○しめ飾りと長男教育
年末の大安吉日という縁起のいい日をカレンダーの中から選び、親父は近所の農家から貰った藁を5束そぐり(稲の葉っぱの部分をはかまといいそれを抜き取り芯だけにする作業)、しめ縄づくりの準備をしてくれました。その6日後の大安の日、私は例年わが家の恒例となっているしめ縄づくりを行いました。オタマジャクシといわれるオタマジャクシに似た小さなしめ飾りを15個、その中型を1個(隠居の玄関用)、簾のようなしめ飾りを1個(本宅の玄関用)、エビというしめ飾りを1個(神棚用)それぞれ作りました。
私が小学生の頃のわが家は、親父が鯛網の漁師をしていたため、船霊様という漁や海の安全を司る神様を絶対的なものとして信じていました。ゆえに昔は船に穢れがついてはいけないと、民俗学的に言う風習や習慣にのっとって様々な家庭的行事が行われていました。ゆえに漁師を継ぐ長男にはそれらを伝授されつつ育ったのです。ゆえに中学生になったころにはしめ縄づくりは親父に教わらなくても充分独り立ちして立派にできたのです。
その名残でしょうか、以来高校生で宇和島水産高校へ遊学した3年間を除けばほぼ毎年、65歳の今日までしめ縄づくりを一人で行ってきました。最近はどの家庭でも生活習慣が変わって、しめ飾りをどこかのスーパーで買って飾るようになってきましたが、日本人の神仏に対する曖昧さが露呈して、「何のために」という意味付けも、「人がするから」とか、「去年もやったから」くらいのものが多いようです。
「じゃああなたは何のために」といわれたら、私だって「小さいころからやっているから」とか、「親父がうらさいから」くらいが先に立って、しめ飾りを飾る意味など余り理解していないので、人のことをとやかく言うことは出来ないのです。でもしめ飾りを玄関に張って悪、魔や悪い霊が家の中に入らないようにするくらいの知識は分っていて、自分の家の玄関を新年早々しめ縄で飾り、穢れなく出来たと信じることができるのですから、まあ気休めにはなるのです。今年は年末ぎりぎりに叔父がなくなり、はてさてどうしたものかと思案していましたが、せっかく作ったしめ飾りを流すのは失礼とばかり、ウラジロやダイダイ、それに五采を半紙にくるんだものを水引で結び、本格的なしめ飾りを飾ることができたのです。
(隠居の玄関を飾った中太なしめ飾り)
(海舟館の玄関に飾った小型のしめ飾り)
神棚にエビ型のしめ飾りを飾った他は、海舟館に飾ったものと同じオタマジャクシ型のしめ飾りを、仏様、鏡餅、水神様、荒神様、トイレ、風呂などに飾り、自転車や車などの乗り物にも飾りました。これがわが家流の正月しめ飾りなのです。
わが子が小さい頃は男の子どもを集めて伝授手ほどきをしたものですが、残念ながら一人前になるほどの手ほどきができず、このようなわが家の風習も私一代で終わりになるかも知れないのですが、息子はまだ37歳なので間に合うかもしれないと思い今年も狙っていましたが、仕事が忙しいとか何だかんだと言い訳をして、やはり今年も私が作り私が飾ってしまいました。
日本の伝統はこうして廃れてゆくのかと思うと少々残念ですが、これもやはり時の流れと諦めるべきでしょうか、少々心が痛む正月でした。でも今年の正月は長男夫婦とこれからのことについて、コタツで暖をとりながらじっくり話をすることができました。息子夫婦は長男が間もなく保育園に入園する歳を迎えます。その時期を見計らって同居を決意してくれているようです。私は自分の長男が生まれた時、長男だけは私と同じように親と同居をさせようと、ある意味長男教育をやってきました。その効果が表れて息子夫婦もその気になっているようです。今年一年で家を二世代住宅に改造してその準備をしなければならないと思っています。私の35年間の長男教育の結果が生んだ朗報に少し安堵をしながら新年を迎えました。今年はいい年になりそうです。
「今年また 自分作りし しめ飾り 飾りて気分 一新正月」
「この技を 息子伝える すべもなし 何処か寂しく しめ飾り見る」
「金出せば 買えるものだが この手にて 作るからこそ 神に守られ」
「この歳で 俺も古風な 人間に なったものだと 自分納得」