○伊予から土佐へ歩きフォーラムに参加しました②
豊田さんと浜田さんのたった二人で立ち上げて活動している「宮本常一を語る愛媛の会」が、初めて事業を立ち上げました。二人とも人間牧場の年輪塾ネットのメンバーなので、清水さんや松本さん、それに武田さんたちの支援を受けて、宮本常一の歩いた伊予から土佐の道を歩くことになりました。二人はこの事業を立ち上げるために幾度となく打ち合わせを行い、何度も現地の下見をして、西予市野村町山奥組と交流して情報を得ながら当日を迎えたのです。地域づくりにとってイベントの当日よりもそのプロセスが大事だと言われていますが、今回の事業は折からの大雨の中での実施だっただけにプロセスの大切さを身をもって感じさせてくれました。
山間の細い道を縫うように走ったバスは最初の見学地である、男水に到着しました。この水は脱藩の坂本竜馬が飲んだといういわく因縁のある水場です。こんこんと湧き出る水はその言い伝え通り飲むと何処か元気が出そうな水でした。水場には落差の大きい滝があって休憩所も完備していました。坂本竜馬の蝋人形もリアルに設置されていて、いい雰囲気でした。またここの豊富な水を利用したからくり人形などは,今回の宮本常一とは何の関係もないものですが、必見に値する創作物でした。
(美味しい水を飲んだ男水の水場)
(水を使ったからくり人形)
(落差の大きい見事な滝と、水を利用した一輪車のからくり人形)
(竜馬が飲んだと言い伝えれれる白滝の水「名水男水」)
男水で生気を取り戻した私たち一行は高知県と愛媛県を分ける韮ヶ峠で途中下車しました。雨は小降りになっていましたが、脱藩の道で度々紹介されている有名な場所なのです。私と孫朋樹はここで記念撮影し、集合写真も撮りました。本当はここを起点に歩く予定でしたが、雨のためさらにバスで下り、お大師さんの石像がある茶堂から歩くことにしました。
野村や城川、それに梼原などには沢山の茶堂があって、どこか懐かしい山村の風けを感じることができました。歩き方の説明や準備体操をして約4キロ余りの道を宮本常一のことを話しながらみんなでのんびりと歩きました。朋樹はもっぱら家から持ってきた虫籠に沢ガニやイモリなどを手当たり次第に採集して、同行した生物が専門の近藤先生に色々なことを聞いていました。
(車もめったに通らない畑中の道をゆっくりのんびりウォーキングを楽しみました)
)浜田さんと朋樹は参加者に配られた参加賞のバスタオルをプラカード代わりにして歩きました)
宮本常一は歩く・見る・聞くを基本にした民俗学者です。この道を歩いて眼に映った農村の風景を見てどう感じたのでしょう。時には道端で出会った人に話しかけたり、自分自身に話しかけたに違いありません。都会の暮らしに比べ山深い高知県の奥まった農村の暮らしや営み、それに原風景はそんなに変化したとは思いませんが、宮本常一が歩いた砂利道は舗装され、自分の足で歩くしかなかった交通手段も車に乗って楽々走っています。また田んぼの畦や川の護岸はコンクリートで固められ、道端の草も草刈り機という文明の利器できれいに刈られていました。昔と今は何処かが変わり何かが変わっています。ひょっとしたら変えてはならないものまで変わっているのかもしれません。今回のウォーキングでその糸口を見つけたいと思っていますが、はてさて見つかるかどうか・・・・。彼が著した「忘れられた日本人」は「忘れてしまった日本人」へのメッセージなのかも知れないと思いました。
「入念な 下見数回 繰り返し お陰でみんな 安心歩く」
「山里の 夏を歩いて 先人の 足跡たどり 何をか思う」
「夏草の 茂りて 雨の降りしきる 合羽濡らして 四キロ歩く」
「道端の 沢ガニ見つけ 虫籠に 孫の目的 俺と違って」