  □規律性  社会のルールや人との約束を守る力

  □ストレスコントロール力  ストレスの発生源に対応する力

  「七五三 若者離職 現象と 聞いて驚く 今の若者」

  「何時の世も 悩みは多し 生きること 相談相手 無きが心配」

  「パチンコや ゲームセンター 入りびたり 知っているのか 親は何処に」

  「わが息子 暗いトンネル やっと抜け 今は生き生き 輝き生きる」  

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○日本食の枝豆

 今年の夏はわが家の家庭菜園に植えた枝豆がどういう訳か不作で殆ど枯れてしまいました。5月中旬に種をまき発芽は順調だったのですがその後枯れ始めました。親父の話だと枝豆の発芽した芽を野バトがついばんでしまったのではないかというのです。そういえば菜園には近くの林に住む野バトが再々やって来て色々なものを突くのです。手拍子で追い払ったり、鳥おどしをつけても平気でうろつきお手上げの状態です。こんな失敗をくり返さないために来年は網を張ろうと親父と相談していますが、さて明日で90歳になる親父にその体力があるかどうか心配ですが、そろそろ代替わりで私がその任に当らなければならないと、心を引きしめているところです。その親父は今日も元気で、目が薄くなったといいながらも朝から松の剪定に余念がないようです。

 さて野バトの食害にあった早生の枝豆も、残って成長したものを2度ばかり塩湯でして食べましたが、野バトの食害を免れた晩生の枝豆が食べ頃となり、今晩は収穫して食べようと思っています。昔はキリンラガービールの愛飲家だった私はビールのつまみに枝豆を沢山食べました。体の不調でビールを断ったため当然枝豆を食べる回数も量も大幅に激減してしまいました。私は豆腐や納豆などの大豆製品が大好きです。豆腐だと軽く一丁は食べるほど豆腐には目がないのです。当然枝豆も大好物ですが、ビアホールには今年兄弟夫婦で一度行ったきりで、枝豆はその折に鱈腹食べただけなのです。

 昨日は孫が大和屋のビアホールへ夕食をかねて両親と出かけ、私たちは留守番をしましたが、帰った孫の話しを聞くと「一番美味しかったのは枝豆だった」そうで、お皿に4回もお変わりをして食べたと自慢していました。「うーん残念、おじいちゃんも枝豆を食べたかった」と答えると、得意げになって枝豆の話しをしてくれました。

 最近外国でも枝豆の人気は今日上昇中だそうです。外国では塩湯でした枝豆を食べる風習はなかったそうですが、日本食のヘルシーさが受けていて、日本語そのままに外国でも「エダマメ」と呼ばれているようです。日本人が枝豆を食べるようになったのは記述資料によると江戸時代からのようです。枝豆の消費が一気に伸びたのはやはり戦後のようで、食生活が洋風化しビールの消費量が拡大するにしたがって枝豆の消費もうなぎ上りとなりました。枝豆の緑色した豆がはじけるように口の中に飛び込む食感はビールの苦味とともに忘れられない味なのです。

 この枝豆といわれる緑豆は、塩茹でだけでなく夏を彩る料理にもかなり使われています。高級料理には枝豆を裏ごしして豆腐に練りこんだり、ハモの上に和え物としてかけたり、またイタリア料理の皿を彩るソースとして使われているようです。時には枝豆を掻き揚げ天ぷらにして食べることもあるのです。しかしこれも殆どは他人が作った料理を食べるときだけで、自分ではやはりシンプルな枝豆として食べるくらいしか能がないようです。

 こうして枝豆の話をするともうとっくに止め、何の未練もなくなったはずのビールの味が急に恋しくなりました。毎日毎日、仕事との疲れを癒すためと、人間関係を深くすると過信して飲み続けたビールはいつの間にか回数と量を増やし、体を蝕んでいたように思えるのです。愛飲し続けたビールだけが原因ではないにしても、それも要因だと思ってすっぱりやめて10年近くが経ちました。お陰で体調はすこぶる回復して、健康な日々を暮らしていますが、やはりビールを止めたと同時に姿を消した枝豆も捨て難い味なのです。

 去年のこの頃、伊予市に住む友人水口さんから黒大豆の枝豆が届きました。産毛のような毛が生えて、中の実も黒味を帯びてグロテスクなのですが、これがとても美味しく、あの味は忘れられないのです。他人の懐なので甘えてはいけませんが、残夏残暑のこの頃になると、水口さんと黒豆の枝豆が急に恋しくなり、密かな期待を持つのです。

  「枝豆の 味を思えば 止めし酒 喉の覚えし 蘇えり来る」

  「送られし 黒豆の味 忘られず もうそろそろと そわそわしつつ」

  「外国で エダマメと書く お品書き 日本の食も インターナショナル」 

  「枝豆を 四皿お変わり 食べたいう 孫は得意げ 俺は舌打つ」 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○一升餅背負い

 私たちの地域では子どもの健やかな成長を願い、子どもが満一歳の誕生日を迎えるにあたって、一升餅を背中に背負わせて歩かせる珍しい風習があります。各家庭で餅をつくことが殆どなくなったため、どの子どももという訳ではありませんが、わが家では私も私の息子もしてきたことなので長男の息子、つまり私の孫にもしてやろうという事になりました。

 妻は数日前にもち米を買い込んで準備を始めました。その折娘の長男朋樹には外孫ということもあって一升餅背負いをしていなかったので、孫希心と一緒に娘の次男である孫尚樹にも用意しようと、それぞれ一升餅を作ることにしたのです。一昨日の夕刻妻と二人で蒸し器と電動餅つき機を取り出し餅つきです。最近は正月の餅もシーサイドの加工場でつくので、わが家での餅つきは久しぶりなのです。蒸し器で蒸したもち米を餅つき機に入れると、僅か5分ほどで綺麗な餅が出来上がるのです。妻は少し大きめの寿司桶に白い片栗粉を引いてつき上がった餅を入れてぐるぐる回し、まるでお月様のような真ん丸いお餅が2個出来上がったのです。その状態で一晩寝かせて固まった餅をダンボールの箱に入れ、昨夕妻と二人で息子と娘の家を相次いで訪問しました。



 妻は今日誕生日を迎える内孫希心のためにご馳走も用意していました。希心はあいにくお昼寝の最中でしたが、早速起したのが悪かったのか少しご機嫌斜めで、風呂敷に包んだ餅を背中に背負わせると本泣きで手の付けられない状態です。それでも何とか母親がとりなして無事一升餅を背負い歩き初めをしたのです。

 子どもの成長は早いものであれから一年があっという間に経ちました。希心は体重も10キロ前後とかなり大柄です。這うことが苦手でしたが今では這うことも出来るし伝い歩きも出来るようになりました。自分の体力の減退とは偉い違いです。妻の用意した料理を食べながら家族で色々なことを話しました。息子の家族も間もなく私たちの元へ帰って同居を始める予定ですが、同居は同居なりに問題も多いようなのでしっかりと話し合って心の準備をしてから始めようと思っています。まあ何はともあれ目出度い一升餅背負いとなりました。



 私たち夫婦は息子の家をおいとまして娘の家へ出かけました。今度は娘の次男尚樹に一升餅背負いをプレゼントするためです。尚樹は5月18日が誕生日なので既に足腰もしっかりして歩けるようになっています。希心と同じように風呂敷で一升餅を背負わせましたが、ここでも尚樹は大パニックで泣いたり笑ったりしながら持ちを背負って歩きました。

 昨夕は娘夫婦と孫朋樹、それに近所に住んでいるわが次男の一生が大和屋のビアホールへ食事に出かけるため、尚樹のお守りと留守番を頼まれました。私たち夫婦は孫尚樹を乳母車に乗せて1キロ近くも離れた祝谷にある「そら」というパン屋さんまで散歩がてら娘から頼まれたパンを買いに行きました。乳母車に乗った尚樹は大喜びでしたが直ぐに眠りこけてしまいました。今から寝せると朝早く目を覚ますらしいので起して、靴を履かせて歩かせました。少しヨタヨタ歩きですが行きつ戻りつ何と500メートルも歩きました。途中犬の散歩をしている人に何人も出会い、その都度「ワンワン」と一つしかいえない言葉で興味を示し、散歩は大成功です。

 往復1時間の散歩を終えて帰り、簡単な食事を済ませて寝かせました。二人でNHKテレビ思い出のメロディーを見聞きしました。今年40周年を迎えるこの番組は私たち夫婦の生きた時代でもあり、殆どの歌が口ずさめるものでした。「白い花の咲く頃」を歌う岡本篤郎さんは八十歳を越えているというの素晴らしい歌声でした。青函連絡船100年、ロカビリー3人男、浜口庫之助特集など心に残りました。

 やがて娘家族が帰り、孫朋樹を連れて約40分の道をわが家へ帰って来ました。孫の成長に目を細める楽しい夕べでした。

  「一升の 餅を背負いて 歩かせる 二人の孫は 有難迷惑」

  「孫が泣き 周りは笑う 泣き笑い 健やか成長 これも幸せ」

  「散歩する ヨチヨチ歩きの 孫の後 ついてヨタヨタ 爺と婆」

  「思い出の メロデイー聞いて 口ずさむ 懐かし歌が 心に染みる」


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○研修の在り方

 最近会社は社員研修、行政は職員研修などに力を入れているようです。いつの時代にも人の良し悪しによって業績や成果に影響がでるものですから当然といえば当然なのです。私はそれらの研修に仕事柄、講師として呼ばれることが多いのですが、私のジャンルはこれまでの経験談を中心にして、どちらかというと「やる気の創造」とか、「新しい発想の視点」などへの注文が多いようで、その都度熱っぽく語るのです。

 これらは殆ど集合研修であり、要となる部課が企画、責任者の名前で召集し「忙しい」とか「こんな研修は意味がない」などと多少の文句はあっても、飯のネタであるし出世に響くとあって予定された時間と場所に集まり、それなりに研修を受けて終るのです。参加者の意識が低く、実の入らない消化型の何の意味もない研修は哀れで、お昼寝のオンパレードといったところでしょう。特に行政のやる研修にはこの種の研修が多いのも事実です。

 最近はワークショップなどの手法を取り入れて参加者が主体的に動くような研修が見られたり、あらかじめ参加者に質問事項を提出させたりしていて、かなり効果を挙げているようです。しかし集合研修には自ずと限界があり、研修後のレポート提出さえも、何を研修したのか疑いたくなるようなものもあるのです。

 先日「eラーニング」という分野が社員教育の間で裾野が広がりつつあるという話しを聞きました。聞きなれない言葉なので少し調べてみました。「eラーニング」という言葉がはじめて登場したのは1990年代で、「eラーニング」のeはelectronic(電子的)の頭文字だそうです。当初はCD-ROMの配布による学習方法でしたが、その後プラウザ(インターネットのホームページを閲覧するためのソフトの総称)を使用して学習を行う双方向型登場し、今では学習の進捗状況や受講履歴の管理もできるなど目まぐるしい進歩を遂げているようです。総論するとeラーニングとは、インタネットやイントラネットを用いた教育系他のことのようです。

 eラーニングでどんなことを学んでいるかというと、コンプライアンス(法令遵守)や情報セキュリティ、情報保護、ビジネスマナーにまで及んでいる層で、特に会社の管理職などはこうした教育を3人に1人は受けているそうです。これまでの研修がどちらかというと集合研修に重きを置いていましたが、いよいよ研修も、会場費などの間接コストを抑えられる、個人のスケジュールに合わせた受講が可能、職場を離れなくて済む、学習の進捗状況が把握できる、学習指導のフィードバックが迅速であるというメリットから、集団研修から個人研修の時代に移りつつあることを実感するのです。

 集団研修のメリットは、ただでさえ出会うことの少ない時代ゆえに顔の見える意味は誰しも認めるところですが、やはりこうしたきめ細かい個人学習への対応もしなければ、会社そのもののレベルアップは出来ないようです。私たちが仕事をしてきた時代とは社会環境も職場環境も随分変わってきました。全ての人の机の上にはパソコンが置かれ、職場毎に情報のネットワークが張り巡らされているのです。パソコンなしで仕事は出来なくなりましたが、そのパソコンを個々人のレベルアップに生かすなら、もっと質の高い仕事が出来るのかも知れません。しかしいつの時代もパソコンなどの道具を使うのは人間ですから、一歩使い方を間違うと大変なことになることも心してかかるべきでしょう。

  「横文字が どんどん増えて ギブアップ 分らぬままに 闇から闇へ」

  「ソフト何? ソフトボールか クリームか 私は古い 頭浮かばず」

  「便利だね インターネットで 調べれば 辞典も要らぬ 時刻表まで」

  「予約する 仕方分らず 買っていた チケット手配 今はネットで」


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○誤字脱字のご指摘

 毎日あくせくしながら日々を過ごし、朝と夜の少しの時間を割いてブログ「shin-1さんの日記を書いていますが、時々出会う人から、「ブログを毎日楽しみに読んでいます」とか、「あなたには中々出会いませんがブログを読んでいるのでどんな生き方をしているか手に取るように分ります」といわれます。中には読んだ感想を定期的にメールで送っていただく人もいます。またある人は「毎日職場であなたのブログを開け読んでから朝礼に望むようにしています。時々書かれていることを素材にして部下に話すようにしています」と、汗顔の思いをすることもしばしばです。

 先日大洲に住む知人女性から一枚のハガキが舞い込みました。私はこの女性とは長い知り合いで、合併前の町村役場に勤務している頃に知り合いました。合併のドタバタ騒ぎや私がリタイアしたこともあって、何処の職場にいるのか分らなくなっていましたが、一昨年宇和島で開かれた愛媛県市議会事務局職員の研修会に招かれた折、偶然にも出席されていて、嬉しい再会を果たしました。今は合併した市役所の議会事務局に勤務していますが、時折季節の話題とともに、私のブログ文章の感想と誤字脱字についての感想を送ってくれるのです。一昨日届いたハガキは大洲城のスケッチ絵ハガキでしたが、几帳面な性格そのままにまるで活字のような綺麗な文字で書かれていました。

 前回届いたハガキには私のブログの文章の誤字脱字への見解が書いてあったものですから、気になってそのハガキを机の上の小さなイーグルに入れて飾り戒めにしていましたが、返信を忘れていたので時ならぬ時期にしたためたハガキへの返信でした。

 私はハガキの末尾に色々な言葉を書く癖があります。彼女への返信ハガキに何を書いたのかは忘れましたが、文章から察するに「逢う人も逢う人もまた福の神」と、広島県上下町に住むユースホステルの森岡ママからいただいた言葉を書いていたようです。

 彼女は博学ですからその言葉を受けて面白い言葉を送ってくれました。

 福の神 元をただせば 貧乏の 神がおいおい 出世したもの

 いやあ気に入りました。早速昨日のハガキ三枚には「大洲の友人女性からの贈り物」と注釈をつけて書きました。なるほど福の神も元を正せば貧乏な神だったのか、自分の生い立ちも福の神に似ていて、未だ貧乏神の領域さえ抜け出していないものの、多少福の神になったような気分で生きているのです。

 誤字脱字のそしりは未だに暗いトンネルの中に入ったままです。なにせ毎日が忙しく、書いた文章を読み返すような暇が残念ながらないのです。自分の文章といいながらブログという手段で書くと公表され、批判を受けることは覚悟しているものの、甘んじてその批判を受けなければならないのです。誤った変換をしたパソコンのせいにしたりしてますが、もうそろそろしっかりとした文章を書き、しっかりと読み返して添削したり修正するようになりたいと、今朝も彼女の手紙をイーグルに入れ替えて机の上に置きました。

 彼女の名前も本当は書きたいのに個人情報とかで書けない恨みもあり、少しもやもやの文章になってしまいました。

  「貧乏な 神が出世の 福の神 俺は未だに 出世見離す」

  「誤字脱字 お前が悪いと パソコンに 八つ当たりする 逃げ道作り」

  「あちこちに 知人友人 散らばって 何かにつけて 私を見てる」

  「送られし ハガキに書いた 言葉から また一つ智恵 上乗せしつつ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○時ならぬ雨

 夏も終わりに近付き、このところのジメジメした天気で何となくうっとうしい気持ちです。しかし松山を中心として愛媛県では水不足が心配なだけに、少しでも雨が降って欲しいと願わずにいられません。世の中は中々上手く行かないもので、愛媛県では水不足だというのに日本列島の東や北では1時間に100ミリを越す猛烈な雨が降って、観測史上の記録を次々と塗り替えているようです。今朝高松へ行くため早起きして行く途中カーラジオから流れていたニュースだと、どこかの町では1時間に120ミリという猛烈な雨を記録し、死者や行方不明者が出たと報じていました。時間雨量120ミリは尋常な量ではなくバケツをひっくり返したような凄さなのです。

 これらの雨の降り方を見て、異常気象だという人もいますが、これは日本列島に居座った前線に向って南から暖かい空気が流れ込んでいるためで、上空に流れ込んだ寒気の影響で天気が不安定になったせいなのです。つまり日本列島のの弓なりになった地形の上に雲の通り道が出来たため起こる現象なのです。私は気象予報士でもなくそれ程の知識はありませんが、水産高校出身なので学校で天気のことは色々学んでいます。加えて地元で漁師を7年もやった経験からどんな時にどんな気象の変化が起こるか、おおよその見当はつけれるのです。

 私は社会教育やまちづくりの世界で長らく生きてきました。社会教育やまちづくりにとって屋外でのイベントは欠かせない存在で、天気を予報することはイベントを成功させる上でとても大切なことでした。特に決行か中止か、また中断か再開かを本部として決定しなければならなかったのです。この場合判断を誤ると参加者からブーイングが起こるだけでなくイベントそのものを壊してしまうのです。特に夕やけコンサートのように一年に一度、しかも100万円を越える予算が動くとなると一ヶ月前から天気の動向を把握し、テキパキと対応しなければならないのです。小雨決行といいながら参加者を濡れささないためにテントを張るとかいった胃の痛むような苦労は随分しましたし、過ぎてしまえばそれもいい思い出です。でも20回ばかり続けたコンサートも台風襲来で一度中止にした以外は、それなりに実行し大きな感動を得ることが出来ました。

 私の口癖は「天に向ってブツブツいうな、雨の日には雨の日の仕事がある」でしたが、予期せぬ台風襲来や大雨に遭遇し、無人島キャンプで生きるか死ぬかという大変な経験もしました。最後は「責任」いう思い荷物が自分の肩にのしかかりましたが、「引き返すことの勇気」という教訓も学びました。

 多分夕やけコンサートを主催する役場の大谷さんは今頃私と同じような天気回復への願いで一喜一憂していることでしょうが、これも次への成長の一里塚だと思って、逃げることなく正面からアタックして欲しいものです。

 町内のあちこちで焚き火の煙が昇るようになってきました。畑の隅で夏草を焼いているのでしょう。わが家でもそろそろ家の横の家庭菜園で、冬野菜の準備を始めなければなりません。親父はこのところ畑に出てせっせと草を取り、その草を焼いて準備に余念がありません。先日は親父から苦土石灰を頼まれ肥料屋さんで1俵購入し、単車の後に積んで帰ってきました。間もなく大根の種蒔きが始まることでしょう。季節はもう秋へと巡っているのです。

  「辻褄を 合わせるように 雨が降る 辻褄合わぬ 雨も各地で」

  「台風が 来ない喜び 反対に 雨が少なく 一雨欲しい」

  「雨乞いの 祈り届いて 雨が降る たちまち草は 青々茂り」

  「もう一度 草刈りすれば 終りかな 今年も草は 元気でしたよ」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○第45回全国広報公聴研究大会に招かれて

 私たちが若い頃は同じ四国といっても高松での研修会に行くには一泊二日の旅でした。ところが最近は高速道路が整備されて、特に香川県の道路がよくなったため、少々早い時間の開会でも少し早めに家を出れば間に合うため、高松で一泊などの旅は完全になくなり日帰りとなったのです。そのため高松へは殆ど車で行っていましたが、ご承知の通りガソリン代が高くなり、高速代金を含めるとかなりに出費になるし、少し楽な旅を考えて今回はJRの電車を使うことにしました。


(借り切り状態のような特急いしづちの車内はとてもお洒落でした)

 しかし朝6時14分松山駅発の電車に乗るためには、わが家を5時には出なければならないのです。目覚ましの要らなくなった年齢ながら、それでも失敗をしては大変と、寝坊の妻は午前4時30分にセットして床に就いたようです。私は午前4時に起床し顔を洗ったりヒゲを剃ったりして準備をしていると時ならぬ時に目覚ましのベルが鳴り、妻は驚いて飛び起きました。身支度を整えいざ自家用車で出発です。早朝の国道は予想以上にトラックが走って、その後についたものですから、三秋峠辺りでは少しイライラしましたが、それでも十分間に合う時間に松山へ着き、車を駐車場に置いて5時14分の列車に乗り込みました。金曜日といいながら平日の早朝の便なので乗客は殆どなく、田舎の特急いしづちにしては豪華な指定客席に座って2時間半の旅を楽しみました。朝が早かったのでウトウトしたり、本を読んだり、車窓を眺めたり、高松が近付くに連れて今日の話の中身をどうしようか、思いを巡らせたりしながら列車は予定通り目的地の高松駅へ到着しました。

(高松駅前は全日空ホテルなどが立ち並びまるで夢空間です)
(コンベンションホール・サンポート高松の施設も凄いです)

 会場となるサンポート高松までは本の目と鼻の先なのでゆっくり歩きました。それにしてもサンポート高松というコンベンション施設は立派なもので、いつ来てもその威容に驚くのです。約束の時間は9時30分でしたが、列車の都合で9時に到着しました。丁度私が送っていたDVDのリハーサルが行われていて、ちょっと泥きました。ロビーには今年度の広報コンクールの入賞作品がロビーに並べられていて、ペラペラと捲りながら駆け足で見せてもらいましたが、どれも秀作で私たちの頃と違った編集技術が存分に生かされていました。

 合併で市町村の数が多かった何年か前までこの大会は、かなりの広報に携わる人が参加していたそうですが、市町村の数の減少と、県外主張の自粛によって300人程度のこじんまりとした大会になっているようでした。

 さてこの大会の今年のテーマは「地域の魅了を発信」でした。事例発表として私と香川県直島の笠原さんがそれぞれ1時間ずつお話をしました。

 私は広報マンとして10年間に毎月2回、240号の広報を作った経験から、広報マンとして広報作りで得た①書くという能力、②伝えるという能力、③まちづくりという能力についてまず話しました。書く能力は行政マンにとって大切な武器であり、今もブログを毎日書きながらささやかな情報を発信しています。様々な出来事を情報として加工し伝え、地域の世論を形成することは行政にとって凄く重要なことなのです。5W1Hを広報誌に表現することは、地域住民と行政のコミュニケーションを深めてゆく大切な役割なのです。さらにまちづくりには企画力、経済力、実践力、地域力などを総合した能力が求まられますが、虫の目と鳥の目を併せ持った複眼的視点は行政の大きな力となるのです。

 私は広報を担当したことで、情報の価値と、PR能力が備わり、以後のまちづくりに独自の境地を開きました。夕日を地域資源にしたまちづくりについても独自の持論を展開して、参加した300人の心に力強く訴えました。壇上に届いた反応は上々で、四国のいい事例発表になったと自己満足し帰りはJR四国が走らせているアンパンマン列車に乗ってふるさとへ帰って来ました。

(子どもに大人気のアンパンマン列車)
(特急いしづちの車内からは瀬戸内の素敵な景観が見えます)

  「四国内 移動するのに 二時間半 少しうんざり 少しのんびり」

  「高松の 変身ぶりに 目を細め 行き場所探し 右往左往す」

  「駅弁を 食べつつ帰る 予讃線 外は曇りて ぽちぽち雨が」

  「鉛筆と 消しゴム使い 書いたよな 今はパソコン 何の造作も」 


[ この記事をシェアする ]