○「知行合一」という陽明学の言葉に学ぶ
志願して人間牧場で開かれている年輪塾の塾生第1号となった浜田さんは、私の友人の中でも一、二を争う読書家で、特に民族学者宮本常一に関する本はくまなく隅々まで読んでいます。しかも宮本常一の思想を広めたいと誰彼となく文庫本を配るのです。私もその恩恵にあずかっている一人ですが、いくら心酔した人だからといっても一冊二冊ならいざ知らず、有料の本を購入して無償で配る人は余り聞いたことがなく、年輪塾の塾長なので塾生に指導する立場から、「それだけは止めた方がいい」と忠告しましたが、私の元へは相変わらず時々届くのです。私はその都度乱読ながら目を通し、人間牧場の水平線の家にある長い書棚に蔵書として置き、来牧者に読んでもらおうとするのですが、人間牧場へ訪れる人全てがこれらの本に興味があるわけではなく、埃をかぶったままの本もあるようです。確かに世の中はインターネットの普及やもろもろの社会の変化によって、活字離れが目立ってきました。たまに本を読んでいる人を見かけるとコミック本だったりしますが、浜田さんから教えてもらったことは、知識習得の三原則の一つ「本を読む」ことの大切さでした。浜田さんに本格的に知り合って私の読書量はダントツに増えたのですから、浜田さんは塾生と言いながら私にとっては大恩人なのです。
今でも時々暇さえあれば県立図書館に通う浜田さんは、コピー魔でもあります。様々な資料をコピーして、わが家の玄関に投げ込んでくれるのです。一昨日も私が留守でしたが、先日わが家に来訪した折私が興味を示した西南四国歴史文化研究会が発行している「西南四国歴史文化論よど第10号の抜粋コピーを投げ込んでくれました。その中には農民一揆・野村騒動を藩と農民の間に立って解決に導いた、適塾の緒方洪庵に縁の深い緒方惟貞が思想的には「知行合一」を唱えた陽明学の考えの持ち主であったと記されていました。
私もこの言葉は聞いたことがありますが、「知行合一」(ちこうごういつ)とは「知りて行わざるは、只是未だ知らざるなり」、つまり知って行わないということは、まだ知らないということだと説いています。心の本体を「良知」ととらえ、「良知」とは陽明学で重んじられている概念で、天から万人の心に賦与された道徳的な判断=実践能力のことなのです。この教えは中国明の王陽明が唱えた儒学の思想なのです。
浜田さんは船会社に勤めていたり、昔双海町下灘日喰に住んでいたりして海人を自認する私と出会う必然性は持っていましたが、とにかく不思議な人なのです。私は実践家を自認していて、「知行合一」は私のためにある言葉だと思うほどですが、その奥は深く未だ道を究めることはできていません。でもこうして浜田んを通じて「知行合一」という陽明学の思想にふれながら、今日もできることから実践しようと肝に銘じているのです。
私は年輪塾の塾長と言いながら、適塾を開いた緒方洪庵のように博学でもないので人に教えることは殆どありませんが、せめて学んだことを話す「理論」ではなく、実践から生まれた言葉の「論理」を説くような人間になろうと、浜田さんのコピーを読みながら心を新たにした次第です。
浜田さんといういい人との巡り合いで、ただ漫然と生きる私の姿勢は少しだけ是正されて本流に引き戻されました。これからも自分の生き方を是正修正しながら生きてゆきたいと思っています。
「投げ込んだ 友のコピーに 学ぶこと 知行合一 ただただ感謝」
「気がつけば ただ漫然と 生きる日々 知行合一 軌道修正」
「読み方が 足らぬと本を 贈る友 格段増えた 読書の機会」
「人間は 楽して生きたい ようである 楽は必ず 苦ありと思え」