人間牧場

〇男に生まれてよかったとしみじみ思います
 男女の性差の問題があれこれ議論される時代になりました。そんな時「男に生まれてよかった」などと言うと、不謹慎な男としてレッテルを張られ、批判されそうですが、今日結婚式に夫婦で案内を受けていました。妻は1週間前から結婚式の前日までに美容院の予約を取ったり、着て行く服の心配をしてるのに、夫たる私はいつものことながら全く無頓着で、背広にネクタイさえあれば結婚式に出席しても一応の身だしなみが整うし、当日も物の5分もすれば出かける準備が整うのです。

 片や妻は化粧をしたり髪をといたり、また沢山ありもしない洋服の中から季節に応じた似合いそうな服を選んで着たり、真珠のネックレスをさりげなくつけ、お祝いのお包みを袱紗に包んで持って行くバックに入れ、家のストーブ、電気、鍵など「戸締り用心火の用心」の確認をして家を出るのです。いつものことながら、私たち夫婦に限って言えば「男に生まれてよかった」としみじみ思うのです。

帰宅してからも、背広を脱ぎネクタイを解き、背広とズボンをハンガーにかけてクローゼットに吊り下げ、革靴を下駄箱にしまって5分もすれば一件落着です。私と妻は年齢が私より一つ年下ですが、私はそれからテレビの前に座りニュースを見ながら新聞を読むのに、妻は洗濯物を取り込んでたたんだり、明日の朝の準備に取り掛かり、疲れているであろうに寝るのはいつものように11時過ぎ風呂に入り一日を終えます。今日も妻に感謝の一日でしたが、「男に生まれてよかった」と今日もしみじみ思いました。

 

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〇防寒用のニットの帽子をかぶって
 毎朝午前6時に、毎日一万歩を目指してウォーキングしていますが、今は夜明けが遅く午前6時にはまだ外は暗いので、LEDの懐中電灯を点け足元を照らしながら歩いています。1ヵ月前から手袋をはめ野球帽をかぶっていましたが、寒くなったので妻が毎年冬場になると防寒用に被っているニットの帽子を締まっていたタンスから取り出し用意してくれました。

 この帽子は少し大きめで、被ると耳まで隠れる優れもので、温かく重宝していますが、この2~3日は冬師走とは思えないほどの季節外れの暖かさで、今朝は南の風も吹いていたので、暑くて帽子を脱いで歩きました。脱いだ帽子をジャンバーのポケットに入れて歩きましたが、いつの間にかその帽子がポロっと稚樹に落ち、そのまま歩きました。

 ふと気がつくのと、同じ道を一周回って同じ場所を通りかかると帽子が落ちていて、幸運にも拾い返すことが出来ました。汚れもせず手元に戻ったニット帽子を再び被って家に戻ることが出来ました。年齢を重ねると細々した持ち物を気がつかない間に落とすこともしばしばです。あ~あ、悲しいかな私もその域に達しつつあるようです。

「ウォーキング 朝も早うから 寒かろう 妻が用意の ニット帽着け」
「今日の朝 季節外れの 温かさ 帽子を脱いで ポケット入れる」
「一周を 回って元場所 もどり来た 私の帽子 道端発見」
「歳重ね あれやこれやと 失態が 増えてわが身の 悲しき姿」

 

 

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〇散歩の途中で出会った親子
 仕事が片付いたし、スマホ内蔵の万歩計があと500歩ほど目標の1万歩に届いていなかったので、久しぶりに夕方散歩に出ました。上灘川に沿って川向うの道を少し急ぎ足歩きました。

 夕暮れ時ゆえ、また人家から少し離れている道なので会う人もなく、また寒いこの時期なのに戸外の温度は20度近くまで上がり、少し汗ばむほどの陽気でした。河口に近い鉄橋の下まで来ると、見慣れた人に出会いました。

 娘さんと連れ立って歩く2人の顔見知り女性の親子で、「〇〇さんお元気?」と声をかけると、80歳を過ぎた女性は首を傾げ、「あんた誰?」って感じの反応でした。連れ立っていた若い娘さんが「若松の進ちゃん」よと告げても、しばらく思い出せなかったので、私が「若松の進ちゃんよ」と握手をしながら話しかけると、やっと「ああ進ちゃん」と思い出してくれました。

 少し立ち話をしましたが、娘さんも60近くになって、お母さんをデイサービスに預けながら務めをこなし、お母さんの面倒を見ているようで、ここにも高齢化、認知症の波が押し寄せていると感じました。子どもにとって年老いつつある親の存在は、何年か前私自身が介護を経験しているだけに身につまされる問題です。

 幸いわが父は亡くなるまでそれほど認知症にもならず、97歳で亡くなるまで自分のことが出来たので、殆ど手はかかりませんでしたが、私自身も気がつけば79歳の高齢者です。他人事ではないなと思いました。

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〇コンクリートはどうして石のように固くなるのか?
 今日庭の隅の窪みを治すため、業者に頼めないほどの小さなことなので、私一人でセメントや砂、砂利などの原材料を集め、大雑把な目分量で混ぜ合わせ、真ん中に窪みを作って水を入れ、スコップで練り合わせました。

 これも勘ですが適当な柔らかさになったので、スコップで掬って窪みに運び、コテで丁寧に撫でて終わりました。後は乾くまで雨風に濡れたり、犬や猫、人間に足跡をつけられぬよう、竹を2本空間をつけて置き、その上に空の肥料袋3枚を広げて終了しました。

 ふといつものことながら、こんな柔らかいコンクリートが何故石のように固くなるのだろうと、不思議に思いました。貝のような形をしたオーストラリアのオペラハウスや、わが町の明神山と高さが一緒の東京スカイツリー(634m)の芯柱もコンクリートで出来ていることは知っていますが、今やコンクリートは世界中どこでも建築材として使われているのです。

 私たちはコンクリートの水分が無くなれば固くなる程度しか知りませんが、建築設計の仕事をしている息子から聞いた話では、水を加えるとセメントは水和化学反応を起こしエトリンガイドという物質が発生し硬くなり、28日間で石のような硬さになるのだそうです。

 息子に昔聞いた話なのでCSHなどの専門用語の意味もすっかり忘れてしまいましたが、コンクリートの建築物を見たり、コンクリート作業をする度にこのことを思い出しています。コンクリートは人間が発明した最高の建築資材のようです。

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〇干し柿の仕上げ作業
 12月の初旬に渋柿を一箱買い、妻が皮を剥き、私がビニール紐で結んで連を作り、風通しの良い雨の当たらに洗濯干し場にぶら提げました。その後北西の季節風が吹いて表面に黄色い膜が出来干し柿として順調に進んでいます。

真新しい手袋をはめて揉んだ干し柿

 この時期を見計らって真新しい手袋をはめ、今日は干し柿を揉む仕上げの作業をやりました。干し柿は耳たぶのような柔らかさになり、2~3日後もう一回揉むと渋が完全に抜けて4~5日後には柔らかくて甘い干し柿が出来る予定です。

 あの渋い柿が天日干しするだけで何故甘くなるのかは、凡人の私には到底説明が出来ませんが、これで正月の鏡餅の横に供える干し柿はゲットできそうです。孫と出来たら一緒に味見をしようと約束をしているので、4~5日後には味見をしたいと思っていて、今から楽しみです。

「渋柿が 何故に甘柿 なるのだろう 凡人私 知るすべもなく」
「皮を剥き ビニール紐で 連作り 洗濯干し場 ぶら提げ10日」
「手袋を はめてモミモミ 揉んでやる 4~5日すれば 食べられそうだ」
「子ども頃 親の目盗み 干し柿を 食べた思い出 母ちゃんの顔」

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〇正月までにやるべきことが多過ぎる
 私は田舎に住んでいるゆえ、正月を迎える準備をそろそろしなければなりません。一番大仕事は稲わらをそぐり、しめ縄を作ることです。ホームセンターで買えば簡単ですが、わが家は漁師をしていた時代から縁起を担いでしめ縄は長男がするものと決められていて、親父の手ほどきを30歳で終え、私一人でこの50年間作り続けてきました。

 私の一番の危惧は私のしめ縄を作る作業を長男息子に伝承していないことです。ひところ息子に伝えようと試みましたが、遊びの中で子どもの頃縄ないを覚えた私と違い、息子は縄をなうことが出来ないため、教える私と習う息子の距離は結局縮まらず断念して今に至っています。

 しめ縄が出来ると裏山に入りシダの一種であるウラジロを取らなければならないし、まつわる仕事もいっぱいあります。また正月用の鏡餅もつかなければなりません。松山に住む娘と息子宅へ、お餅をついて持っても行かなければなりません。大掃除や年賀状作りなど、あれやこれやと色々あるもので、何となく師走という言葉通りの毎日が近づきつつあります。

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〇今年は甘夏柑が大豊作の予感
 わが家の宅地や家庭菜園につながる果樹園には何本かの甘夏柑が植えられています。本来柑橘類は病害虫に弱く、定期的に農薬をかけないと枯れてしまうのですが、柑橘原種に近い甘夏柑は病害虫に強く、私のようにオーガニックなどと格好いいことを言ってもはばからぬ強い樹種です。

法則の予感がする甘夏柑

 しかし老木に近くなると人間のように樹勢が衰えてくるようです。そのため飛び出した徒長枝を摘んだり、牛糞を元肥えにやったり、時にはスコップを踏み込んで根を切ったりして樹勢を保つようそれなりに努力をしています。それでも天候に左右され、今年のような少雨高温が長く続くと樹勢が弱り、玉太りもイマイチなのです。

 昨年は隔年結果の影響で自家用にも事欠くほど結実せず、楽しみにしていた方々に送ることが出来ませんでした。今年は玉太りはイマイチですが、なりは大豊作の予感です。甘夏柑は樹上で越冬保存し、柑橘類のなくなる夏まで楽しめる数少ない品種です。楽しみが増えています。

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〇かつて私が担当して造った潮風ふれあい公園
 私は教育委員会を皮切りに、教育委員会13年⇒産業課4年⇒企画調整室9年⇒地域振興課9年⇒教育長2年と、37年間双海町役場に勤めましたが4回しか人事異動したことがありません。その中でも企画調整室ではまちづくりを地域振興課では3つの公園(シーサイド公園・潮風ふれあい公園・しもなだ運動公園)整備や運営などを担当しました。

 昨日薪にするクヌギの木の伐採のため、潮風ふれあい公園の頂上付近のクヌギ林から、久しぶりに潮風ふれあい公園やその周辺の景色を見る機会を得ました。潮風ふれあいの館という宿泊施設は当時町内に一軒も宿泊施設がないことから不便を囲っていましたが、国の補助事業の採択を受け、木造の施設を整備することが出来ました。

 周辺には運動広場や、4面のテニスコート、子どもの遊び場もあって、眼下に瀬戸内海の眺望が開けてすこぶるいい環境にあり、利用者の多い施設です。昨日は公園から西の端に沈む美しい夕日を見ることが出来ました。急いでシーサイド公園に降り、海抜4~5mの地点からも同じ夕日を見ましたが、それぞれ趣ある景色でした。

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〇知らないことが多過ぎる
 私は昭和19年に生まれた79歳です。生まれつき頭の出来が悪く、加えて少年時代は家が貧しかったし長男だったので、将来は稼業である漁業を継いで漁師になるものと思い、勉強など殆どしませんでした。金持ちの家に生まれた同級生の何人かは、義務教育を終える前から中学・高校・大学を目指して勉強をしていました。

 そのつけが回ったのか、人と比較すると余りにもみすぼらしく、知らないことが多過ぎるため、かなり遅い学びを始めました。もう学びを終わるであろうこの歳になっても、まだ遅くはないと自分に言い聞かせ学びを続けています。知識の学びには①読む、②聞く、③見るがあり、知識を智恵にするには①書く、②喋る、③実践しなければならないと考えていますが、これが中々です。

 世の中は進化を続けていて、進化のスピードが速く、私の遅い進化のスピードでは追いつくことが出来ないばかりか、退化が進んでその差は開くばかりです。100歳まで生きると公言した私の未来年齢は後21年しかありません。これからも「知らないことを少しでも減らす」ために頑張って生きようと思っています。

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〇あちらこちらからお届け物
 同居の孫が、「おじいちゃんは全国の色々な人から色々な物が送られて来て凄いねえ。何で?」と褒めながら不思議がられました。「友だちが沢山いるからよ。友だちは大事にしないと」と返しました。

 そんな話をしているところへ、「宅配便です」と言って、北海道の友人からそれは立派なホタテ貝が沢山届きました。早速小さな袋に小分けして、町内はもとより松山に住む息子や娘宅へ届けてやりましたが、私たち夫婦も息子たち家族も1人1個ずつ食べました。

 若嫁はグラタンの具材に、私たちは軽く茹でて刺身にして食べましたが飛びキルの味でした。今は宅配の技術が進んでいて、ホタテは生きたままでした。福島の原発被害で汚染水処理のため海洋放出をしていますが、そのことに反対している中国の輸入禁止措置でホタテ産地も大変な時だけに、心配しながら食べました。

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