shin-1さんの日記

○「株」って何?

 最近は不景気感が漂い、何処へ行っても景気のいい話は聞こえてきません。それどころかかつて景気の良かった頃、「今日はゴルフ明日は社員旅行」と高級車を羽ぶり良く乗り回していた建設業などは、倒産や経営縮小に追い込まれているのですから、世の中は分からないものです。どこでどう歯車が狂ったのか分かりませんが、先が見えないだけにその実態は深刻なようです。高校を卒業して地元の建設会社に務めている若い人は仕事が終わってから、ガソリンスタンドや運送会社の夜の仕事へアルバイトに行って、生計を維持している驚くような話を話を聞きました。一見楽しそうな今の若者たちの暮らしぶりも、裏をのぞけば大変だなあと同情しました。

 私の友人に株をやっている人がいます。毎日新聞の株式状況に目を通し、赤鉛筆で細かい数字や会社名にしるしをしていた姿が目に浮かぶようです。株で儲けて景気のいい時彼は私に、「若松さん、貯金なんかしたってお金は増えませんよ。株は儲けが大きくて面白いからあなたもやってみたら」と盛んに勧めてくれました。「株をやるほどのお金と暇がない」ことを理由に私は株に手を出しませんでした。結果的に私のお金は増えなかったのです。先日既に定年を迎えてリタイアしている彼の奥さんに出会いました。「その後ご主人は元気で株をやっているの?」と聞くと、「若松さんまあ聞いて下さい。株で儲けた金がどれほどかは知りませんが、今回の世界同時株安で主人の持っていた株は紙切れ同然になったようです。退職金の一部もつぎ込んでいるのに、このままだと投資した金額が戻る当てはなく、将来が不安です。お願いですから主人にあなたからもう株は止めるように言ってください」と逆に頼まれてしまいました。

 「株って何?」と尋ねられたら金融広報アドバイザーをしているのに私は余り明確な答えを持っていません。昨日届いた金融広報委員会の広報誌によると、「株」とはその企業にお金を出資したことの証明書です。会社を作り経営していくためには元手(資本)が必要です。その元手を他人に出してもらうときに株を発行しお金を出して貰った照明とするのです。お金を出した人は株を受け取り株主となってその会社のオーナーになるのです。株主はその会社が儲かったら分け前(配当)を貰うことができます。優良企業であれば沢山配当がもらえるので株主は儲かるから出資するのです。

 優良企業の株は配当が高いのでみんなが欲しがります。その結果株自体が売買され値段(株価)がつくようになります。今では配当よりも株価の値動きで儲けることを目的に株を買う人が大半になっているので、株は金融投資の対象となっているのです。友人は配当より株価によって自己資金を運用してきたようですが、株価は上がることもあれば下がることもあり損も得もするものです。そのことをわきまえないと大損をして奈落の底に突き落とされることだってあるのですから、素人感覚での投資は考えもののようです。

 「株」には会社、株主、経営者、従業員など目に見えないものが隠されていますが、最近はその存在を忘れ「株」を儲けの対象とすることだけが強調されているようにも思うのです。私の友人はその典型で株主でありながら総会へ出席することも、会社の経営体質も全く知らないまま株価だけを追い求めてきたのです。まあそれも過ぎたことですから仕方がありませんが、ご主人が株で大損をしたので止めるように何故私が言わなければならないのかも、考えてみればおかしな話です。株や金融投資はリスクを承知して始めることが何よりも大切なことだと、その奥さんに行ってやりました。だってこの奥さんはご主人が株で儲けた頃は何も言わず、損をしたら言うのですからこれこそ身勝手です。皆さんはそう思いませんか?


  「株と聞き 畑のカブを 思い出す 俺に縁ない 猫に小判だ」

  「儲ければ 何も言わない 奥さんが 損して文句 筋が通らぬ」

  「株をやる 金暇もない 俺だから 儲けもせずに リスクもなしに」

  「若者が 仕事を終えた その後に アルバイトする いやあ大変」

 

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shin-1さんの日記

○お金もやりたいことも一歩ずつ

 長男といいながら「便所の糞もクドの灰」も貧乏ゆえに余り財産分与されなかった私が、結婚を機に妻と二人で新しい家庭を持ち、これまで40年近く何とか暮らしを成り立たせたせてこれたのは、高度成長という時代背景もさることながら、家庭の財布を切り盛りしてきた妻の計画的な家庭経営術に負うところが大きかったようです。結婚した当時は給料も安く、次々生まれる4人の子どもの養育で働きに出ることもできず、手内職などをして暮らしの足しにしていましたが、親と同居していたこともあって何とか食うには困りませんでしたが、妻の悩みの種は全国を舞台に動き回る夫の、一向に減らない「亭主持ち逃げという家計簿の欄の数字でした。それでも暮らしを切り詰め「亭主持ち逃げ」を容認してくれた妻には今故に感謝しているのです。

 私たちは親からの独立の意味を込めて「家を建てる」ことを目標に掲げました。「30歳でアメリカへ行きたい」という願望を実現したその年、アメリカ仕込みのフロンティア精神で「目標を持って行動を起こせば何かができる」と信じ込み、今思えば無謀にも借金をして土地を買い家を建てたのです。銀行の償還計画とにらめっこしながら、子どもの高等教育が始まるまでに借金を返済したいという目標をどうにかクリアーして、4人の子どももそれぞれ自分の能力に応じた学業を終え、社会人となっているのです。

 そんな切り詰めた暮らしの中にあっても、妻も私もボランティアか都度の大切さを忘れず、妻は働きながら婦人会や民生委員などを務め、私も21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げて無人島に挑む少年の集いなどの活動を20年以上にわたってやり遂げました。

 「夢や目標を持てば何とかなる」が私たち夫婦の口癖でした。「あれをしようと思えばあれを止め無理無駄を省く」しかないため、私は車を持たず8年間も単車で通いましたし、1ヵ月に10日あれ程好きだった酒を止めて呑んだつもりの千円目的貯金も10年間やって120万円を貯めました。公務員で収入も限られていたため質素な暮らしの中で少しずつまさに目標に向かって一歩ずつの人生だったように思うのです。

 私はお金がないからやれないというのはみじめだと思います。またお金があるからやるというのも短絡的だと思います。どうすれば自分のやりたいことができるのか考え、質素な暮らしの中で倹約して資金を確保する術はこのころから本能として身についたように思うのです。お金がないから借りて家を建てた教訓は随分役に立ちました。お金がないのに先に借りて使うという風潮が現代では蔓延していますが、貯めてから使うとでは金利に要する費用差し引きが大違いなのです。

 私はやりたかった人間牧場もやっとの思いで自己資金100%で手に入れました。そしてお金は貯めることも大切だが価値のある使い方をすることこそもっと大事だと思うこのごろです。私は最近仲間の協力を得て「夕日徒然草」という本を2冊出しました。これも初期投資のお金があって行動さえすれば次々と目標である5冊目を出せるという仕組みを作ったお陰で、何とかなりそうです。お金の価値ある使い方とはこのようなものかと、最近になって今では本能となったお金の使い方に、遅きに失しながらも気が付き始めているのです。

 「お金ややりたいことも一歩ずつ」これが私の今の心境です。


  「金もなく やりたいことも やれないと 思っていたが なせばなるもの」

  「貧乏を 嘆いていても 仕方ない 金がなければ 知恵さえ出せば」

  「入力は 少ないけれど 出力も 少なくすれば バランス取れる」

  「ない金を 先に使って 楽しむも 生き方ならば 貯めて使うも」 

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