shin-1さんの日記

○妻が口ずさむ「夏は来ぬ」

 今年もいつしか暑い夏がやって来ました。妻が今朝台所に立って朝食を作りながら、♭「卯の花の匂う垣根に不如帰早も来鳴きて忍び音漏らす夏は来ぬ」♯と下手糞な歌を口ずさんでいました。その歌が終わると今朝6時のミュージックサイレンが「牧場の朝」の軽やかなメロディーを奏でていました。

 卯の花は可憐な花で道端のあちこちに咲いていましたが、初夏といいながら梅雨前の花なのでもう見ることはありませんが、野の花ゆえに控えめで清楚な白い花は、どこか妻に似ているような気もするのです。(朝から少しお世辞が過ぎました。すみません。)

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(野の花らしく清楚な卯の花)

 わが家は田舎なので窓を開けると上灘川沿いの涼しい風が入って、午後4時ごろ海風と陸風のせめぎ合いで
一旦無風の夕凪状態になりますが、夜は陸風が海に向かって吹き出し、エアコンなど昨年は一度も使いませんでした。窓を開けると様々な野鳥の声が聞こえます。ウグイスも家の周りに結構住み着いて、喉自慢とばかり声を張り上げて鳴いています。春から夏にかけての特訓のお陰で鳴き方も一流で、「ケキョケキョケキョ」と谷渡りを上手に披露してくれるのです。「今朝二人で食事をしながらウグイスの鳴き声を聞けるなんて幸せ」と妻が言うように、私たちは何気ない幸せに気付かずに暮らしているようです。

 市役所に勤める友人大森秀康さんからいただいた卓上カレンダーの今月のお題写真は下灘のみなと祭りの様子です。私が観光協会の事務局長をしていた頃始めた下灘まつりも、その後制定された国民の祝日海の日にちなんでみなと祭りに改称して今も続けられていますが、合併や諸々の事情により存続もままならないようです。

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(大森さん製作の7月ページ卓上カレンダー)

 今日は7月1日、西日本最高峰の石鎚山のお山開きの日でもあります。幸い梅雨の中休みでお山を目指す信者さんや登山家には願ってもない一日になりそうです。双海町では先週の土曜日、記念行事は雨にたたられ出来ませんでしたが、雨の中で海開きの神事が行われました。海の向うの水平線の上にモクモクと白い入道雲が湧き上がる暑い夏ももう直ぐです。今年も元気で65歳の夏を乗り切りたいものです。


  「ウグイスは 練習できて 上手なる 妻は下手糞 練習せずに」

  「もうそんな 時期が来たかと 妻の歌 聞いて感じる 七月の朝」

  「梅雨晴れ間 石鎚山では 山開き ほら貝山に こだますだろう」

  「幸せと 感じるだけで 幸せに なった気がする 納得しつつ」

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○地下室が復旧しました

 昨日は午後から地下室の復旧作業をしました。地下室といっても昔鯉を飼っていた庭の隅の池を修復しただけのものなのですが、これが梅干や梅酒の貯蔵施設にピッタリなので、3年前から重宝に使っていました。ところが一週間前何が原因か分からぬ床下浸水に遭い、全ての梅干や梅酒を一旦外に出して何処から水が入ったのか原因を調べながら、水を汲み取ったりセメントを流し込んだりしながら修復作業を続けました。水も止まったようなのでこの1週間ハッチを開けて中に空気を送り込んで乾燥しました。梅雨時期なので満足が行くほどの乾燥はできなかったのですが、外に出した梅干や梅酒を片付けなければならず、元に戻そうとしたのです。

 昨日は病院から帰る途中ホームセンターに立ち寄り、地下室の下に強いている手作りの簾板に塗る防腐剤を一缶買い求めていたので、東屋の椅子に下敷きを敷いて刷毛で防腐剤を丹念に塗りました。前回作った時塗った防腐剤のお陰で腐ることもなかったので、天日干しした簾板は今回も防腐剤をしっかりと吸い込んでくれたようです。

 その簾板4枚を両側に敷き詰め、8リットルの瓶を布布巾で丁寧に拭き、狭いハッチから梅干、梅酒の順で奥深く押し込みました。何せ50本近くの8リットル瓶ですから入れるのにも一苦労、加えて簾板に塗った防腐剤の匂いが立ち込め、もう汗だくの作業となってしまいました。

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(ワインならぬ梅酒の貯蔵地価倉庫)

 親父が用意してくれた60ワットの裸電球を奥にぶら下げ、その灯りを便りに作業しました。梅干はまだ今年の分は漬け込みだけで本漬けしていないのでその場所も確保しなければなりません。梅酒は新しい今年漬け込んだ分を奥にしまい、その上にナイロンの袋を被せて一段落しました。後は脱臭と水分調節のため木炭を入れようと思っていますが、梅酒ジュースはこの際絞って瓶に入れて味わおうと思っています。

 子どもの頃、家には芋壷という地下室があって、芋を沢山貯蔵していました。悪いことをすると芋壷に押し置きのような形で閉じ込められたことも何度かあって、地下室はあまり言い思い出はありません。この地下室がわが家の梅干や梅酒の貯蔵施設として活用できて本当に良かったと思っています。


  「地下室で 熟成を待つ 梅干や 梅酒丹念 並べ覚える」

  「漬け込んで 三年経った カリン酒を 味見してみる 中々いける」

  「地下室に 床下浸水 腰痛め 被害甚大 二の鉄踏まず」

  「さあこれで 地下室機能 万全と 灯りを消して 深い眠りに」 

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○親父の退院

 今月24日木曜日に入院し、金曜日に手術した91歳の親父は、果たして手術した傷口が癒えたのかどうかも分からぬまま、病院の決定で29日火曜日に無事退院の運びとなりました。月曜日の回診の結果、術後の経過は91歳の高齢とは思えないほどすこぶる良く、手術後高かった血圧も下がって夜も良く寝れるようになったための退院でしょうが、それにしても早い退院決定を一番喜んだのは本人の親父と、この1ヶ月余り病院に通いつめた親孝行息子の私でした。


 親父が下腹部に痛みを感じるようになったと、私に病院へ連れて行って欲しいと頼んだのは5月の中旬でした。回された内科外科で鼠径ヘルニアという病名がつけられ、手術以外痛みを減らす処置がないと言われました。それからは一週間に一回程度手術のための検査が続き、本人も度重なる検査に「もう入院したら元気で自宅へ戻れないかも知れない」と言い始めました。脱腸の痛みは相変わらずでしたが、自分で平ゴムとタオルで当てを作り、それなりに元気で入院手術の日を迎えました。

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(ベッドに横たわる手術直後の親父)

 そんなこともあって、退院に話を聞いた時はとても嬉しそうで、前日看護婦さんが付き添いの私に、「退院時間は午前10時から午後4時までですが、何時になさいますか?」と尋ねれば、「午前10時にしてください」とはやる気持ちを抑えているようでした。私はそんな親父の心を推し量り、昨日は9時30分に病院へ着くよう少し早めに家を出ました。退院送迎のため許しを得て玄関先の身障者用の駐車場へ車を止めました。5階東病棟6人相部屋の211号室へ行くと、親父はもう全ての荷造りを完了しベッドに座って私の来るのを待っていました。

 退院後の日常生活の注意を看護婦さんから詳しく聞き、7月8日午前10時に術後の経過を見るため予約している旨の説明を聞きました。僅か6日間ほどでしたがいつの間にか同部屋の人が集まって見送ってくれました。看護婦さんにご挨拶して別れを告げ、2階入院維持課で納入通知書を貰い会計で3,420円の支払いを済ませました。後期高齢者、しかも重心なので総計242,210円は全てタダ、食事代3120円とその他300円だけなのです。

 11時にはわが家へ帰り、元の暮らしに戻りました。病院ではテレビも同部屋の人に迷惑をかけるからと見なかったため、ボリュームをいっぱい上げてテレビを見たり、荷物の整理をして過ごしているようでした。昨日はあいにくの梅雨空でしたが、庭を散歩したり時折訪ねて来る親類の見舞い客と談笑したりしながら、生活のリズムを取り戻そうとしていました。暑い夏が近づきました。今年の夏も元気で過ごして欲しいと祈っています。昨夕は妻の作った手料理を美味いと言って食べ、風呂に入って7時過ぎにはもう就寝していたようです。

  「朝十時 荷物まとめて 退院す 親父嬉しく 私も嬉し」

  「いつの間に 友達なった 同部屋の 人に送られ 嬉し退院」

  「覚悟して 入院したが 回復し 生きる勇気を いただき帰る」

  「えっ安い こんな金額 ?じゃない 重心ゆえの 過保護がゆえに」

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○何と、私がVifという雑誌に紹介されました

 人が輝けば、まちも輝くというキャッチフレーズの宇和島市まちづくり通信[ヴィフ]june.2010vol.7号のP6に,

私のことが特集されています。Vifという雑誌の表紙は美しい女性と夏を思わせる太陽をあしらっていて、どう見ても65才の田舎のおじさんが登場するような雰囲気ではないのです。実はこの記事は5月25日の夕方宇和島市大浦の和珠工房・無門共楽舎という素敵な場所で開かれた、べっぴん塾の学習会に招かれた時の様子が紹介されているのです。全日空から宇和島市役所に出向してきている小林詳子さんの仲立ちで出かけましたが、その後Vifの編集を手がける山本さんからメールが入り、当日の様子やインタビューの記事が編集されているのです。先日女性総合センターで開かれたアシスト事業発表会の折、小林さんと山本さんに出会いインクのにおいのする雑誌を手渡しでいただいたのです。

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(Vifの素敵な表紙)

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(6ページの掲載内容)

 私は山本さんの一口インタビューに三つ答えています。

 ①宇和島での思い出は?

 昭和38年までの3年間、枡形町に下宿して水産高校漁業科で学びました。初代の実習船愛媛丸で珊瑚海まで遠洋航海の旅に出て、地球が丸いことを実感しました。私にとって宇和島は第二のふるさとです。

 ②まちづくりの秘訣は

 気がついたことを気がついた人が気がついた時にやる。不燃人は可燃人に、可燃人は自燃人へ進化して欲しい。目線はオンリーワンです。

 ③宇和島人にメッセージを

 「人でも仕事でも愛する人に集まってくる」

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(似顔絵入りのイベントインフォメーション)

 ところでVifのP6にEVENT TOPICSという欄に私の似顔絵入りでうわじまファミリー・サポートセンター地域交流会の予告記事も乗っていて、驚いてしまいました。2010.7.10sat 13:00~15:10、場所は宇和島市交流拠点施設「きさいや広場」市民ギャラリーに行くことになっています。

 お誘い文には、「まちづくり」のプロとして全国各地で講演を行っている若松氏を招いて、「地域のこころをつなぐ」をテーマに交流会を行います。「子育てしやすいまちづくりには地域のあたたかい心が必要です。入場無料、是非お気軽にお集まりください。と書いているようで、さっそく2~3人の知り人から「宇和島に来るんだって」「是非話を聞きに行きます」など温かい電話やメールが入りました。


  「おじさんが 何故かべっぴん 機関紙に 載ってびっくり それなり書かれ」

  「宇和島に こんな垢抜け 機関紙が 作った人は さぞや垢抜け」

  「デジタルも いいがアナログ 味がある デジタル処理し 取っておきたい」

  「Vifを見た 今度宇和島 来るのなら 聞きに行きます 連絡届く」


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shin-1さんの日記

○字が下手なコンプレックス

 人間は人それぞれ色々な特技を持って生きています。物作りの器用な人、絵を書くのが上手な人、音楽に堪能な人などなど様々です。物を作るのも不器用、絵は書けない、歌も楽器も音楽と名のつくものは駄目と、まあ私は特技という物を持たない典型的な駄目人間なのです。ゆえに器用な人、絵が書ける人、音楽が出来る人を見る度に、「あんなに出来たらどんなに素晴らしい人生だろう」と羨望のまなざしを持つのです。それはいつしか「自分は出来ない」というコンプレックスの塊となって、いつも頭から離れないのです。

 私のこれまでの人生において最高のコンプレックスは「字が汚い」ことでした。役場に入った頃はタイプライターも打てず、文章を自筆で書いた公文書を作っていました。ある上司から「君の字はハンコが要らない」と言われるほど特徴のある文字でした。ペン習字などに挑戦して癖を直そうと努力しましたが、結果はコンプレックスを増すだけで何の自信回復もできぬまま今日を迎えているのです。

 そんな私がハガキを毎日3枚書いてもう20年を越えているのですから世の中は分からないものです。その発端は「下手こそ最高の芸術」という言葉でした。上司が「君の字はハンコが要らない」と認めてくれたことは裏を返せば私にしか書けない個性ある字なのです。

 私の同僚に文字が上手く、書道展で度々入選した経歴を持った人がいます。年齢も同じなためむしろこの人との存在が私の文字へのコンプレックスの震源であったかも知れないと述懐するのです。でもこの人と対比して競争して勝てる訳はないと開き直り自分流を貫くようになって随分気持ちは楽になりました。ある意味書家まがいの彼よりもハガキに新境地を見出して生きている私だって、彼に匹敵する素人書家だと笑い飛ばして生きているのです。

 ワープロの出現は私に大きな勇気を与えてくれました。文字の上手下手も関係なく活字にしてくれるのですからこれほど便利なものはないと、当時一か月分の給料をつぎ込んでワープロを買ったのです。文字の綺麗な同僚は「ワープロの文字は味がない」とワープロを拒否し続け、ついには時代の波に乗り遅れてパソコンさえも使えず、パソコン万能な行政について行けず、それがコンプレックスになって頭を悩ませていたようです。

 字が下手というコンプレックスがパソコンの出現で思わぬ朗報をもたらした私は、この歳にして毎日2本のブログを書き、それがご縁で多くの人とネット上で交流もしています。また退職後はパソコンでのメールのやり取りで講演に出かけたり、データーだってどうにか送れるのですから、遅咲きの人間学もあるものです。

 音楽が出来ないコンプレックスだって、今は多少努力したお陰でハーモニカという優れもの楽器との出会いによって、ラジオとテレビで2回も全国放送の電波に乗っているのです。ましてや今は木になるカバンにハーモニカを忍ばせ、全国行脚をして興が乗れば人はばかることなく吹きまくっているのです。


  「字が下手な コンプレックス あったから パソコン使う ことが出来たと」

  「君の字は ハンコ要らぬと 褒めてくれ それを個性に 今日まで生きる」

  「ゴールまで たどり着かねば 勝ち負けは 判断できぬ ウサギと亀だ」

  「遅咲きの 人間学が ここにあり 慌てることない ボチボチやろう」


 

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shin-1さんの日記

○ファイトでいこうリポビタンD

 梅雨の晴れ間というのでしょうか、今日は久しぶりに夏の暑い太陽が顔を出し、海の彼方には白くて大きい入道雲が湧いていました。雨の日に雨合羽を着て仕事をするほど真面目でもないので、今日はひと思い立って家の周辺の草を刈ることにしました。「親父が入院して留守になると大草か」と親類縁者から言われたくないものですから、馬力をかけてやろうと自分に言い聞かせ、片っ端から草刈機で刈りました。草刈機の刃は鋸刃のようなものを使っていますが、二枚1500円程度の安い刃のため、水を含んだ草で切れがいいはずなのに切れが今一で、多少じれったく感じましたが、その分惜しげもなく草を根元から刈り取りました。


 8時から始めて午前中、昼食を挟んで午後3時近くまで一気に刈り取りましたが、あと少しというところで講演依頼や所要の電話が入り、妻の勧めもあり後少しを残して止めてしまいました。

 今日は事の外暑く、滴る汗を拭きながら何度も水分補給をしました。自宅周辺の草刈なので冷蔵庫には妻の作ったお茶屋水がペットボトルに入れられて、熱中症にならないよう気をつけて作業をしました。

 今日は月曜日なので、入院している親父の主治医の回診がある日なので、看護婦さんに手術後の経過を聞くため病院へ向かいました。家を出る時妻がリポビタンを氷と一緒にコップに入れ飲ませてくれました。

 「こんなもの効くのか?」と半信半疑で飲み干し病院へ向かいました。月曜日の病院は土日の静けさと違って何処となく騒々しい感じがしました。担当の看護師さんに色々と様子を伺いましたが、主治医から明日退院してもいいと許可が下りたようです。金曜日に手術したばかりでまだ傷口も癒えてないだろうにと思いつつ、家に早く帰りたい親父の希望で明日は午前10時に退院と決まりました。支払い金額の概算を聞いたり、退院後の注意事項を聞いたりしましたが、親父も私も思わぬ退院の早さに内心ホッとしているところです。特に当の本人の親父は嬉しさを隠し切れない様子で、今日は顔色もすこぶるよくなっているように見えました。

 今夜は地元小学校の学校評議委員会があるので、間もなく出かけますが、リポビタンが効いたのか、親父の退院が決まったからなのか、炎天下で草刈作業で疲れているはずなのに、腰は少々張っているものの疲れを感じさせないのです。「ファイトでいこうリポビタンD」などとテレビでコマーシャルを流していますが、いやはや驚きです。ただし下品な話ですがおしっこは少々黄色くなっているようでした。


  「本当に こんな飲み物 効くのかな? ところがどうだ 疲労回復」

  「退院が 決まり親父の 顔笑顔 心配したが 取り越し苦労」

  「梅雨晴れ間 家の周りの 草を刈る 親父居ぬ間に 綺麗になりて」

  「草刈りし 家の周りは 青草の 匂いプンプン 刈ったと主張」

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shin-1さんの日記

○五行歌に思う

 普通だと締め切りが近づいて、到着せねば「切り捨て御免」となるところなのですが、主催者の温情に助けられて、「忘れていませんか?。締め切りが近づいていますよ」と、前回も今回も優しいメールをいただきました。デジタルのお陰を存分にいただき、格好よく言えばインスピレーション(ひらめき)、格好悪く言えばその場しのぎの思いつきで前回も今回も駄作を投句してしまいました。

 2~3日前、松山五行歌会主催者の見山あつこさんから、見覚えのある色の封書が届きました。「おっ、届いたな」とワクワクしながら郵便受けから取り出して早速封を切り、歌会作品と☆印のついた選評を4枚全て立ち読みのような形で読みました。

 出席歌、つまり月一で開かれる歌会に作品を持参する人の部で今回の一位は、見出丘さんの「心を開く 開いた心は 覗かれる 恥しい心のまま 覗かれる」でした。ちなみに二位は郡誠子さんの「まだ 間に合う 微熱だが 鉄は 熱を持っている」、三位は姫川未知絵さんの「準主役だよねと 両家の母も 次々と 留袖を羽織って 衣装選び」、四位は永井純子さんの「衣替え 春を たたんで 夏を 取り出す」、同じく四位は見山あつこさんの「ジューンブライドの 昔の夢を 忘れてしまえば そこそこ幸せな 珊瑚婚式」でした。


 さて一度も歌会に出席したことのない私は、今回も欠席歌の部です。一位は紅梅さんの「今折れそうなんです だから糊でくっつけたり テープを巻いたり 協力接着剤を使ってみたり うーんうまくいかんな私の心」でした。私の駄作は『人「知ってるか」 私「知らん」 人「知らんのはあんただけ」 私「教えて」 人「教えるが誰にも言うなよ」』ですが、何故か私の作品に(二位)の朱書きが加えられていました。

 選評の☆には、「下読みの段階からあちらこちらでクスクスと笑い声。自分の言っていることの矛盾に、ひょっとしたら本人だけが気付いていないの?。この話が本当なら口止めする必要がないのにと思うと、もったいぶった言い方可笑しいですね。内容の面白さと、シナリオの一部みたいな表現法が新鮮と高得点。『人』と『私』を入れ替えたり、夫婦の会話にして読む(その場合三行目は『知らんのはお前だけ』に)それもまた楽しそうです。」と丁寧なコメントをいただきました。

 欠席した人の歌にまでこうして丁寧に取り扱って下さり、いやはや恐縮です。はてさて私の歌はいかほどの値打ちがあるのか、人の歌を読んで根本的な欠点に気付きました。私の歌は風刺歌です。毎日ブログに書いている句も笑売啖呵(しょうばいたんか)はまさに風刺でどちらかというと川柳に似ています。皆さんの歌は文芸調で格式があり心のひだに触れるような作品が多いのです。

 諦めて早々と撤退することも多少考えていますが、勧めてくれた玉井さんやこうして丁寧に選評していただいている見山さんに顔向けも出来ないので、とにかく今年一年は駄作ながら修行してみようと思っています。嬉しいことに五行歌は縛りのない自由律で私の性格にぴったりです。

 そこで今日は笑売啖呵ならぬ五行歌でしめました。

  「カブト虫 どこに居るか?」と孫に問う 「デパート六階」すました顔で 参った参った 爺ちゃん古い   

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shin-1さんの日記

○ドゥーユーアンダースタンド

 英語を話せない私に、もう亡くなった中学校の教師が中学校一年の時、「Do you under stand」と英語で問いかけてきました。私はその意味も分からぬまま「yes」と答えました。質問は「あなたは理解しましたか」「分かりましたか」でしたが、意味も分からぬまま「yes」と答えてしまった私の心を見抜いた先生は、みんなの前で面白い話をしてくれました。『「under」は下、「stand」は立つです。人の上に立つことも大事だが、人の下に立つような謙虚な人間になりなさい』と話されたのです。

 以来その意味も余り分からぬまま、役場に勤めた35年間の10年余りを地域振興課長として、また2年間を教育長や中央公民館長として、小さいながらも人の上に立ってきました。しかし日本で一番小さい課の課長と自慢していた課長以外部下のいない地域振興課長は、人の上に立つどころか立ちようのない状況でした。21世紀えひめニューフロンティがグループの代表や、えひめ地域づくり研究会議の代表運営委員なども20年近くもやりましたが、これも上に立つほどのものではありませんでした。

 そういう役職を終えた今しみじみ思うのは、英語の先生の言った言葉の意味でした。上に立てば立つほど下に立つような気持ちを持って人に接すると案外人間関係は上手くいくものです。お陰様で退職後も現職時代の人間関係を保つことが出来、知人友人と楽しい活動は私の退職後の人生を、より楽しく充実したものにしているのです。

 「人の下に立つ」、これは言葉では理解できても後輩や同僚との関係になると中々出来ないものです。過去の上下関係や役職のプライドが頭を持ち上げ、ついつい横柄な言動になってしまいます。要は「人間役職取ったらただの人なのですから、今からでも遅くないのですから「人の下に立つ」ような心配りで生きて行けば、人生はもっともっと楽しくなるはずです。


  「人の下 立つ謙虚さを 持ったなら どんなに気楽 生きれるだろう」

  「自分では 偉い人間 思っても 値打ち決めるは やはり人です」

  「今頃に なって気がつく 馬鹿の知恵 アンダースタンド 立派な教え」

  「いい事は 今からだって 遅くない 六十手習い 七十実践」

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shin-1さんの日記

○玄関に花を活けるだけで家のイメージが変わる

 家に顔があるとすればそれは一体何処なのか、色々な家を訪問する度に時々思うことがあります。最近は一戸建て住まいよりマンション住まいの人がどんどん増えているため、大きなビルディングマンションの一角に住んでいるため、その人の暮らし向きを推し量ることは中々難しいのです。でもマンションに一歩足を踏み入れようとすると、最近はセキュリティ機能が働いて、見ず知らずの人は入れないようになっていて、マンション全体の管理能力に高級感が漂よい、そのマンションがたとえ自分のものでなく賃貸であっても、その人の値打ちのようなものを感じるのですから人間は不思議です。つまり人は余程のことがない限り、収入に見合った分相応のところに住んでいる訳ですから、家の値打ち=人の値打ちと感じるのは無理からぬことなのです。

 私のように田舎に住んでいると、都会の顔つき合わせるような狭い空間に住んでいる姿や、土や緑のない暮らしはさぞや息が詰まるだろうと思っていますが、都会に住んでいる人から見れば、庭木や庭の無意味と思われる手入れや、何処からでも入れる無用心さは、まったく別の角度から見れば、「よくもまああんな所に住んでいるなあ」と思うに違いないのです。

 わが家は660坪の敷地内に古民家風の本宅と隠居が並んで建ち、敷地内に家庭菜園や海の資料館、私設公民館、東屋、珍しいことにお地蔵さんを祀る祠堂まである一風変わった家です。役所を辞めてからは訪ねて来る人の殆どは我が家を目指して来るのですが、その大きさにびっくりします。「さぞやお金持ち」と思われるかも知れませんが、壊れかけたチャイムは「ピンポ~ンピンポ~ン」とは鳴らず「ビンボービンボー」と聞こえるほど貧乏暮らしなのです。

 玄関は田舎の民家ゆえかなり広くゆったりとしています。玄関先には妻が世話をしているメダカ飼育の大小の瓶が置かれ、傘立ても大谷焼きの壷なのです。時々やって来る孫の虫かごが無造作に置かれ、息子は世話もしないのに金魚まで飼っている有様です。玄関の上がりかまちの上には広い廊下があって、木の根を細工した置物の前には花が活けてあります。妻が週に一度習っている華道宜しきを得て活けるのです。投げ込み流とでもいえる無造作で、時々やって来る孫に引き抜かれたり、花が転げたりしますが、それでもこの花がわが家の美的存在感を高めてくれるのですから、華道文化とは大したものなのです。

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(妻の活けた活花が爽やかなわが家の玄関)

  「花活ける だけでイメージ 変わるもの 金はなくても どこか優雅に」

  「昨日今日 梅雨で草丈 グングンと 緑楽しむ 暇などなくて」

  「歳とれば 庭の手入れも 大変と 憂鬱心が 頭を過ぎる」

  「見せかけは 金持ち見える 内情は 火の車だな 家計簿覗く」

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○美味しいビワが沢山届きました

 梅雨とはいいながら初夏が来て、果物屋の店頭にはスイカやメロン、スモモといった夏の果物が次第に多くなってきました。愛媛県はみかん王国なので果物といえばみかんといわれるくらい店先は、年中みかんの売り場がダントツですが、ここにきて晩柑類も姿を消しハウスみかんもまだ走りなので、当分の間は夏の果物に売り場を譲るのです。

 私の住んでいる双海町ではみかんの低価格低迷の影響で、最近ビワの栽培が盛んに行われるようになってきました。ビワは今が最盛期を少し過ぎ終わりに近づいていますが、この時期には近所の人がハネ物を沢山くれるのです。ハネ物といっても味は殆ど変わらず、むしろ美味しいくらいなので毎年この時期を楽しみにしています。

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 数日前からハネ物が沢山届くようになりました。真っ白い発泡スチロールのトロ箱に、産毛をまとったような綺麗なビワが山のように並べられ、「ああ美味しそう、食べてみたい」と思わず思うのです。食べるほどの個数を水洗いして食べ始めると食が進み、もう2~3個とついつい手が出て食べ過ぎてしまうのです。

 「ビワは種を買うようなもの」と形容されるように、重量の半分は種と薄皮です。食べる時ティシュペーパーを用意しないと手がびしょびしょになります。また爪の先も灰汁で黒くなったりするため、面倒くさがったり手が汚れることを嫌う若者には不向きな果物ですが、初夏を感じさせてくれる季節の果物なのです。


 「この美味しいビワを作るのにどれ程の労力をかけたのだろう」と思うと、手に取ったビワの実がついつい愛おしくなります。冬の寒い頃木に登り摘果しながら一つ一つ紙袋をかけ、カラスや害虫の食害を気にしつつ育てて収穫するのです。袋をはいで選果して出荷するのですが、全てが金になる訳ではなく、ハネ物も沢山出るようです。おすそ分けして貰う方は有難いのですが、農家の苦労は並大抵ではないようです。

 琵琶が終割って梅雨が明ければいよいよ暑さも加わります。季節の美味しい果物ビワを沢山食べて今年も暑い夏を乗り切りたいものです。


  「ハネ物の ビワが沢山 届けられ 美味い美味いと 言いつつ食べる」

  「ビワの実を 口に頬張り 今年また 夏が来たなと 思い返しつ」

  「外に出て 口に頬張る ビワの種 遊び半分 遠くへフッーと」

  「ビワ食って 種を飛ばして 遊んだな 子どもの頃を 懐かし思う」

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