人間牧場

〇「川中島」不識庵機山を撃つの図に題す
 ~べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる
  あかつきにみる せんぺいのたいがをようする
  いこんなりじゅうねん いっけんをみがき
  りゅうせいこてい ちょうだをいっす~

 わが町はかって公民館活動で詩吟が盛んに行われていました。そのころ吟者が朗々と吟じる漢詩の意味も分からぬまま、時が過ぎ今日を迎えています。昨日旅のツアーで尾道の名刹千光寺を訪ねましたが、その一角に頼山陽の立像が建っていました。

 吟者が「不識庵機山を撃つの図に題す 頼山陽」と吟じていたのをふと思い出しました。「(上杉の軍は)鞍の音立てないよに 静かに夜に乗じて川を渡った。明け方武田信玄は上杉の数千の大軍が大将の旗を立てて、突然前に現れたのを見て大いに驚く。しかし誠に残念なことにこの数十年、一剣を磨きに磨いてきたのに、打ち下ろす刃がキラリと光る一瞬のうちにあの憎い信玄を打ちもらしてしまった」そうです。

頼山陽は江戸後期の著名な歴史家であり日本外史を作った儒学者でもありますが、漢詩も沢山遺していて、一度その足跡を学んでみたいと思いました。

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人間牧場

〇年賀状印刷裏話
 私のパソコンには筆王というソフトを利用して年賀状用の住所録を入力していますが、厄介なのは400人の名前と宛名の中に、今年亡くなった人の名前が載っているため、消去しなければその人の元へ届いてしまうのです。

 今年も印刷してから確認していると2人の人の名前をプリントアウトしていました。一人はシーサイド公園にあったじゃこ天のお店で長年活躍した松本洋子さんです。消したくないという思いの表れだと勝手に思いながら、ブログ記事で「松本洋子さん」で検索すると沢山の記事にヒットし、年賀状製作の手を休めて懐かしく往時の思い出を偲びました。

在りし日の松本洋子さん(左端)

 もう一人は宇和島水産高校漁業科の大先輩玉井恭介さんです。玉井さんは広告代理店の部長をしていたころ、私の出世作?となった、「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の自著本の監修を手掛けてくれた恩人です。特に宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」の事故ではお互い心を痛め、「希望海」という鎮魂歌を作詞したり、慰霊碑の建立に力を注ぎました。晩年は松山五行歌などに私と一緒に参加して、わが宴会所や人間牧場で句会などを催しました。

煙会所での句会風景(右端が玉井さん)

 偶然間違ってプリントアウトした2枚の年賀状は、投函せず、私の思い出として手元のハガキ入れに入れ、「届かなかったハガキ」として大切に保管したいと思います。お二人とも今頃天国のどこを旅しているのでしょうか?。

「誤って 2人の名前 消し忘れ プリントアウト 出すに出されず」
「お二人の 名前で検索 あれこれと 出るわ出るわで 懐かしくなる」
「まあこれも 二人私に 呼びかけた 出来事でした 冥福祈る」
「このハガキ 手元記念に 遺し置く 生きてる限り 大切にする」

 

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〇Stay Hungry Stay Foolish
 私は英語を書くことも勿論喋ることも苦手です。第10回総理府派遣青年の船の班長に応募した時、班長の資格は英会話1級程度の語学力でしたが、かつて咸臨丸が太平洋を渡ってアメリカへ行った時、乗船した勝海舟も福沢諭吉も英語が喋れませんでした。

 ところが咸臨丸に乗船した四国土佐清水出身のジョン万次郎だけは英語が喋れたのです。「100年後の昭和の咸臨丸と銘打って太平洋を始めて渡る青年の船に、みんな英語が喋れて四国出身の私だけが喋れないのも何かの因縁です。英語が喋れないだけで私のアメリカへ行く夢を断たないで欲しい。帰国したらナンバーワンに活動します」と大見えを切り、見事選ばれ建国200年のアメリカへ行くことが出来ました。

 こんなやり取りがあるほど愚かな私ですが、外国の著名人が話した言葉を、メモ帳に時々忘れないように書いていましたが、今日そのメモが見つかりました。「Stay  hungry Stay Foolish」とたどたどしい英語で書いていました。ご存じアップル社創設のスティーブ・ジョブズ氏が言った有名な言葉です。直訳すると「ハングリーであれ、バカになれ」ですが、「日常の中の非日常」「常識にとらわれない」という意味もあるようです。

 何でこんな英語を書いたかは何年か前のことなので分かりませんが、この言葉を聞いた時衝撃を受けたことは事実です。以来この言葉のような生き方がしたいと思って生きてきましたが、残念ながらバカの壁は未だに越えられていません。でもこれからもこの言葉を反芻しながら生きて行きたいと思っています。

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〇12月22日は冬至
 今日は一年拾で夜が一番長い冬至の日です。世の中は便利になったもので、インターネットで「双海町の今日の日の出と日の入り」を入力し検索すると、瞬時に日の出は6時56分20秒、日の入りは5時01分00秒と、表示してくれるのですからこのくらい便利なことはありません。

私が作った夕日の時刻表

 私が夕日でまちづくりをしていた頃、夕日が何時に涼むのか分からないため、松山地方気象台へ出かけて一年間の日没時間を調べて帰りました。その資料を基に、日本で初めてという夕日の時刻表を作りました。それが話題となって千部作った時刻表があっという間に売り切れたことがありました。

 今はそんなことをしなくてもインターネットという優れものがちゃんと教えてくれるのですから有難い世の中です。今晩は早めにお風呂に入り一年で一番長~い夜を存分に楽しみ、ゆっくり休みたいと思います。

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〇お酒を止めた記事を書きましたが・・・
 昨日自分の家で原木に生えたシイタケと、農家さんからいただいた紅まどんなを、松山に住む娘や息子のところへ、お裾分けしに妻と2人で出かけました。両方ともあいにく留守だったので、いつもの勝手口近くに置いて帰りました。

 若嫁の勤める喫茶店に立ち寄り、が主人が亡くなっているので一人身ゆえ、シイタケも紅マドンのほんの少し差し上げ、お茶をして松山市堀江の次男息子嫁の実家へ立ち寄りました。お父さんは最近まで病気だったのでお見舞いのつもりで立ち寄りましたが、お父さんは本屋さんへ出かけてあいにく留守でした。

 お母さんがいて帰るに沖縄県うるま市の神山酒造の泡盛をいただきました。私がお酒を呑まなくなっているのをしっているので、親しい友人と酒盛りをする時振る舞ってくださいとのことでした。今朝のFacebookに「お酒を呑まなくなって二十二年」の記事を偶然にも書いたこともあり、少々酒を呑んでいた頃が懐かしくなりました。

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〇喫茶店でホワイトを飲む私
 私たち夫婦は息子家族4人と同居をし一つ屋根の下で暮らしています。ゆえに息子や私が敬意をもって鬼嫁と呼ぶ若嫁、それに高1と中2の孫に元気を貰いながらすこぶる仲良く暮らしています。

 若嫁の実家は喫茶店を経営していますが何年か前マスターだったお父さんが亡くなってからは、お母さんが経営を引き継ぎマスターとしてお店を切り盛りしています。若嫁は喫茶店に勤め、おもにコーヒーの焙煎や接客をやっています。

 そんな関係もあって時々客として店に立ち寄りますが、妻はブラックを注文しますが、コーヒーのカフェインが体内に入ると夜寝れないことがあるので、今日も松山に出かけた折立ち寄りましたが、妻はミックスジュース、コーヒーの飲めない私は通称ホワイトと呼んでいるホットミルクなのです。

「あんな美味しい香りの高いコーヒーが飲めない人間なんて」とよく呆れられますが、私から言えば「あんな苦いものをよく飲むなあ」とは私の弁です。わが家でコーヒーを飲まないのは私だけで、あとの6人はコーヒーが大好物のようです。

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〇年賀状作成
 毎年この時期になると年賀状の作成に取り掛かります。私の年賀状は風変わりで、まず虫眼鏡がないと読めないほど小さな文字で、今年の私の10大ニュースを選んで書いています。去年までは「〇月〇日 あれこれ」と書いていましたが、同じ日もあるので月日をやめて「〇 あれこれ」と書くことにしました。

 届いた方から「文字が小さくて読めないのでもっと大きな文字にしろ」とお叱りを受けますが、私はわれ関せずで今年もさらに小さい文字で書いています。若し届いたら虫眼鏡か天眼鏡で読んでください。さて私は現職の頃は毎年約10000枚もの年賀状を出していましたが、今は徐々に減らし、年金暮らしの身分をわきまえて400枚限定にしています。

 昨日総務省が来年からハガキを今の63円から85円に値上げするという、大それた発表がありました。今でも63円×400枚=25,200円で痛いのに、これ以上の出費は自殺行為です。ましてや私はこの20年間毎日ハガキを3枚書いて出しています。計算だとポケットマネーで3枚×63円=189円使っているのに、来年から3枚×85円=255円、4日で1,020円です。私のような庶民のささやかなたしなみまで値上げされるとは、トホホです。

 ちなみに今年の年賀状に書いた私の10大ニュースは、①108体の人形が語る漁村の昔、②48年間の金融広報アドバイザーを今年で辞める、③第16回地域教育実践交流集会、④県公民館研究大会の鼎談出演、⑤鼎談打ち合わせのため島根・山口・広島の小旅行、⑥県景観シンポのパネリスト出演、➆愛車をエアコン故障で買い替え、⑧双海ジュニアリーダーの活躍、⑨人間牧場のウッドデッキ大修理、⑩テレビ・新聞・雑誌・ブログなどで情報受発信などでした。印刷所校正終了、年賀状持ち込み終了、住所録修正終了、あとは2~3日内に印刷、投函予定です。

 

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〇結婚披露宴こぼれ話
 昨日吉永早希ちゃんの結婚披露宴で少し涙が出るような光景に出会いました。昨日の結婚式は式も披露宴も和服姿は前撮りだけで、その模様は披露宴会場の大きなスクリーンに映る姿を見せてもらいました。新郎も新婦も終始洋装でした。

 故にお色直しは白いドレスからピンクのドレスに替えただけでした。その1回だけのお色直しに介添え役として指名されたのは早希ちゃんの祖母に当たる私の実姉でした。

 サプライズだったため姉は驚いた様子でその任に当たりましたが、結婚式には2年前亡くなった夫の写真を持参して早希ちゃんの花嫁姿を見せていました。夫が生きていたらさぞ喜んだことでしょう。

 孫である早希ちゃんの手を引いて保育園へ送り迎えした姿が思い出されますが、昨日は介添えというよりは早希ちゃんに手を引いてもらっているような感じがしましたが、姉にとっては生涯忘れられない思い出になりました。その姿を目の当たりにして私も少しだけウルウルしました。

 

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〇男に生まれてよかったとしみじみ思います
 男女の性差の問題があれこれ議論される時代になりました。そんな時「男に生まれてよかった」などと言うと、不謹慎な男としてレッテルを張られ、批判されそうですが、今日結婚式に夫婦で案内を受けていました。妻は1週間前から結婚式の前日までに美容院の予約を取ったり、着て行く服の心配をしてるのに、夫たる私はいつものことながら全く無頓着で、背広にネクタイさえあれば結婚式に出席しても一応の身だしなみが整うし、当日も物の5分もすれば出かける準備が整うのです。

 片や妻は化粧をしたり髪をといたり、また沢山ありもしない洋服の中から季節に応じた似合いそうな服を選んで着たり、真珠のネックレスをさりげなくつけ、お祝いのお包みを袱紗に包んで持って行くバックに入れ、家のストーブ、電気、鍵など「戸締り用心火の用心」の確認をして家を出るのです。いつものことながら、私たち夫婦に限って言えば「男に生まれてよかった」としみじみ思うのです。

帰宅してからも、背広を脱ぎネクタイを解き、背広とズボンをハンガーにかけてクローゼットに吊り下げ、革靴を下駄箱にしまって5分もすれば一件落着です。私と妻は年齢が私より一つ年下ですが、私はそれからテレビの前に座りニュースを見ながら新聞を読むのに、妻は洗濯物を取り込んでたたんだり、明日の朝の準備に取り掛かり、疲れているであろうに寝るのはいつものように11時過ぎ風呂に入り一日を終えます。今日も妻に感謝の一日でしたが、「男に生まれてよかった」と今日もしみじみ思いました。

 

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〇防寒用のニットの帽子をかぶって
 毎朝午前6時に、毎日一万歩を目指してウォーキングしていますが、今は夜明けが遅く午前6時にはまだ外は暗いので、LEDの懐中電灯を点け足元を照らしながら歩いています。1ヵ月前から手袋をはめ野球帽をかぶっていましたが、寒くなったので妻が毎年冬場になると防寒用に被っているニットの帽子を締まっていたタンスから取り出し用意してくれました。

 この帽子は少し大きめで、被ると耳まで隠れる優れもので、温かく重宝していますが、この2~3日は冬師走とは思えないほどの季節外れの暖かさで、今朝は南の風も吹いていたので、暑くて帽子を脱いで歩きました。脱いだ帽子をジャンバーのポケットに入れて歩きましたが、いつの間にかその帽子がポロっと稚樹に落ち、そのまま歩きました。

 ふと気がつくのと、同じ道を一周回って同じ場所を通りかかると帽子が落ちていて、幸運にも拾い返すことが出来ました。汚れもせず手元に戻ったニット帽子を再び被って家に戻ることが出来ました。年齢を重ねると細々した持ち物を気がつかない間に落とすこともしばしばです。あ~あ、悲しいかな私もその域に達しつつあるようです。

「ウォーキング 朝も早うから 寒かろう 妻が用意の ニット帽着け」
「今日の朝 季節外れの 温かさ 帽子を脱いで ポケット入れる」
「一周を 回って元場所 もどり来た 私の帽子 道端発見」
「歳重ね あれやこれやと 失態が 増えてわが身の 悲しき姿」

 

 

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