人間牧場

〇わが家は大丈夫だろうか?
 今晩午後6時過ぎ能登半島で震度5弱のかなり強い地震があったとテレビのニュースでありました。今回の地震では震度1以上の余震が1000回を超えていて、毎日被災した人たちは地震に怯え、寒さに震えながら息を凝らしたように暮らしているのです。

今から29年前の平成7年1月17日に起こった阪神淡路大震災の時は、シーサイド公園完成の年で、イベントホールの水槽の中へ入り午前5時から掃除をしていた時、飼っていた西洋ナマズがいきなり暴れて深さ2mの水槽から外にジャンプして飛び出し地上に落下、ナマズの地震予知能力を強く感じましたが、掃除を終えて帰宅して、神戸の大火事のニュースを見ながら朝食を食べた記憶があります。

 さてわが家は私が32歳の時に一大決心し借金をして建てた木造家屋です。昭和52年新築ですからもう築47年で古民家の類です。幸いどっしりした大きな建物なのでまだ傷んではいませんが、阪神淡路大震災、東日本大震災、熊本大震災、それに今回の能登半島震災を目の当たりにしているだけに心配の種となっています。

 ささやかれていていつ起きるか分からない南海トラフ大地震への備えも心もとなく、正直起こってからでは遅いけれど、起こってからでないと分からないというのが正直なところです。昨日の夜家族みんなでテレビを見ながらそのことを話しましたが、地震保険に入ってたり、少しの備蓄と持ち出し袋にあれこれ入れている程度でまだまだ他人事のようです。急がねば・・・そんな気がしました。

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〇私が生まれた頃
 今年は令和6年です。平成36年、昭和99年です。今年の10月3日で目出度く傘寿80歳を迎えますが、今朝の愛媛新聞に「太平洋戦争」という4面ものユーキャン広告が載っていて興味深く読みました。DVD「太平洋戦争」の広告ですから、見流しすればいいのでしょうが、昭和生まれの私としては記憶にはないものの、語り継がねばならない近代の歴史ゆえ、DVDは買う金がありませんが、ウクライナやイスラエルなどで起こっている戦争に心を痛めているだけに平和についても考えさされました。

 

 昭和6年9月18日に満州事変が始まり、昭和20年8月15日玉音放送で戦争は就結しましたが、この14年間の中でも昭和16年12月8日に真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争の5年間は、多くの犠牲者が出て日本の最も暗い苦悩の年月でした。そんな中私は敗戦色濃い昭和19年10月3日に生まれ、一つ違いの妻は敗戦後間もない昭和20年9月12日に産まれているのです。昔流行った歌の文句ではありませんが「戦争を知らずに僕らは生まれ、戦争を知らずに僕らは育った」のです。

 色々な意見もありますが色々な国の支援を受けながら、この78年間一度も戦争をすることもなく平和を享受でき、こうして食べるものにも不自由せず豊かになった国で生きているのです。戦禍に散った人のことを思えばもっともっと社会のために尽くさなければなりません。偶然にも宇和島水産高校の実習船愛媛丸で連合艦隊司令長官山本五十六の亡くなったガダルカナル付近を航行したり、珊瑚海海戦のあった珊瑚海でマグロはえ縄を行い寄港したニューへブリデスサント島で日本軍の上陸用舟艇の残骸を見た記憶が蘇りました。

 

 

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〇美術品の年賀状
 今年も私の元へは約500枚の年賀状が届きました。その中でダントツで素晴らしいのは、内子町平岡に住む山田清昭さんの手彫り版画の年賀状です。少し分厚い手すき和紙のハガキに刷った和服姿の女性の奥ゆかしい姿に思わず見入ってしまいました。

 何年か前に出会って以来、今は年賀状のやり取りくらいですが、私の年賀状など恥ずかしくて出せないほどの落差です。山田さんは内子座のポスターを手掛けたり、あちこちで個展を開くなど、素晴らしい活躍をしている知る人ぞ知る有名人で、たしか竹材業を営んでいるようですが、またお会いしたいものです。

 今年の版画年賀状には昭和九十九年元旦と書かれていました。すっかり忘れていましたが、来年はいよいよ昭和百年です。今年の年賀状も大切な私の保存版お宝年賀状にしたいと思っています。山田さん素敵な年賀状をありがとうございました。

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〇今年こそは・・・
 毎年この時期になると家に隣接する裏山に自生している藪椿が咲き始めます。藪になった斜面の椿の木を遺して払うと、土地があっているのか椿が増えて、「椿山」って感じになりました。ゆえにこの頃になると派手さはありませんが真っ赤な藪椿の花を楽しむことが出来るのです。

 藪椿は花が散るとポンポン玉大の実がなります。ほおておくと実がはじいて中から種が飛び出し、地面に落ちて芽を出しますが、椿の木は硬く成長が遅いので、中々大きくはなりませんが、実がはじいて地上に落ちるまでに収穫して天日干しすると、種が収穫できるのです。

 この種を集めて椿油を作りたいと思っていますが、まだ実現していません。せっかく実った椿の実ですが誰も見向きもせず誰も作ろうと思っていないようです。せめて自家で使うだけの椿油を今年は是非作ってみたいと、搾り方などの勉強を始めています。上手くできるといいのですが・・・。

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〇酒やタバコを止めるくらいだったら死んだ方がましだ!!
 私の友人たちの中には田舎人らしく、酒もタバコも呑んでいる人が結構沢山います。私が20年前健康診断で胆のうにポリープが見つかって口腔手術をした折、医師に勧められそれまで浴びるほど呑んでいたお酒をきっぱり止めました。飲み会の誘いがあると断る私を見て「酒やタバコを止めるくらいなら死んだ方がいい」と随分嫌味を言われましたが、どこ吹く風と聞き流していました。

 そんな言葉を発した友人は突然脳梗塞を患いましたが、幸い軽かったため半身不随も言語障害にもなりませんでした。そのため退院してから医師や家族、それに周りの人から注意を受けても酒もタバコも復活していました。その友人の言い分は「近所に酒を呑みタバコをのんでも100歳まで生きた人がいるのだから、酒やタバコは体の害にはならない」と言っていました。

 ところが2度目の脳梗塞を発症し、全身不随で言語も重い障害が起こり、介護の認定を受けなければならなくなりました。自分は嗜好して満足だったでしょうが、介護をしなかればならない家族は大変です。人間の寿命は神様や仏様しか知らない世界で、自分自身には分かりようもありません。酒を止めた私だって明日はどうなるか分かりませんが、両親から貰った命だけは大事にしたいものです。

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〇バカは風邪を引かないって本当か?
 変な言い方ですが私はバカな人間を自称しているので、「バカは風邪を引かない」という昔の言葉を信じていました。そのことわざ通りこの一年腹も疼かず風邪も引かずいたって健康に日々を送っていました。

 ところが2日前、家庭菜園にジャガイモを植えた後、少し汗をかき上着を脱いだままでいたことに気がつかず、少々寒気を感じました。その夜熱はないものの風邪の症状と思える鼻水が出始めました。妻の風邪薬を服用しましたが治らず、今朝も「今日は朝のウォーキングは止めたら」と促す妻の言葉を振り切って、とりあえず日課だけはこなしました。

 家族みんなに移したらいけないという妻の言葉に押されて、歩いてちかくのたけます診療所へ診てもらいに行きました。受付で熱を測ってもらいましたが、36度丁度で熱もないことから、問診だけで診察もせずエンゼル薬局へ回されて5種類の薬を貰って帰りました。

 薬を飲んだお陰か、鼻水も止まり、バカ復活となりそうな雲行きです。せっかく利口人間になりつつあったのに残~念です。それでも今日は暖かい部屋で静かに養生休養したいと思っています。

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〇産地ではみかんやキウイフルーツは貰うもの
 私たちの地域は、宇和海側のみかんの産地には及ばないものの、瀬戸内海に面した穏やかな気候を利用して昔から柑橘栽培が盛んです。ひところはハウスみかんの産地となっていましたが、農家の高齢化と原油高が足を引っ張り、農業が後退しつつあります。

 それでも季節になるとハウスみかんから始まり極早生、早生、普通と続けて農家からみかんが届き、紅まどんなやポンカン、伊予柑などが農家から相次いで届きます。最近はキウイフルーツまで届きます。ゆえにみかんやキウイフルーツは「買うもの」ではなく「貰うもの」という感じです。

 柑橘もキウイフルーツも糖度が高くほおっておくと腐り小まめに食べなければなりません。キウイフルーツは皮を剥き、皮を剥ぎにくい紅まどんななどは円月型にカットして食卓に出されお洒落です。今はこうしたフルーツがふんだんにあってビタミンCの補給に役立っています。

「産地では 柑橘類や キウイなど 貰うものゆえ 買うこと忘れ」
「最近は 柑橘名前 多過ぎて 分からぬままに 朝夕食べる」
「円月に 切って食卓 出されると まるで洋風 少々お洒落」

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〇能登半島地震被災地の人々の苦労を思う
 マグニチュード7以上の地震に見舞われ壊滅的な打撃を受けた能登半島の被災から1週間余りが過ぎました。まだ災害の全容も分からぬまま、亡くなった人が毎日増え続け、行方不明者も相当の数にのぼるという報道を見聞きするにつけ心が痛みます。

 今朝ウォーキングに出かけましたが、能登から比べればはるかに暖かいと思われる私たちの町でさえ手袋を入れた両手がかじかむほどの寒さです。加えて早朝の暗い道を歩くと、懐中電灯がなければ前に進めず、停電に加えてトイレの水も断水という三重苦状況下での日々の暮らしは想像を絶する厳しさのようです。

 土砂崩れや津波それに土地の隆起で交通もままならず途方に暮れている人たちに追い打ちをかけるように降り積もる北陸特有の水分を含んだ積雪で、心身ともに疲れ切っているようです。支援の手も差し伸べられていますが、まだまだ春は遠いようです。つらいでしょうが頑張って生きてください。

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〇年賀状の波紋
 県内で笑いヨガを普及推進している、元下灘小学校の校長をしていた玉井千恵さんが2年前、笑いヨガ全国会長の高田佳子さんを連れて煙会所や人間牧場へやって来ました。その折福岡県遠賀郡岡垣町の鷲尾操子さん他1人も同行していました。その後懇切丁寧なお礼状をいただきましたが、そのお礼を込めて今年初めて年賀状を出しました。

 すると一昨日スマートレター便で便りが届きました。達筆な字で「字がびっしり書いてある賀状にビックリしました。そて若松さんの方から賀状をいただき感激しております」(後略)と私信に添えて猫の絵のステキな切手シート(84円×10枚)が入っていました。新春早々のまるでお年玉のような嬉しい嬉しいプレゼントでした。

 私の年賀状は恐らく日本一文字数の多い年賀状ではないかと思う程、びっしり文字を書いています。目の薄くなった仲間からは虫眼鏡でも読めないからもっと大きい文字にしてくれ」と悪口や注文がありますが、われ関せずで今年の年賀状から月日時系列を止めて、過ぎ越し昨年一年間の自分自身の10大ニュースを綴っています。

 10大ニュースのその下に家族の近況を書いていますが、妻に相談もなく「繁子(78歳)間もなく退職」と書いてしまいました。妻は近所の歯科医院でパート働きを今もしていますが、そろそろ潮時を口癖のように言うので、もう辞めるものと思い書いたのですが、後任が見つからず院長さんにもう少しと慰留されたようです。「間もなく・・・」ですから「間もなく」でお茶を濁しています。

「嬉しいね 年賀状出し 届いたと 猫の切手 10枚添えて」
「年賀状 妻に相談 せず書いた  八文字添えて
『間もなく退職』」
「日本一 文字数多い 年賀状 読む人高齢 天眼鏡にて」
「文字制限 なしに書いても 値は一緒 日本国中 どこでも届く」

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〇今期は上手く行った野菜作り
 私は家の横に1反ほどの家庭菜園を持っています。自宅に隣接しているのでちょっとの暇を見つけて畑の世話が出来るし、料理をする妻に聞いたり頼まれて野菜を収穫できるので、食品ロスが少なくいつも採りたての新鮮な野菜が食卓を賑わせています。

 その上この10年間追い肥え用に化学肥料を若干使っていますが、牛糞30袋、豚糞30袋で土づくりを行なって、農薬を全く使わない有機農業に近い、安心安を作っています。若し野菜が体にいいのであれば、私と妻の健康の源は野菜を食べているからかも知れません。

 今期は白菜や大根、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、カブ、ネギなどを露地で作り、春菊2種とチンゲン菜、それに小松菜を小さなビニールハウスで作ってみました。図に当たってビニールハウス内の春菊やチンゲン菜、小松菜も柔らかく出来て、鍋物に頻繁に使っています。

 今日は少し寒い北西の風が吹いていましたが、露地野菜の中に生えたハコベ草などを取りました。そのついでに高菜、春菊、カブ、丸大根、カリフラワーにレモンを加えて、じゃこ天のお店の憲子さんにお裾分けをしたら、お礼にじゃこ天つみれをいただきました。鍋に入れて食べましたが、絶品でした。

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