○豊後水道を挟んで
愛媛県と大分県は豊予海峡を挟んだ対岸にある県ですが、やはり海を隔てているため中々思うような交流ができません。それでも先進的な大分県には学ぶことが多く、時折訪ねたり招かれたり、時には来てもらって何度か交友を温めています。昔は多い手への玄関口は別府と八幡浜が主流でしたが、人の思いがそうするのか今ではすっかり佐賀関と三崎を結ぶルートに変更してしまっているのです。三崎には塩崎満雄さん、佐賀関には渡邊又計さんという旧友であるつわものがいて、何かと入魂にしていることもそうするのかも知れません。
先日大分県日田市大山の緒方さんが会長を務める里の駅連絡協議会の招きで佐伯市上浦町を訪ねました。副会長を務める河本さんが店長をしている里の駅での会合だったのですが、黙って通り過ぎる事もないと思い、渡邊さんに携帯電話を入れ、帰りにはちょっとの差で1時間の待ち時間があったので、帰りにも電話をかけてしまいました。渡邊さんはあいにく会議に出張出席していて、出会うことはなかったのですが、港の近くにある佐賀関精錬所の長くて太い煙突はやはり圧巻で、近代化遺産とでもいえる建造物を作った人間の凄さにただただ感心するばかりです。
私たちが子どもころは空気が澄んでいたのでしょうか、秋の頃になるとわが町からでもかすかに煙突が見えたことを記憶しています。残念ながら今は見ようと思っても見えませんが、それだけ空気が淀んだのではないかと思うのです。
(佐賀関のシンボル精錬所の煙突)
最近佐賀関からは見えないかも知れませんが、対岸の佐田岬に風力発電の風車がずらり20基以上立地ました。佐田岬といえば灯台といわれるように、「喜びも悲しみも幾年月」という映画で紹介され、灯台はある意味シンボルだったように思うのですが、今はそのシンボルも時代遅れとなって、風力発電の風車の方が新エネルギーということもあってすっかり有名になりました。
風車は回転するとき低周波数の音を出すそうで、近隣住民と騒音公害問題が新聞紙上を賑わせたり、またこの風車設置場所がサシバなど渡り鳥のコースになっているため、環境保護団体が異論を唱えたりと、賑やかな話題を振りまいていますが、佐賀関の煙突から出る煙とともに、あちらを立てればこちらが立たないようです。
(佐田岬半島に林立する風車)
豊予海峡には豊後水道という狭い場所があって、ここら辺で獲れるサバやアジは関アジ・関サバといって、名の知れたブランド品となっています。同じ場所で漁獲されながら愛媛県に水揚げされるとハナサバ・ハナアジになるのですが、大分県の関アジ・関サバには一歩及ばなようです。
佐田岬半島も、佐賀関半島も最近までは半島がゆえの不便と、第一次産業ゆえの苦悩を抱えてながら生きてきました。今は高齢化や過疎化に翻弄され、半島振興法などという国の政策の恩恵を受けることもなく、将来への不安を抱えたままの暮しが行われていますが、旧友渡邊さんも、塩崎さんもこの地にお骨をうずめる覚悟でしっかりと生きているようですが、やがてこれから老域にさしかかるであろう彼らのしっかりとした生き方に大きな白書送りながら、これからも時には二人と深い交流を続けてともに生きて行きたいと思いながら半島をお後にしました。
「水道を 挟み旧友 生きている 訪ねる度に 親しみ増して」
「煙突と 風車シンボル 西東 これから先も 苦悩は続く」
「関サバと ハナサバどちら 軍配か どっちこちない どちらも美味い」
「橋にする トンネルにする 議論した うたかたの夢 消えて良かった」