○二宮金次郎の銅像を探して(その2)
二宮金次郎の銅像の行方を聞いたお年寄りが、「そこそこ」と指を指した辺りに学校らしき建物はありました。上流と下流に二本の橋が架かっていたので、上流の橋を渡って運動場へ行きました。運動場では10人ほどのお年寄りがグランドゴルフに熱中していて、「二宮金次郎の・・・・」言っただけで、グランドゴルフの手は休めず、「あっち」と指差してくれました。どうやら私と同じような物好きな先着がいたようなのです。
ゴルフの邪魔をしないように運動場の端っこを歩いて、テレビで見覚えのある金次郎の銅像と対面しました。金次郎の銅像は意外と小さく、コンクリートで小石を積み上げた珍しい台座の上に立っていました。
向こうに見える白い建物が10年前廃校になった小学校の校舎や体育館です)
台座の中ほどには「恩」という文字が刻まれていました。
この二宮金次郎像は文化庁が登録有形文化財として登録認定されているようで、文化庁から贈られたらしい銘板には、第38-0027号「この建造物は国民の大切な財産です」と書かれていました。日本全国には二宮金次郎の銅像が沢山ありますが、この金次郎像がなぜあまた数ある中から登録有形文化財に選ばれたのか、察するに何かいわく因縁のありそうな像なのです。居合わせたお年寄りたちにその辺を聞いてみましたが、グランドゴルフに講じる体育系のお年寄りに質問はちょっと荷が重過ぎたようです。
それでも皆さんはゴルフの手を休めることなく、金次郎の歌を歌ってくれました。中には3番までしっかりと覚えている人もいて、自分の名前や歳さえも忘れるような年齢になりながら、昔の記憶の正確さに驚かされました。私は持っていた紙に教えてもらった歌詞を書き写しました。
1、柴刈り縄ない 草鞋をつくり
親の手助け 弟を世話し
兄弟仲良く 孝行つくす
手本は二宮金次郎
2、骨身を惜しまず 仕事を励み
夜なべ済まして 手習い読書
せわし中にも たゆまず学ぶ
手本は二宮金次郎
3、家業大事に 費(ついえ)をはぶき
少しの物をも 粗末にせずに
遂に身を立て 人をもすくう
手本は二宮金次郎
明治44年に刊行された尋常小学唱歌第二学年用に初めて載ったこの歌を、私はおぼろげながら口ずさめるのです。多分死んだ祖母や母が歌っていたのを聞いたのだろうと思うのです。その横にかつての小学校の校訓と思しき「山も川も心も美しく」と書かれた立派な石碑が印象的に建っていました。
「分け入りて やっと見つけた 金次郎 神々しくも ふるさと見つめ」
「自分の名 忘れるような 爺や婆 金次郎歌 覚えて歌う」
「そういえば 祖母が歌いし 歌だった ハーモニカでも 何とか吹けた」
「子の声は 聞こえぬけれど 爺と婆 昔遊んだ 運動場で」