○地震を感知したのか西洋ナマズ
1995年1月17日午前5時14分、この15年前の日時を覚えている人も、6435人の尊い命が失われたことを記憶している人も、だんだん少なくなってきました。私自身でさえ、新聞やテレビの報道を見たり聞いたりしなければ、記憶の中から殆ど消えているのです。多くの犠牲者を出した阪神淡路大震災の起こったその時刻、当時私はオープン間もないふたみシーサイド公園のイベントホールに設置した活魚展示水槽の中で、一人黙々と早朝掃除をしていました。早朝ボランティア掃除は当時私の日課だったのです。
円筒形の五本立ての水槽には海の魚に加え淡水魚も飼っていましたが、その中には西洋ナマズも何匹か飼っていて悠然と泳いでいました。まだ外は暗く中も最低限の明かりしかつけていませんでしたが、突然水を落としかけた淡水魚水槽のナマズが暴れだしたのです。そしてその中の50センチもあろう一番大きいナマズが、水槽の枠を超えてジャンプし外へ飛び出してしまったのです。驚いた私は急いで水槽の外に出てそのナマズを抱きかかえ、元の水槽へ戻しました。脳しとうを起こしていたのかそのナマズは口から血を出し、少しの間もがくように泳いでいましたが、やがて何事もなかったように悠然と泳ぎ始めました。
地震とナマズの関係は古来から取りざたされていましたが、このナマズは西洋ナマズなので日本の地震を感知しての行動とは思えないのです。それでも私しか知らない本当に出会ったナマズの珍現象を、この日が来る度に思い出すのです。そのナマズも10年ほど長生きし、シーサイド公園を訪れる子どもたちのアイドルになっていましたが、寿命尽きて死んでしまいました。
掃除を終え家へ帰ってシャワーを浴びてテレビの前に座って、長田区の大火災や高速道路が横倒しになっている小劇的な映像を見て初めて大震災が起こったことを知りました。
刻々と届く悲惨な地震の惨状を見ながら、わがことのように憂い悲しんだ記憶も、戦争と同じように歴史の一こまとなって過去へ押しやられてゆくのでしょうが、やはり平和や安心安全への願いとして語り続けて行かなければならないと思うのです。
私たち人間は、喉元過ぎればその苦しみを忘れ、他人事であればなおさら他人事として関係ないことと思う悪い癖があります。でも地球上では先日起こったハイチの大地震のような事故が起こっても、海の向こうの他国の出来事としてついつい思ってしまうのです。忘れまい1995年1月17日、忘れまい5時14分、そして忘れまい阪神淡路大震災です。
「地震予知 能力あるか 分らぬが ナマズ飛び出す あの日あの時」
「天災は 忘れたころに やって来る 忘れまいぞや 阪神淡路」
「十五年 苦しみ抜いた 人もいる 地震大国 これから先も」
「あのナマズ ひげを伸ばして ひょうきんな 姿今でも 記憶に残る」