人間牧場

〇破竹竹の子の釜茹で
 昨日外出先から帰ってみると、玄関先に破竹のタケノコが布袋に入れられて届いていました。聞けば近所の人が貰った物をお裾分けしてくれたようです。妻に頼まれて早速畑の隅に軽微なトタンの手作りかまどと羽釜を出し、茹でる作業を始めました。

 破竹の筍の皮を剥ぎ、羽釜の中へ次々と投入しました。昨日は風もない穏やかな天気だったので、薪置き場から薪を運んで焚火をしましたが、造作もなく約2時間余り火を焚き続け、そのまま蓋をして蒸しているので、今朝にでも取り出し、流水で清水で晒そうと思っています。

 順調に柔らかく湯がいていれば、今晩は竹の子ご飯と竹の子の煮つけが食卓に上るはずで楽しみです。孫が「竹を食べるなんてまるでパンダみたいだ」と笑い話をしてくれました。今年も孟宗竹のタケノコを知人友人からいただき、沢山食べましたが、破竹の竹の子にあやかり、「破竹の勢い」になりたいと思っていますが、老骨には少し無理なようです。今回も「エネルギー費タダ」でした。

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人間牧場

〇人間牧場こぼれ話(凄いパワーのジュニアリーダーたち)
 双海町の子ども教室も伝統がありますが、自慢の一つは子ども教室を卒業した中学生や高校生、それに大学生が「双海ジュニアリーダー会」を作って活動し、折に触れて子ども教室やおもしろ大作戦、それに通学合宿のサポートをしてくれていることです。

集まって働いてくれたジュニアリーダの皆さん

昨日も部活などの活動の合間を縫って10人以上のジュニアリーダーが駆けつけてくれ、かいがいしく働いてくれました。二宮会長は大学生です。高校生も何人か来てくれました。そして小学生の塾生を優しく導いてくれました。

 ジュニアリーダー会では昨年度双海町内16キロの海岸国道沿い1キロ毎にベンチを造って設置する事業にも取り組んでいて、子どもでもできるまちづくりへの参画は県下でも注目を集めていて、頼もしい限りです。

 

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人間牧場

〇佐田岬半島こぼれ話
 佐田岬半島は私の祖母が瀬戸町小島出身、妻の母が瀬戸町大久出身ということもあり、いつも行ったり通る度にDNAのせいか胸騒ぎがするのです。昨日は大久の浅野先生を訪ねましたが、遠い記憶が蘇ってきました。三崎半島に上陸し甚大な被害を出した台風19号直撃のその日、私は大久の浜松さんと山本さんから依頼を受けて、大久の講演会場へ向かっていました。

 家を出る時「台風が近づいているが大丈夫か?」と浜松さんから電話が入りましたが、「台風が怖くて生きていられるか」と豪語して出かけたものの、国道197号を進むにつれ、あちこちで強風のため何台か車が横倒しになったり、街路樹が根こそぎ倒れていました。塩成大橋を過ぎてやばいと思った私は、潮成トンネル内でUターンして、知人の瀬戸町三机の奥山さん宅へ助けを求め避難しました。

 ローソクの灯りが隙間風で揺れる中、奥山さんと2人ローソクの明かりを頼りに朝までビールを飲み続けました。いまわしい過去の苦い思い出です。その後大久の地区民が地引網を作りたいと私に相談があり、私の仲立ちで上灘漁協網江組合長に頼んで、組合員総がかりで作ってもらい引き渡した経験もあるのです。

 大久小学校の隣に山本石材店があります。社長の山本さんは伊方町の町議をしている傍ら歌手アーティストとして活動しており、昨年の下灘駅プラットホームコンサートにもゲスト出演していて、先日CDを出したとわざわざわが家まで届けてくれました。たまたま店先でばったり出会い、立ち話ながら旧交を温めました。その折「亀の手」という海岸磯で採れる珍品を手土産に貰いました。

 塩成の木嶋水産へ芋づるを受け取りに立ち寄りましたが、町議をしている木嶋さん宅で、今年も奥さん手作りの美味しいシラス料理を腹いっぱいご馳走になりました。私の旧友緒方二三子さんも同席してくれ、帰りに緒方さん宅へお邪魔し産みたて卵や手作りのイチゴ大福までご馳走になりました。三崎半島の人たちはどうしてこんなに温かい心の人ばかりなのでしょうか?」、いい出会いのほのぼのとした一日でした。

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人間牧場

〇双海文化協会総会
 今週は21日の日曜日から昨日まで、連続して総会や研修会が続き、昼間の農作業などを加えると朝から晩までフル運転フル操業気味で、少々お疲れモードのようです。それでも「いつまでもお若いですね」などとお世辞を言われると嬉しくなって、年齢を重ね高齢になっていることも忘れてあれこれやっています。

 昨晩は双海町文化協会の総会に出かけました。双海史談会の会長をしているので、どうやら横滑り人事で理事になっているようです。先日伊予市文化協会の総会に出席して気付いたのですが、双海町より人口の少ないお隣中山町の文化協会は200人を超える会員なのに、双海町は半分の100人ほどのようで、少し寂しく思いました。

 総会は何の問題もなく1時間ほどで終わりましたが、新型コロナに翻弄されこの3年間は文化活動も制限され、予算も余り気味なので、早速今年は従来に戻して活動しようと申し合わせました。先日松前町文化協会の総会に招かれ、記念講演をしましたが、「文化とは一体何なのか?」もう一度考え直す必要がありそうです。私流に言えば「文化とは人間がよりよく生きるために考えを形にする営み」ではないかと、そう思う昨日でした。

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人間牧場

〇2006年8月19日のリビング新聞
 昨日人間牧場で大掃除をしていると、倉庫から段ボールに入れた大量の紙ゴミが出てきました。中を取り出し読み始めると捨てきれなくて、予定の大掃除作業が出来なくなるので、駐車場の片隅に持って行き、後ろ髪を引かれる思いで集めた枯葉とともに火をつけて焼きました。

その段ボール箱の一番上にあった新聞紙を見ると、今から17年前の2006年8月19日のリビング新聞1面に、「人生の次のステップへどう挑む」「いくつになっても夢のある人生を」という大見出しの他、中見出し「伊予市双海町にできた『人間牧場』。産みの親は夕日で双海町のまちづくりに取り組んだ若松進一さん、役場を退職時から想い描いていた夢を、退職時に実現。夢を追い続け、出会う人たちにそのパワーを与え続けています。」と紹介されていて、捨てきれず焼ききれず、持ち帰りました。

 すっかりセピア色の変色し、ところどころ虫糞がついていましたが 小見出し「心を解き放ちゼロに還る場所『人間牧場」が誕生」、「今の自分が10年後を決める、幾つになっても、夢を追い続けて!」でした。11枚の写真やイラストも中々のものでした。今朝早速プリンター内蔵のスキャンでデジタル保存版にしました。

 「永遠の夢追い人若松進一さん」と紹介された当時の年齢は61歳だったようで、現在78歳の年齢を思うと、今さらながら時の流れの早さを感じています。当時は無償配布の新聞だったリビング新聞ですが、恐らくもう巷ではこの日の新聞などどこを探してもないものと思われますが、私にとっては貴重な資料のようで、大切に残して起きたいと思っています。 

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人間牧場

〇この景色を双海ブルーと呼んでいます
 季節は巡り、双海町内は春色から初夏色に変わりつつあるようで、天気が良い日が続くと、水平線や遠く見える島影を巻き込んで、海と空が一体化し青色一色となります。私はこの色合いを「双海ブルー」と呼んで自慢しています。

 

 昨日所用でシーサイド公園に出かけましたが、遠足と思われる高校生が沢山砂浜で遊んでいました。聞けば松山南高校の生徒さんたちとのことでした。靴と靴下を脱ぎ素足で歩く砂浜の感触も、心地よい潮風も最高だと褒めていました。

 惜しむらくは、遠足ゆえ適当な午後の時間に引き上げて帰らなければならず、自慢の夕日を見ることはできませんが、何もないから感じる豊かさかも知れないと思いました。苦心の末私が深く関わって28年前の平成7年3月にオープンしたシーサイド公園も、人口の構造物と言いながら今は自然に溶け込み、癒しの場所として多くの人に愛されています。「ブラボー」です。

「早い物 28年の 歳月が 自然に同化し 違和感もなく」
「海と空 濃い青映えて 素晴らしい 双海ブルーと 呼んで自慢す」
「高校生 遠く近くで 歓声が 聞こえ青春 真っただ中で」
「願わくば 夕日も見せて やりたいが それも出来ずに 帰ってしまう」

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人間牧場

〇また役職が一つ増えました
 18年前現職を退職した時、すべての公職を退き晴れて自由人となりました。ところがその後あれやこれやと地域づくりに関わっていると、行きがかり上どうしても役職を引き受けなければならなくなって、一つ増え二つ増えと増え続け、大小の役職が重くのしかかってきました。

 「これではいかん、早く何とかしなければ・・・・」と思ってみても断る理由と勇気がないため、元の木阿弥となっています。先日伊予市文化協会の副会長さんから、「協会の監事になってくれないか」と電話が入り引き受けてしまいました。そんなに重たい気にするほどの役職でもないので、行きがかり上総会に出席し、参加者の賛同を得て就任いたしました。

 この日は総会行事の後、伊豫稲荷神社文化財調査報告会があり、総会を含めると延々3時間半の長丁場で、午後4時30分に終わるものと次の会への出席を予定していたのに、武智利博先生が閉会挨拶をするというので出るに出られず遅れてしまい、待たせた方々に詫びを入れました。

 

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人間牧場

〇自然は神秘的で美しい
 毎朝NHK連続テレビ小説「らんまん」を見てるせいか、ウォーキングの途中道端の草にも目が向くようになりました。今朝ハズの葉とイタドリの葉っぱを一枚ずつちぎって、朝の光にかざすと、葉っぱの葉みゃくが綺麗に見えました。

 ハズの葉もイタドリの葉っぱも自然が造る芸術品のようで、思わず見とれてしまいました。植物学者牧野富太郎の生きた時代はまだ写真機や鉛筆が普及しておらず、この葉みゃくを書き写すのには細い筆に墨をつけて書く以外方法はありませんでした。

 今はカメラが普及しタブレットのカメラでも簡単に写真に写すことが出来て便利な世の中です。でもハズやイタドリの葉っぱの葉みゃくに心を動かすような暇な人は殆どないに等しく、馬鹿げた行為だと一笑に付されるのがオチです。でも私は今朝この葉みゃくを見て、自然の作り出す神秘の世界に驚きました。恐らく牧野万太郎もそんなドキドキ・ワクワク・ジーンを繰り返したからこそ、沢山の新種を見つけれたのだと思うのです。今朝は私にとっては素敵な朝でした。

「ウォーキング 途中ハズの葉 イタドリの 葉っぱ2枚を 透かして見つめ」
「神秘的 透かした葉みゃく 奇麗です 今は簡単 写真に撮れる」
「馬鹿げてる 普通の人は するまいと 苦笑いして 葉っぱ片手に」
「タブレット 透かして写真 撮ってみた 網状みゃくが 浮き出て見える」

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人間牧場

〇季節の変わり目
 歳を重ねると季節の変化に疎くなり、朝晩の寒さから身を守るため、人に笑われるかも知れませんが、未だに温風ヒーターのストーブと、コタツが手放せなくてそのまま使っていましたが、さすがに人の目もあるので、昨日と今日の土日を利用し、妻に頼まれて「ストーブよさようなら扇風機よこんにちは」の入れ替え作業の手伝いをさせられました。

片づけた温風ストーブ
出した扇風機

 既に各部屋のストーブは空焚きを終わっていて、掃除をした後ナイロンの袋を被せて倉庫の2階へ収納しました。変わって扇風機の出番です。私も妻もエアコンが嫌いなので、地形的に高台にある古民家風のわが家は他に比べ温度も低く、日常的には扇風機をよく使って暮らしています。冬になると寒く、夏になると暑いのは当然ですが、熱中症には気をつけなければならないものの、極力自然とともに暮らしたいと思っています。

 コロナやロシア侵攻によって物価の値上がりが続いて、年金暮らしの私たちには住みにくい世の中になってきました。特にガソリンや電気料金は高止まりが続いています。さりとてエンゲル係数を削ってまで暮らすと、肝心の健康まで脅かされます。しっかりと心して生きなければと、妻と話をしました。

「この時期に なってもストーブ コタツまで 片づけられる 年寄りじみて」
「ストーブと コタツ片付け 手伝って ついでに倉庫 扇風機出す」
「物価高 年金直撃 住みにくい 財布のひもを 閉めねば生きれぬ」
「夏が来た 熱中症に 気をつけて 夫婦元気で 今夏も乗り切る」

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人間牧場

〇皆さん知ってましたか?
 子どもの頃半紙に筆で墨字を書く時、半紙の上部に鉄製の道具を置いて書いた記憶があり、その道具のことを「文鎮」と呼ぶことは殆どの大人は知っていますが、昨日私のポケットに入れて持ち歩いているスマホが、何の前触れもなく突然言うことを効かなくなりました。

 妻のスマホを借りて息子に電話をすると、「それは文鎮だ」と訳の分らぬ言葉で説明を受けました。私は「文鎮」とは前述のとおり習字の時に使う道具だとばかり思っていて、最初は言葉が通じませんでした。その昔スマホを作業ズボンに入れたまま洗濯機に入れ洗濯していしまい、そのことを水没だと言うのだそうだと聞き、驚いたことがありました。

「電子機器の分野において文鎮とはスマートフォン、タブレットなどのデジタル機器において動作や応答せず修復も難しい状態を表す日本語の俗語」だそうで、やっと飲み込めました。私のスマホの場合は差し込んだつもりの充電ソケットが曖昧で電池切れだったことが原因だったようで、充電が完了すると復旧することが出来ました。私は学校でパソコンを習っていない世代ゆえ、使っている電子機器の不具合やトラブルになるともうお手上げで、まさにグリコの看板です。皆さん知っていましたか?。恥ずかしながら私は知りませんでした。

 

 

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