人間牧場

〇節分の風習

 「お父さん、明後日は節分よ」と、妻が寝る前私に言いました。そういえば私たちが子どもころ節分には、オニグイというイガだらけのタラの木を切ってきて、四つ割りや八割にしてパリパリ柴を挟み込み、それらを玄関や神様仏様に供えていたのです。その仕事はもっぱら子どもの仕事と位置づけられていました。母は私の取ってきたパリパリ柴を使い、素焼きのホーロクという平たいものに大豆を置いて、下から焚いた火で大豆を炒ってくれました。その大豆を「鬼は外、福は内」などと叫んで投げつける所作がいかにも子どもたちの茶目っ気に合っているため、日ごろの鬱憤を晴らすように、多いに悪ふざけをして遊んだものでした。そのうち夕食になると、自分の年齢分豆を食べろと言われて年齢分食べましたが、親父や母親は10歳を1個に省略して食べていたようです。

山から切ってきたオニグイとパリパリ柴
山から切ってきたオニグイとパリパリ柴
切り揃え割ったオニグイ
切り揃え割ったオニグイ

 今朝は夜来の雨がまだ少し残っているようでしたが、長靴を履いて散歩に出かける時、鎌を持って出かけました。妻の言った「節分」が気になって、オニグイを切って帰ろう思ったのです。最近ではオニグイは春の山菜としてタラの芽が珍重されるため、そこら辺では中々見つからないのですが、そこは子どもの頃から腕白だった私のことゆえ、ウォーキングパラダイスの道沿いにタラの木を数本見つけていたのです。
 散歩がてらに切って持ち帰ったオニグイを、鋸で約15センチの長さに切り分け、少し小さいので4等分に割りました。割ったオニグイに切れ目を入れ、一緒に採ってきたパリパリ柴を挟んで一丁上がりです。それらを籠に入れ、息子が玄関や神様・仏様などに置いて回りました。傍で見ていた親父も、私や息子ののこうした古いしきたりを守ってやってくれる姿に満足したように、目を細めて見守っていました。

出来上がったオニグイ
出来上がったオニグイ
息子が玄関先や神仏に供えてくれました
息子が玄関先や神仏に供えてくれました

 私たちの身の回りからこうした古い風習がどんどん捨てれています。正月の注連縄や夏越しのためにヨモギと茅を結んで屋根に放り上げる風習も次第に廃れようとしているのです。これらの風習は非科学的で何の根拠もないと思われていますが、天気さえも神仏に頼った時代には、これらの生活文化がしっかり息づいていたのです。私は古い人間だし、親父ももっと古い人間です。こうした風習を次世代に伝えることは、分かっていても容易なことではありませんが、幸い息子家族も同居するようになっているので、長男や孫にこのことをしっかり伝えようと思い、土曜日で休みの息子をオニグイ作りに加わらせようとしましたが、孫が昨晩から嘔吐下痢症になって若嫁が病院へ連れて行くため、結局息子は参加せず、出来上がったオニグイを玄関や神仏にお供えしてくれるだけとなりました。それでも節分を迎える気持ちが芽生えたことを嬉しく思います。

  「節分に 魔除けのつもり オニグイに パリパリ挟み 供えて回る」

  「節分は 鬼は外だが 福は内 人間都合 勝手なものだ」

  「今晩は 豆炒り撒いて 邪気払う これも風習 息子手ほどき」

  「色々な 伝統風習 廃れ行く 寂しかりけり 現代生きる」 

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