〇三崎半島に住む親友宅を訪ねる
昨日は句会が長引き、予定していた三崎半島に住む親友宅を訪問する予定時間が大幅に遅れました。親友は塩崎満雄さんで、私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた折西宇和郡連合青年団長だった塩崎さんと知り合いました。塩崎さんは三崎町役場、私は双海町役場、しかもまちづくりに関わる様々なことをそれぞれにやっていたため、密度の濃い交友となりました。
私は一足先に役場を退職し自由人となりましたが、4歳年下の塩崎さんも退職し、その後も地域づくり研究会議や夢工房で行動を共にし、私にとってはおそらく一番古い親友だと思うのです。塩崎さんは退職後三崎町井の浦で清見タンゴールを作る農家となりました。お互い体調を崩して酒の飲めない体になって交遊の形態も随分様変わりしていますが、折に触れ出会って他愛のない話をしています。
2か月前私が外反母趾の手術入院後退院し自宅療養中、退院祝いに三崎町特産のイセエビを沢山届けてくれました。そんなこともあって、いつも遠い三崎の地からわが家へ来てくれることをすまないと感じた妻が、「塩崎さん宅までお礼に行こう」と誘ってくれたのです。すっかり整備された夕やけこやけライン378号線、潮風メロディーライン197号線を走っても、三崎町の中心地からさらに奥まった井の浦まではかなり遠く、片道2時間余りもかかるのです。
塩崎さんの家へは20年も前一度訪ねたことがあるので、おおよその見当はついていましたが、記憶は曖昧で近所で道を訪ねたらその方が偶然にも私の名前と顔をを覚えてくれていて、電話をかけてくれ。家の前まで奥さんが迎えに出てくれました。久しぶりに出会う塩崎さんご夫妻は百姓もすっかり板に着き、上がらせてもらった居間で暫くの間近況を語り合い、お暇をして元来た夜の道を帰りました。いい出会いを重ねることができました。塩崎さんは私のよき親友です。
「佐田岬 日本一の 細長さ 延々走り 親友訪ね」
「20年 前に一度は 訪ねてる 記憶あいまい 近所で尋ね」
「良き友が 沢山いるから 今がある 私の財産 これから先も」
「お土産に 生きたイセエビ また貰う 今日は調理し 美食味わう」