○お金もやりたいことも一歩ずつ
長男といいながら「便所の糞もクドの灰」も貧乏ゆえに余り財産分与されなかった私が、結婚を機に妻と二人で新しい家庭を持ち、これまで40年近く何とか暮らしを成り立たせたせてこれたのは、高度成長という時代背景もさることながら、家庭の財布を切り盛りしてきた妻の計画的な家庭経営術に負うところが大きかったようです。結婚した当時は給料も安く、次々生まれる4人の子どもの養育で働きに出ることもできず、手内職などをして暮らしの足しにしていましたが、親と同居していたこともあって何とか食うには困りませんでしたが、妻の悩みの種は全国を舞台に動き回る夫の、一向に減らない「亭主持ち逃げという家計簿の欄の数字でした。それでも暮らしを切り詰め「亭主持ち逃げ」を容認してくれた妻には今故に感謝しているのです。
私たちは親からの独立の意味を込めて「家を建てる」ことを目標に掲げました。「30歳でアメリカへ行きたい」という願望を実現したその年、アメリカ仕込みのフロンティア精神で「目標を持って行動を起こせば何かができる」と信じ込み、今思えば無謀にも借金をして土地を買い家を建てたのです。銀行の償還計画とにらめっこしながら、子どもの高等教育が始まるまでに借金を返済したいという目標をどうにかクリアーして、4人の子どももそれぞれ自分の能力に応じた学業を終え、社会人となっているのです。
そんな切り詰めた暮らしの中にあっても、妻も私もボランティアか都度の大切さを忘れず、妻は働きながら婦人会や民生委員などを務め、私も21世紀えひめニューフロンティアグループを立ち上げて無人島に挑む少年の集いなどの活動を20年以上にわたってやり遂げました。
「夢や目標を持てば何とかなる」が私たち夫婦の口癖でした。「あれをしようと思えばあれを止め無理無駄を省く」しかないため、私は車を持たず8年間も単車で通いましたし、1ヵ月に10日あれ程好きだった酒を止めて呑んだつもりの千円目的貯金も10年間やって120万円を貯めました。公務員で収入も限られていたため質素な暮らしの中で少しずつまさに目標に向かって一歩ずつの人生だったように思うのです。
私はお金がないからやれないというのはみじめだと思います。またお金があるからやるというのも短絡的だと思います。どうすれば自分のやりたいことができるのか考え、質素な暮らしの中で倹約して資金を確保する術はこのころから本能として身についたように思うのです。お金がないから借りて家を建てた教訓は随分役に立ちました。お金がないのに先に借りて使うという風潮が現代では蔓延していますが、貯めてから使うとでは金利に要する費用差し引きが大違いなのです。
私はやりたかった人間牧場もやっとの思いで自己資金100%で手に入れました。そしてお金は貯めることも大切だが価値のある使い方をすることこそもっと大事だと思うこのごろです。私は最近仲間の協力を得て「夕日徒然草」という本を2冊出しました。これも初期投資のお金があって行動さえすれば次々と目標である5冊目を出せるという仕組みを作ったお陰で、何とかなりそうです。お金の価値ある使い方とはこのようなものかと、最近になって今では本能となったお金の使い方に、遅きに失しながらも気が付き始めているのです。
「お金ややりたいことも一歩ずつ」これが私の今の心境です。
「金もなく やりたいことも やれないと 思っていたが なせばなるもの」
「貧乏を 嘆いていても 仕方ない 金がなければ 知恵さえ出せば」
「入力は 少ないけれど 出力も 少なくすれば バランス取れる」
「ない金を 先に使って 楽しむも 生き方ならば 貯めて使うも」