人間牧場

○お雛様飾り

 昨日はカルチャースクールの帰りに伊予市いっぷく亭に立ち寄りました。外は歩けないほど春の嵐が吹き荒れ、皆さんが乗ってきたであろう自転車も、全てなぎ倒されていましたが、いっぷく亭では多くの中年女性が集まって、賑やかに手づくり教室が開かれていました。聞けばかまぼこの板の作品展に応募する五色姫伝説の人形を製作中との事で、多いに盛り上がって、まあお茶でもと勧められましたが、私は教室の奥に飾っている「お雛様飾りを見に来たので」と断わり、会話を交わしながら吊るし雛やお内裏様等の飾りを、感心しながら見学させてもらいました。
 伊予市の商店街ではあちこちに1ヶ月に渡ってお雛様が飾られていて、昨日はその最終日だと友人の谷岡さんから聞いていたので、谷岡さんが責任者となっているいっぷく亭のお雛様飾りを、最後の最後になって見学させてもらいました。いつも思うのですがお雛様飾りは、日本の庶民文化を代表するもので、後世に伝え遺しておきたいものなのです。全国の各地では地域づくり活動の一環としてお雛様飾りが行なわれていますが、お雛様飾りの収集や飾りつけ、後片付け、保管などなど、裏方は大変な労力が必要で、お年寄りの手慰みでは片付けられないのです。

 お雛様見学が終ったので、谷岡さんのお店に立ち寄りました。運よくご主人と奥さん、それに娘さんもいてお茶とお菓子をいただきながら、楽しいお喋りをしました。娘さんはつい最近左手でハガキ言葉を書いていることは、前にも私のブログで紹介しましたが、昨日もそのハガキを3枚貰って帰りました。そのハガキには「あなたと一緒にサクラを観たいです」と、意味深長な言葉が書かれていました。娘さんにとって「あなた」とは誰か、多分独身ゆえに理想の彼のことを思っているに違いないと勝手に思いました。
 もしこのハガキをいただけば、そのメッセージは相手の心に響くことでしょう。私はこのハガキを見て、東日本大震災に遭った人たちのことを思い出しました。昨年はサクラどころではなかったものの、震災から一年余りが過ぎて、サクラの存在が蘇ってくるのです。桜を見ることが出来ずに、あの世に旅立った大切な人のこと、震災がもとで離れ離れになった人のことなど、人生模様は悲喜こもごもです。

 今日は4月4日お節句です。私たちの地方では、月遅れのお節句に花見弁当を作ってもらい、野山に繰る出す風習が子どものころにはありました。とりたてて楽しみやおご馳走のなかった、戦後間もない頃のことゆえ、お節句は巻寿司や羊羹やかまぼこなどが入った、母親手づくりの重箱弁当が食べられる、超特別の日だったので、その日の来るのを指折り数えて待ったものです。
 妻は昨夜仕事から帰って台所で、夜遅くまで巻寿司を巻いていました。オレンジ色のそぼろと干瓢、しいたけ、ゴボウ、ニンジン、ちくわ、かまぼこなどを煮て酢飯を冷まして海苔で撒くだけの素朴な田舎流巻寿司ですが、歳をとったのか昔回帰というのか、この巻寿司がたまらなく食べてみたいのです。妻は朝早く起きてこれらの手作り品を重箱につめ親父の弁当を作って、隠居へ持ち運んでいました。昔人間である親父にとっても、この素朴な弁当は年に一度の楽しみのようで、喜んでいました。

 谷岡さんの雛飾り、谷岡さんの娘さんの左手で書いた言葉ハガキ、わが妻が巻いて親父の元に運んだ重箱詰めの田舎巻寿司、姿形こそ違え全てが相手を思いやる心の現われだと、しみじみ思いました。日本人はフォアキャスティング(現在の問題から未来を予測すること)や、バックキャスティング(将来の姿を想定しやるべきことを考えること)をしてきましたが、バック・バックキャスティング(過去を知り未来に生かす)することも大切だと思いました。「確かな未来は懐かしい過去にある」とは、先日吉澤保幸さん(場所文化フォーラム代表幹事)から贈られた、本に書かれた文章の中にあった中見出しの言葉です。
 私たちロートルは過去を知っているゆえ、過去を遺し伝える義務を負っているのです。昨日今日は考えさせられることが多くありました。

  「過去を知り 未来に生かす 役割を 持っていること 自覚をせねば」

  「左手は 右の手よりも 不器用で ゆえに本心 ゆえに本物」

  「野良ゆえに 節句働き 昨日今日 手づくり弁当 食べて昼寝す」

  「低気圧 偉いもんです 日本人 右往左往させ 北に去り行く」

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