○フィールド枠の授業で松山市堀江地区を訪ねました
昨日は愛媛大学法文学部総合政策学科の私の教室の学生19人を連れ、フィールドワークの授業で松山市堀江地区へ出かけて行きました。概ね5人のグループを4つ作ってそれぞれのグループに4地区を担当させて学習しているため、学生たちも何かと積極的で、事前に担当の班長が公民館に電話連絡したり、様々な質問を用意していました。
これまでフィールドワークで視察研修をする場所は、どちらかというと旧市町村を東・中・南予に分けて、私の知っている人脈を元に選んでいました。学生にもっと県内の各地の実態を見せてやりたいのですが、いかんせん学生たちは交通手段を持たないため、公共交通機関の便利な場所になってしまうのです。また朝8時から午後4時までという一回8時間の時間的制約もあるので、そんなに遠くまで行くことができないのです。この7年間で視察地に選んだ場所から松山市を除外していたのは、「松山市はいつでも行ける」「松山はでっか過ぎる」という私の思い込みでしたが、今回初めてまちづくりという視点で松山市堀江地区を選ばせてもらいました。
(6月末で航路廃止されたフェリー)
(堀江の繁栄の出発点となった一文字突堤)
本来なら私は出発地のJR松山駅から同行し、解散する松山駅まで送り届けるのですが、今回は2~3調べていことがあって、堀江まで車で行って、現地堀江の駅で待つことにしたのです。少し早く自家用車で出発した私は、まず堀江の海水浴場へ向かいました。松山市と合併した中島町やごご島を除けば、梅津寺海水浴場が今年限りで閉鎖されることもあって、北条とここ堀江の海水浴場が近場では一番整備された場所となっているのです。堀江の海水浴場も市内から近い場所にあるため、過去には夏場になると若者を中心の夜間徘徊が苦情の
ネタになっていましたし、ジェットスキーとのトラブルもあったようようですが、今は護岸や養浜工事も終わって立派に整備されていました。
もう一つ見たかったのは6月末で航路廃止となった堀江~阿賀フェリー発着場でした。何処まで行っても千円の高速道路料金割引の影響をもろに受けて利用者が激減し赤字経営で先行きの見通しがなく廃止となったのです。この航路は青函連絡船、宇高連絡船、宮島連絡船とともに堀江・仁方航路として旧国鉄が運航していました。しかし車社会の発展によって昭和40年代に廃止となり、その後民間がフェリーを運航していたのです。既に人影の消えた桟橋にフェリーの船が寂しくつながれている様は哀れで、時代の流れを感じました。
(堀江駅前の港まで通じる駅前通り)
(辻に残る古い遍路路を示す道標)
9時39分の列車が堀江の駅に到着し、19人全員が下りてきました。貨物列車の列車を利用した小さい漫画チックな駅舎は中々絵になる光景でした。堀江の町中を線路に沿ってゆっくり歩き10分ほどで公民館に到着し、石丸館長さんや河野さん、副館長さんに説明をしていただきました。私が何年か前に聞いていた堀江のまちづくりもハード面は中々進まずむしろ後退しているようでしたが、松山市全体のモデルとなっているソフト面はしっかりと運営されていて大変勉強になりました。
(説明するまちづくり協議会のみなさん)
(受講する学生たち)
昼食はフェリー乗り場近くの食道から鍋焼きうどんと稲荷寿司を運んでもらい、いささかの支援にはならなくても学生たちがお金を落としてくれました。昼食後は松山市内で一番太い新池親水公園の見学に出かけました。かつて私が若い頃はこの池のほとりに県立中央青年の家があって、何度も研修にやってきた思い出の地なのでその当時のことが蘇りました。今は周囲1キロの遊歩道や水辺が再現された親水公園として整備され、地元のシンボルになっていました。近くには三浦工業の本社や工場、それに三浦美術館もあっていい雰囲気でした。
取水口に繁殖したフナの稚魚が折り重なるように群がっている光景は異様で、学生の関心や質問も集中していたようです。館長さんたちのお陰でいい研修ができました。
「取水口 群がるフナの 稚魚を見て 学生何を 感じただろう」
「この池の ほとりにあった 施設にて 何度研修 しただろうか」
「閉鎖した フェリー乗り場は 人もなく 寂しく船は 係留されて」
「久方に 堀江の町を 訪ねたが 光と影が 何処か交錯」