○21世紀になって10年の節目を生きる
平成22年をゼロにして換算すると大正98年、昭和84年、21世紀になって10年目の正月元旦の朝を迎えました。大晦日恒例のNHK紅白歌合戦を見終わり、全国各地の神社仏閣から鳴り響く108つの除夜の鐘をやはりテレビで見聞きし、今年の正月を家族で迎え一旦ゆっくり就寝し、朝5時きっかりに目覚めました。
さ今年の始動です。電気とストーブをつけ、妻の用意した新品のした新品の下着を着て身なりを整え、顔を洗って台所へ向かいました。わが家では例年戸主男性がお雑煮を炊く風習が100年を超えて守られているので、若水を汲んでお湯を沸かすと同時に妻の用意した出汁を鍋に張り、具材を切って雑煮の準備をするのです。私も漁家の長男ゆえ物心ついたころから親父に教わり、いつのころからかは定かではありませんが跡取りとして一人でこの風習を守り続けているのです。
神棚にお光、仏様には線香とお光をあげ、湧いた湯で仏様にお茶渡をして敬虔な祈りを捧げました。やがて沸きたった鍋に粉を洗って水けをふき取ったお餅を入れ、少し硬めの雑煮を皿に入れて神棚に、そしてコンロで焼いた餅を皿に入れ醤油を一滴たらし仏様に備えました。雑煮はもうひと皿用意して二階の座敷床の間に用意した鏡餅の前に供えるのです。お光をあげ金杯にお神酒をそそぎ、二礼二拍手一拝して今年の抱負を頭の中で念じながらお神酒をいただくのです。
座敷には帰省した長男家族4人が休んでいますが、この日ばかりは委細構わずこの伝統的な正月行事をやりました。鏡餅の前と神棚に供えた雑煮を一旦下げて再び鍋に戻して熱を加え、食べごろになったらそのお餅を祭主である戸長である私がお下がり食としていただくのです。食卓には妻が大晦日の一日をかけて作った労作のお説料理が並んでいますが、縁起を担いで豆や田作り、数の子などを皿にとって美味しく頂きました。やがて家族を起し、頃合いを見計らって昨日の夜に聞いていた個々人のお餅の数を数えて鍋に入れ、家族全員に雑煮をふるまって新春の朝のわが家の恒例行事を終えるのです。
さて私は今朝歳取り行事として、床の間の鏡餅の前で今年一年の抱負を心に念じました。今年は寅年なので虎にあやかり少し強さを強調したいと思いました。まずこの一年自分を含めて家族の健康を願いました。そして今年の総合テーマを「人間力」の高揚にしようと思いました。「人間力」とは多少オーバーな表現で曖昧さを感じる言葉ですが、この言葉は奥が深く、私のような凡人には到底追求できないテーマかも知れません。
私たち日本人は自らの力で作り上げた物質的豊かさの力を得て、文明的には格段の進歩を遂げてきました。しかし暮らしが豊かになっても心はむしろ反比例するかのように貧しくなりつつあるように思えるのです。頭で考えたことが手足を動かし心を温かくすることが出来ないアンバランスが貧しさの原因であるなら、考えと行動が一致するような生き方を求めなければならないのです。分っているけどできない、分っているけど止められないようでは人間力失格です。思考力を高めそれを行動力で示す脳と心の一致こそ人間力なのです。人間力は総合力ですから、この一年をかけてじっくりそのことを考え実践したいと思って目標に掲げました。
人間力=思考力+行動力+経済力+地域力+奉仕力+向上力+生きる力+健康力+企画力+学習力と位置付け、一つ一つの力をつけてそれを蓄積したいと、元旦に思いました。
「神棚に 手合わせ念じ 今年また 健康第一 どうぞよろしく」
「正月は 何もかにもが 輝いて 見える不思議な 一日ですね」
「また一つ 歳を重ねる 侘しさを 払って元旦 決意も新た」
「休みなく 今がどんどん 過去になる うかうかできぬ 今のうちにぞ」