○お墓でカメラを壊す大失態
「お父さん、お墓にまでカメラを持って行くのは止めて」と、妻に笑いながら忠告されたものの持参した罰が当ってしまいました。妻の実家のお墓を掃除して、古いシキビを墓地内にある焼却場まで運ぼうとして背をかがめた瞬間、ポケットに入れていたデジカメが地上のコンクリートに落下しました。慌てて手を助ましたが、その手までコンクリートに激突してしまい、人差し指の根元から少し血がにじむほどこすりました。手は自然治癒力で治るのですが、カメラはバッテリーとチップを入れる片隅が少し変形して開かなくなってしまいました。妻の忠告を聞くべきだったと悔やみましたが全て後の祭りでした。
カメラは落とした衝撃で写らなくなりなっていましたが、少しいじくっていると回復したものの、扉は開かないままなのです。自宅に帰ってマイナスドライバーの小さなのを取り出し何とか蓋を開けましたが、窮屈でいよいよこのカメラも請われたかも知れないのです。
妻は笑いながら「お父さん、年末に自分の貯金箱を郵便局へ持って行って開封したデジカメ貯金があるでしょう。それで買い変えたら」と、早くもバリアーを張ってきました。確かに郵便ポスト型の貯金箱を開封して貯めたお金がかなりあるので資金面では心配しないのですが、自らの不注意でせっかく息子が買ってくれたカメラを壊したことが悔しいのです。今朝はそのことが気になって朝早く目が覚めました。外は昨日の好天とは打って変わって冬特有の突風がもがり笛のように音を立てて吹く大荒れの天気のようです。
早速親父が仕事場にしている倉庫に行ってペンチを取り出して書斎へ持ち込み、カメラの曲がった部分を修正してみました。多少へこみはできましたが、何とか修復することができました。当分は使えそうなので、その間に機種を選んで購入しようと思っていますが、今回も息子に相談して買おうと思っています。
ブログを毎日飽きもせず書いている私にとって、今やデジカメは、日々の暮らしになくてはならない大事な持ち物となりました。持ち歩き過ぎて時々カメラを忘れる小知った芋繰り返して人様に迷惑をかけてきましたが、カメラが記憶した写真の数々はブログもさることながら、私の最近の生き方を記録する上で貴重な存在となっているのです。道端の草花を見ても一枚、孫の成長も一枚、人間牧場の様子も一枚と、枚数を重ねてきました。初心者ゆえ上手くゆかなかったパソコンへの取り込みや活用も、失敗を繰り返すことによって何とか下手ながら上手く使いこなしています。
写真に撮るという行為は私の心の目を開かせることにもなりました。今まで気づかなかった出来事や季節の移ろいをファインダーを通して感じ取り、それらの写真に文字文章を加えることで私の平凡な暮らしも、少しは生き生きと輝いているのです。
人は覚えるために忘れる動物かも知れません。日々の暮らしの中で覚えている何気ないことも、明日になったら「はて?」と思い出せないくらい忘れてしまいます。このことはしっかり覚えておこうと自分に言い聞かせても全てを覚えていることは不可能なのです。記録をしておくことで記憶をよみがえらせることができるのですが、記録なしで記憶することが不可能な年齢になると、まさに記録は記憶です。これからも記録による記憶をしっかりと行いたいと、壊れかけたカメラに感謝しました。
「妻注意 聞かずに罰が 当たったか カメラ壊れて ペンチで修理」
「デジカメは 今や私の 宝もの 肌身離さず お守りのよう」
「お墓など 写真撮る人 いないわよ 妻に諭され それでもパチリ」
「記録する ゆえに記憶と して残る もう歳だから それしか記憶」