○上灘四国八十八ヵ所参り(その2)
犬寄土俵辺りの幻60番が一番標高的には高い位置にあるため、閏年を理由に逆打ちをしたお陰で、その後の巡拝は下り・下りで随分歩くのに楽をしました。というのも犬寄土俵から日尾野の柆野口までの坂道は、車が入らないためどうしても歩かなければならないのです。坂道といいつつ道幅もあって柆野の集落内も日尾野までの道も、苦労することなく歩くことが出来ました。途中柆野公民館横の茶堂で一服しました。
この場所にある大きな木の名前が前回巡拝した時、どうしても分からなかったのですが、同行の竹田さんの話によるとどうやらコガの木ではないかというのです。コガは木の性質はねばいため猫車等の材料として使ったそうです。
日尾野に入ると気温も随分上がって汗ばむほどの陽気になりました。途中福島県から来て西岡さんの家を借り、農業をしている渡辺さんの家に立ち寄りました。赤石さんの息子さんが文句も言わず歩いているので、渡辺さんの庭先で飼っている黒豚を見せてやりました。在宅中だった渡辺さんが黒豚に白菜を与えると美味しそうに食べている姿を見て、赤石さんの息子さんの顔に正気が戻ったような気がしました。日尾野公民館横の石仏をお参りし、車に乗って岡の地蔵寺まで下りました。地蔵寺には7体の石仏が合祀されていて、しかも前回本堂の屋根替え工事をしていた時は、7体が取り外されそこら辺に転がされていましたが、今回は工事も終わってジェット噴射で綺麗にお身ぬぐいがされていました。
地蔵寺から川本さん宅裏を経て三島公民館までは再び歩きました。そして翠小学校近くの広沢さん宅横の石仏、久保まで巡拝し12時30分になったので、一旦シーサイド公園まで下って木村商店で弁当を買い、公園砂浜を見下ろす一角で昼食を取りました。私は妻の作ってくれた愛妻弁当を食べましたが、心地よい気候と心地よい疲れで美味しくいただきました。
その後本覚寺、灘町2丁目、灘町5丁目地蔵尊と海岸沿いを参拝して、いよいよ最後の難関西谷へ入りました。昔西谷の奥には今は廃集落となっている宮の滝という集落がありました。その関係もあって人里離れた場所にあるような気持ちです。池田勇さん宅横の石仏も薮を少し掻き分けるような雰囲気でしたし、西谷の宮田さん裏の石仏は断崖絶壁上にありました。前回参拝の折イノシシが石仏を下まで蹴落としていた場所なので心配していましたが、今回は3体とも無事でした。
両谷の集落と中の宮集落が見渡せる両谷墓地の入口付近にある石仏を拝み、特老夕なぎ荘近くの県道まで歩いて下り、中の宮、久保公民館横と飛び飛びにある石仏を参拝し、いよいよ最後の正光寺に通じる井ノ口さん横の道沿いにある木の根っこに埋もれた石仏を拝んで、やっと正光寺の88番まで帰りました。時刻は午後3時になっていました。私の携帯についている万歩計を見ると1万2千歩を越えていました。車で回ったといいながら、かなりの歩数に驚きました。
正光寺では住職さんにもお会いし、裏庭を見せてもらったり、正面玄関の咲き始めた霧島つつじの見事さに心洗われる思いがしました。心配していた雨にも会わず、厚くも寒くもなく全員元気に結願です。一年に一度はお参りしたいと、疲れも忘れて話しながら地域事務所前で散会しました。
赤石さんからブログ用の写真が4枚送られてきました。その一枚一枚を見ながら先人の偉業の凄さに驚いています。誰がどんな思いで上灘八十八ヵ所を開いたのか、その話は江戸時代に遡るので定かではありませんが、少しずつベールを脱ごうとしている上灘村の歴史に思いを馳せました。
「今回が 二度目巡拝 巡り終え 心地よい風 体に受ける」
「石仏は 八十八体 違う顔 一つ一つが 微笑みかけて」
「願い等 せずにひたすら 拝みたる 米のみ供え 米八十八」
「六人に プラス一人の 子ども連れ 最後は子ども また一人増え」