shin-1さんの日記

○宮本常一100の言葉より

 一昨日まで民俗学者宮本常一の勉強会に参加して、宮本常一に関する様々な学びをしてきました。中でも年輪塾塾生第一号となっている浜田さんにお願いしていた「宮本常一100の言葉」は、浜田さんが自分の読書から学んだ言葉なのでとても参考になることが多いので、参加していなかった皆さんのために折に触れ、少しずつ消化しようと思っています。

 「離島振興法があるから島がよくなるのではない。島がよくなろうとするとき法が生きるのだ」

 この言葉は昭和55年3月25日、宮本常一が郷土大学開校記念講演で述べたものです。私の最も好きな言葉です。私は20年も前にこの言葉を盟友の豊田渉さんから聞きました。この言葉は離島振興法や過疎地域振興法などがあるから国の高率補助を受けれると思っている人たちに聞かせたい言葉です。この言葉を島伝いに架かった橋に置き換えても随分意味があると思うのです。離島という2文字を背負って生きてきた島の人にとって橋はまさに夢の橋でした。10年前今治から尾道まで10の橋がかかりましたが、結果的にはその橋を生かすことが殆どできなかったのです。橋があるから島が良くなるのではなく島がよくなろうとするとき橋が生きるのです。つまり橋は目的ではなく手段であることを肝に銘じなければならないのです。

 「いきのよい者は外へ出て行き、粕が残っているんだという気持ちを持った時、他人に対する信頼感も連帯感も消えて行く」

 今の田舎は危機的状況にあります。長男だから仕方なく田舎に残らなければなかったということを宿命と感じて生きている人が余りにも多いのです。日本は20世紀の後半、向都離村の教育をしてきました。その結果いきのよい者は都会へ出て行きました。ゆえに都会は運命を切り開こうとするいきのいい人たちが一生懸命働き元気が出たのです。田舎の宿命と都会の運命はまさに天地の差です。運命はどうしようもないが宿命には希望があるのです。自bんたちではどうしようもないと思ってあきらめるのは粕のやることです。粕の集団になると隣に蔵が建ったら腹が立ち信頼関係も連帯感も薄れるのです。向かい風を追い風にするような危害が田舎人に欲しいのです。

 「人間の持つ可能性の高さが束になって具現化されたものをわれわれは文化だと言っている」

 「文化とは何か」、私はいつもそのことを考えます。役所の文化担当職員に「一言でいえば文化とは何か教えて」と言ったら、「若松さん、文化を一口で言うのは難しい」というのです。「じゃあ二口で言って」と言ったら口をつぐんで答えられませんでした。私に言わせれば分らないのと一緒です。みんな文化とは投票は津の芸術文化とか立派な文化会館だと勘違いしているようです。未来学者トインビーは文化を「航海」だと訳しました。農業のことぉアグリカルチャーと英訳しますが、まさに日本文化の源は農耕文化なのです。

 私は文化のことを「文化とは人間がよりよく生きるために考えを形にする営み」だと説いています。お茶もお花も華道、茶道という文化であり、梅干しや漬物を作るおばばちゃんの生活の知恵も生活文化なのです。水は必ず高いところから低いところへ流れますが、人間は文化の低いところから高いところへ流れて行くのです。つまり田舎でも文化を高くすれば人は流れてくるのです。

  「宿題を 出して答えを 書いてくる 次の宿題 プロセス進化」

  「人に会い 人に学んで 人となる 人というのは 奥が深いな」

  「聞いたけど 答え帰らぬ その人が それで飯食う それでいいのか」

  「粕だけで 田舎は起きぬ 宿命を 運命思う 人を育てにゃ」

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shin-1さんの日記

○耕耘機を購入しました

 「耕耘機が故障した」と親父が言ってから一週間が過ぎました。このところ忙しい日々を過ごしてたため、すっかり忘れていました。息子の私に言ってもらちが明かないと思った親父は妻に「耕耘機が故障した」と言ったそうです。妻は「じいちゃん、わが家は近々車を買わなければならないのでそんな余裕はない」と答えたそうです。昨日の朝久しぶりに隠居へご機嫌伺いに行ったところ、「耕耘機が故障したので買い替えなければならない。わしが買うから農機具店に連れて行ってくれ」というのです。「今日は午前中お客さんが見えられるので午後にしよう」と相談がまとまりました。午前10時にわが家へやって来た来客が30分余りで返ったため、早速親父をトラックに乗せて伊予市の永井農機具店へ行きました。一度も訪ねたことのない店でしたが社長自らが対応していただき、様々な耕耘機の機種を見せてもらいました。小さなものは9万円ぐらいからありましたが、親父は25万円もするかなりグレードの高い耕耘機が気に入ったらしく商談が始まりました。色々な小道具類をつけて25万円で商談成立でした。出かける前に郵便局へ立ち寄って預金を引き出して行くよう親父は言っていましたが、「耕耘機を買ってからでもいい」と突っぱねていたので、親父にとっては不満のようでした。夕方4時に新しい耕耘機を納品し古い耕耘機を引き取って帰ることで話がまとまり、その時支払うことで親父は納得した様子でした。

若松進一ブログ
(古い耕耘機)

 親父は古いタイプの人間で、貧乏して育ったせいか借金をするのが大嫌いなようです。親父に頼まれて郵便局へ25万円を引き出しに行き、農機具屋さんの来るのを待ちました。もう20年近くも使ってきた愛着のある動かなくなった古い耕耘機を縄をつけて倉庫から引っ張り出し、玄関先に運び終わったころ新品の耕耘機を積んだトラックがやってきました。

若松進一ブログ

(新しい耕耘機)

 新しい耕耘機はデザインも取り扱いもシンプルで、安全という点では今までの耕耘機など比ではないほど進化していて、親父や私にでも容易に使えそうです。親父は農機具屋さんに、「これで息子の代は安心して畑が作れる」と、前の耕耘機を20年使った経験談をベースに話していました。わが家は母親がなくなる前から私の代なのに、未だに農機具を91歳の親父の懐を当てにしているのですからいい加減としか言いようがないのです。

 最初は私に耕耘機を買うよう考えていた親父は、「車を買うからそんな余裕はない」といった思わぬ妻の言葉によって当てが外れたのでしょうが、「まあいいか」と都合のいい割り切り方をしているのです。


 大洲市田処に住む亀本さんから貰って人間牧場へ置いている耕耘機もエンジンがかからないままになっています。農機具屋さんに出張修理を依頼したところ快諾していただいたので、近々に日程調整して直してもらおうと思っています。

 「金儲けしないですむ農業は楽しい」と常々いっていますが、それは設備投資せずにできる農業であって、耕耘機などに頼る農業は楽しいどころか思わぬ出費で首が回らなくなるのです。10年以上使っている草刈り機もそろそろ寿命のようで、昨日農機具屋さんで見た草刈り機は5万円程度もするようで、考えると頭の痛い農業です。「耕耘機と草刈り機を買うお金があったらどれほど贅沢しても野菜を買って食べれる」とは妻の弁です。確かに機械類は高いものですが、人間は道具を使う動物ですから、鎌や鍬に依存するような農業は仕事効率が悪いのです。耕耘機と草刈り機が忙しい私の仕事効率を上げてくれることは間違いありません。この際草刈り機も思い切って購入しようと心に決めた1日でした。


  「妻が言う 車買うから 余裕なし 何を思うか 親父決断」

  「農機具は 高いが仕事 はかどりて 俺の手助け 百人力だ」

  「新品の 耕耘機ゆえ 土汚す 惜しい気もして 倉庫に寝かす」

  「20年 持つと豪語の 耕耘機 親父手で撫で 愛おしそうに」  

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